小事件
「で? お前はどうするつもりなんだ?」
既に無人になったカフェの中で目の前の東洋人の女が不敵に笑う。
「さっさと引き金を引いてみろよ」と言わんばかりにこちらを挑発する笑みだ。
拳銃が突き付けられた状態でのこの余裕。
男の方がこの状況がわからなくなりそうだった。
月瀬水仙はその界隈では名の知らぬものの居ない超が付くほどの有名人だ。
彼女が表舞台(『裏の世界』を自称する界隈で表舞台というのも大変違和感のある言い方だが)に立たなくなって数年の月日が流れた。
しかし現在に至っても彼女の名声と人脈はなおも健在で、それらを使って細々(月瀬水仙基準で)と仕事をしている。
そんな彼女は未だ学生の身分。
今は夏。
つまり夏休みの期間であった。
とはいえ、彼女の性格上それに浮かれるようなことは特に無く、いつも通り幼馴染と遊んだり後輩をからかったりと楽しい毎日を送っていた。
ある日、彼女の元に一通のメッセージが届いた。
それは旧い知り合いからのものであった。
内容は他愛のない、現地に行けばすぐに済むような依頼であった。
ただし、場所が問題。
なにせその知り合いの住む場所は大海を挟んだ向こう側。
飛行機でも十時間近くかかるような位置。
ふむ、と数瞬悩んでから飛行機チケットを取った。
今は夏休みだ。
学校のある期間に長期間出掛ければ幼馴染に文句を言われるが、今ならそれがない。
旧い知人を尋ねて、小旅行がてらというのも悪くはなかった。
そんなわけで彼女は翌日には大海を挟んだ向こう側、アメリカは西海岸に飛んだ。
ちなみにアメリカ行きについて幼馴染には報告した(何も知らせずに行くと小言を貰うので)が、後輩には何も告げていない。
目つきの悪い小心者の後輩は今頃自分の居ないことに驚き、困惑しているだろう。
その姿を思い浮かべて月瀬水仙は鼻で笑った。
アメリカに着くとすぐに知人からの依頼を済ませた。
移動や待機の時間はそれなりに取られたものの依頼自体はすぐに済んだ。
依頼が済めばあとは自由行動。
一週間を予定している旅程はあと五日も残っていた。
その日はすぐに予約したホテルへ行き、のんびりと過ごした。
ご飯を食べ、ホテルに設置された遊戯スペースでギャンブルを嗜み、シャワーを浴び、そして寝た。
翌日。
まだ四日ほどあるが水仙は既に日本に帰りたくなっていた。
ホームシック、ではない。
根本的にご飯が合わない。
やはり自分のよく知る料理、味付けの方がいい。
彼女はつくづくとそう思った。
帰っても別にいいのだが、帰るとなればそれはそれで面倒臭い。
少し悩んで、外に出た。
観光でもして気を紛らわせるつもりだった。
特に行きたいところがあるわけでもない。
見知らぬ街の中を目的もなく歩いた。
その途中、適当なカフェに立ち寄った。
空腹を紛らわせる目的だった。
店内は人が疎らで、店員は一人暇そうにしていた。
暇そうな店員にアイスコーヒーと旨いのか不味いのか想像できない謎のサンドイッチを注文し、適当な席に着いた。
外の気温は高く、存分にクーラーの利いた店内が過ごしやすかった。
ぼうっと外の様子を見たあと、溜まっているであろう仕事を少しでも消化しておこうとタブレットを起動させた。
予想通り、数百件に及ぶ未読のメールやメッセージが入っていた。
それらを軽く精査していく。
そうして時間を潰している時だった。
白昼堂々、事件は起きた。
けたたましい銃の発砲音と共に一人の男が店内に入ってきた。
「金を出せ!!」
シンプルな要求を男が大声で叫ぶと、今度は店内にいた数名の客と暇そうにしていた店員が悲鳴を上げた。
水仙もタブレットから顔を上げて、状況を確認した。
しめた、と思った。
事件が起きた。
暇をつぶすには持ってこいだ。
おもわずニヤリと口角が上がる。
が、水仙の思うとおりにはうまくいかない。
この犯人の男が妙にどんくさかった。
そもそも流行っているんだか流行っていなんだかもよくわからないカフェに押し入り、白昼堂々と大声で喧伝してから強盗を働こうというのがなんともイケていない。
その上、男は自分で起こした客と店員の大きな悲鳴にビビっていた。
ビビッて一瞬動かなくなった男の横を悲鳴を上げたまま客と店員が駆け抜けていった。
気が付けば彼女らの姿はもう見えなかった。
がらんとした店内。
間抜けそうな犯人。
水仙は肩を落として大きくため息を吐いた。
犯人は呆然と立ち尽くした後、のそのそとレジカウンターの方へ歩いていった。
金品を物色するつもりらしい。
なんとも頼りない犯人に興味を失った水仙はタブレットの方へ目線を戻した。
この状況にあって、変わらず仕事を続けるつもりらしい。
強盗犯の店内を漁る音だけが店内に響く。
強盗犯はしばらくレジと格闘していたようだが、レジの中は暗証番号が無いと開かない仕組みらしく、どうやっても開けることは叶わなかった。
肩を落とし、金目のものが他に無いか店内を見た。
カウンターのすぐ横に淹れたてらしいアイスコーヒーとサンドイッチがトレーに乗せられ、置かれていた。
しめた、と強盗犯は思った。
なにせ金に困ってこんな犯行に及んだのだ、腹も空いている。
まずは腹ごしらえといこう。
強盗犯はトレーに手を掛けようとした。
「それ、私のだから手ぇ付けんな。こっちまで持ってこい」
びくり、と強盗犯は体を大きく揺らした。
なにせ人がいるとは思っていなかった。
突然店内に響いた女の声に、心臓が止まるかという程ビビった。
「ま、まだ居やがったのかっ!」
強盗犯は大声を上げて手に持った銃を声の方へ向けた。
そこに居たのはこの状況で、手に持ったタブレットから一切目線を動かさない黒髪の東洋人の女だった。
強盗犯は警戒し銃を向けながらカウンターを乗り越えて女の方へ近寄る。
明確な凶器が自身に迫ってくるが、当然ながら水仙は気も留めない。
やがて強盗犯は絶対に銃弾を外さない位置、水仙の至近距離まで迫った。
「お、大人しくしろ!」
上ずった声で叫ぶ。
水仙はため息を吐く。
「おい、コーヒーとサンドイッチこっちに持ってこいって言ったよな」
ギロリと睨まれたじろぐ強盗犯。
「お、お前状況がわかってないのか!?」
銃を突き付けられた状態、一瞬のうちに命を奪われかねない状況でこちらに命令口調で指示を出してくるなど正気の沙汰ではない。
この状況に強盗犯の方がよっぽど泣きそうだった。
今にも泣きそうな強盗犯と気にも留めない水仙。
膠着したまま時間は一秒一秒と流れていく。
事態が動いたのは、遠くからのサイレンが聞こえて来た時だった。
強盗犯は露骨に焦り出す。
逃げた店員か客が通報したのだろう。
この後のことなど何も考えていない。
逃げるべきか。
しかし、まだ何も盗っていない。
「ほら、警察来るぞ」
「う、うるさい! 黙れっ!」
水仙はいかにも意地が悪そうににやにやと笑っていた。
事態が動いたからだ。
「早くしねぇと、すぐに捕まるぞ」
「うるさいっ!」
「お前まだ何もしてないだろ?」
「黙れっ! 黙れ黙れ黙れ!」
強盗犯は半ば発狂しながら銃を水仙の頭に押し付けた。
水仙は押し付けられたその銃身を掴み、更に強く自身の頭に押し付けた。
強盗犯と水仙の目が合う。
水仙はこの状況で口角を上げ、鼻で笑った。
「で? お前はどうするつもりなんだ?」
サイレンが近づく。
冷や汗が頬を伝う。
頭が真っ白になっていく。
強盗犯はもうどうにも動けなかった。
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