『おつかい』1

 朝、目が覚めた時から喉の奥が妙に痛んで、体にも倦怠感があった。
 朝特有の気怠さだろうと、何とか思い込むようにして同居人のための朝食を作った。
 いつものように目覚めの悪い同居人を何とか起こして、朝食に付かせた。
 俺はというと、朝は食欲がないタイプの人間なのでいつも通りコーヒー片手に新聞を読んでいた。
 異変はそのころから強くなっていった。
 喉の痛みが無視できないぐらいに強くなり、体全体が重くなり、目の前がゆらゆらと揺れているような感覚があり新聞の文字が頭に入ってこない。
 目の前の同居人が食事を終える頃には寒気を感じ始めた。

 それは紛れもなく、風邪だった。


1/
 「……あ~」
 布団の上で喉の痛みにうなされる。
 原因は何だろうか。
 クラクラとする頭で何とか考えてみるが、原因は直ぐに思い付いた。
 
 一昨日、街道にたむろしている自称盗賊団の迷惑野郎ども討伐に出向いた。
 奴らが妙に大所帯だったせいかギルドの金払いがやけに良く、俺はそれを見逃さずに受けたわけだ。
 なんせこちらには天下のキル様――史上最悪の錬金術師エル・ハワードの遺産にして最高傑作であるキルがいるのだ、アウトロー気取りのはみ出し者どもごときに遅れを取ることなんて万が一にもあり得ない。
 実際、自称盗賊団自体はものの数秒で片付いた。
 大爆発。
 キルが奴らの根城に手を向けただけで大爆発が起こり、その辺のガラクタで作られていた奴らの根城は吹き飛んだ。
 問題だったのは、俺がその爆発の爆風に巻き込まれて川に落ちたことで、思えばあれで風邪を引いたのだろう。

 「ドレ……大丈夫……?」
 キルが心配そうに寝ている俺の顔を覗き込んできた。
 キルも自分のせいだと思っているのだろう。
 確かに、キルのせいではあるがいくら俺とは言えそれを責めるほど子供じゃない。
 俺もすっかりオジサンで、事実上キルの保護者でもあるわけで一々こういう時にめんどくさい事を言うべきではないのだ。
 そう、大人なのだから。

 「…………大丈夫じゃないかも」
 「……え……?」
 無理だった。
 つい意地悪な事をしてしまうのはもうそういう性分なのだ。
 そこについてはきっとすっかり長い付き合いになったキルならば、俺のお茶目な部分だと思って受け入れてくれるだろう。
 わざとらしく大げさに咳をして、布団を頭まで被って見せてやった。
 キルは不安に思ったのか目の前をトタトタと右往左往する音が聴こえてきた。
 キルの魔法で川に落とされたのだから、多少は強めに心配してもらってもバチは当たらないだろう。
 大人だって風邪を引いている時くらい心配して欲しいのだ。
 キルの不安そうな足音に布団の中でほくそ笑んでいると、ピタリと音が止んだ。
 
 ――マズい。
 
 直観的に強めの警告を心中に感じて、布団を慌ててめくる。
 小さな両手をこちらに向けたキルと目が合った。
 キルはいつも通りの感情の薄い虚ろな目、に見えるがあれは違う事を俺は知っている。
 あれはそう、買い物ついでにお菓子でも買ってやると言ったら、たっぷり小一時間かけて悩んだ末にクッキーを買うといったあの時の目と同じ、つまりは覚悟を決めた目。

 ――マズい!!
 「あー!! 待て、キル!! 嘘!! 嘘だから、落ち着け!!」
 布団を投げ捨てる勢いでキルの両手を無理やり降ろす。
 「…………?」
 寸でのところでキルが止まった。
 俺が突然騒いだせいかキルは可愛らしく小首を傾げた。
 「……ドレ……元気?」
 「いや、元気ではない」
 「……じゃあ……!!」
 「わぁ!! 待て、落ち着け!!」
 再び両手を俺に向けようとしたキルの動きを何とか抑える。
 額に流れる汗が果たして冷や汗なのか、熱によるものなのかもう判然としなかった。
 
 以前、キルに回復魔法を教えたことがあった。
 エル・ハワードの最高傑作であるキルは魔力も魔法も、人間とは比較にならない程優れている。言葉通りに桁違いだ。
 キルは(どういう仕組みなのかは知らないが)元々知っている魔法しか使えなかったのだが、他の普通の一般的な魔法も教えてやると使う事が出来ないわけでもないらしく、いくつか試してみようとした中に回復魔法があった。
 魔法の才能も大してない俺が、ハイエナ稼業を行う上で必要に迫られて何とか覚えた拙い応急処置用の回復魔法で、致命傷にならないような傷口を塞ぐのがやっとといった程度の威力しかないものだった。
 俺がキルに件の魔法をかけてやるとキルはすぐに何かがわかったようにコクリと頷いた。
 キルは直ぐについさっきと同じように両手を俺の方に向けた。
 その時も、なんだか嫌な予感がしたので俺はキルに近くに生えていた木に向かって使ってみる様に言った。
 キルは不思議そうに俺を見ていたが、特に不満があるわけではないらしく再びコクリと頷いて俺が指した木に向かって両手を伸ばした。

 余談になるが、キルが魔力を行使する際に両手を伸ばす動作も俺が教えたもので、本来キルは一切の予備動作を必要とせずに天災と変わらないような魔法も操れるのだが、何の合図もなしにあっちこっちに魔法を使われては俺の命がいくつあっても足りなくなるので、どこに向かって使うのかという事と魔法を使う、という事が簡単に見て取れる動作としてやってもらっている。
 まぁ、それがあってもキルの扱う魔法は威力が強すぎたりして、一昨日のように時々巻き込まれるわけだが。
 
 さておき、キルは木に向かってささやかな回復魔法を使ったわけだ。
 回復魔法は生物に対してなら基本的に同じような効果をもたらすので、対象が人体であろうと植物であろうと今回の場合は些細な成長促進が行われる、ハズだった。
 相変わらず本来魔法を使うには絶対的に必要になるはずの魔法陣もなしに魔法を使ったキルに驚きながら、木の方を見ていた。
 キルが魔法をかけていた時間はほんの一瞬で、正直変化すら起こらないレベルだった。
 実際、変化は起こらなかった。
 出来たのか不安になったキルが俺の顔を覗いていた。
 気づいて、目線を外しキルの頭を軽く撫でてやろうとしたところでズズッと妙な音が聞こえた。
 今度は俺が不安になって先ほどの木の方を見る。
 ――明らかに幹が太くなっている。
 木の周囲の地面もその急速な成長を現わしているのか、割れていた。
 よく見る。
 地面の割れ目は段々大きくなっていっている。
 つまり、成長は止まっていない。
 その事実に頭が追い付かなくて呆けていると、今度は木がミシミシと音を立て始めた。
 
 ものの数秒足らずで、木は急速な成長に耐え切れず破裂するように自壊した。

 あの事件以降、俺はキルに人に向かって回復魔法を使うのを禁止している。
 あの魔法が人体に発動したらどうなるか、想像もしたくなかった。

 
 「……キル……回復魔法は禁止にしてただろう?」
 額に流れる汗を拭えないままキルに問う。
 キルは俺の質問に当然知っているという表情をした。
 「…………昔よりうまく使える……とおもう……!!」
 自信満々の目をしていた。
 確かにあの頃よりも繊細な魔力の扱いを覚えたのだが、俺を実験台にでもしたいのだろうか?
 そんな子に育てた覚えはない。
 「でもダメだ」
 「……なんで?」
 可愛らしく小首を傾げる。
 キルにはその気はないだろうが、なまじ芸術作品のように美しい少女の姿をしているキルの一挙手一投足に絆されてしまいそうになる。
 将来はそれはそれは恐ろしい魔性を手に入れることだろう。
 だが、俺に幼女趣味はないし、キルの保護者をそれなりに長くやってきた。
だから効かない。
 
 キルの両手を開放して、俺は半ば倒れる様に先程まで寝ていたベッドに腰かけた。
 未だ背の低いキルと目線が合う。
 「………そこまで酷く大丈夫じゃない、というわけではないからだ!!」
 口から出たのは、思ったよりもひよった言葉だった。
 なんでだろう?
 昔なら、もっと強く禁止出来たのに。
 
 「う~ん……?」
 キルは俺の言葉がよくわからなかったのか不思議そうにしていた。
 不思議そうにしているキルの頭を撫でてやる。
 キルはくすぐったいのか僅かに微笑んでくれた。
 とりあえずはこうやって回復魔法の件を流すことにしよう。
 
 キルを撫でていると、体の倦怠感も戻ってきた。
 命の危機につい忘れていたが俺はわりとひどめの風邪に罹っている。
 キルから手を離して、ベッドに倒れ込む。
 クラクラと視界が揺れている。
 キルが顔を覗き込んできた。
 「……ドレ……」
 心配そうに俺の名前を呟くキルの頭を再び撫でてやる。
 「キル……」
 「なぁに……?」
 「……回復魔法とかの前にお医者先生のとこまでおつかい行って薬貰って着てくんねぇか……?」
 改めて考えてみれば、川に落ちて罹るような風邪は薬でも飲めば、簡単に治るだろう。
 正直、体が怠いので外を出歩く元気が無いが、それについても代わりに同居人に行ってもらえば済む話だ。
 キルを一人でおつかいに行かせるのは、なんだか物凄く、物凄く不安になるが――
 「……おつかい……!!」
 ――おつかい、という言葉に目を輝かせたキルを前に「やっぱ無し」とは言えなくなってしまった。

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