ライフインホワイト 17(終)
6/
ブブ……――
枕元のスマートフォンが震える気配があった。
夢現の出来事に意識は的確な反応を示さなかったが代わりに無意識が応えた。
枕元のスマートフォンを持ち上げ、画面を仰向きで寝る顔の上へ。
が、しかしほぼ寝ているといっていい状態の俺がそこまで器用に力を込められるはずもなく手にしたスマートフォンは手から滑り落ちた。
結果――
「いでッ……!!」
スマートフォンは顔面に直撃し、痛みによって半ば強制的に目が覚める運びとなった。
「痛ッ……。え? 何?」
何事か、と起き上がり左右を確認するが自分が悪いので何があるわけでもない。
数秒、そうしてからやっと自分が夢の世界から抜け出してきたという事実に気付き、前述の自分の行動も理解した。
何処かにあたってやりたいがなんせ自分が原因、どうしようもない。
起き抜けからなんともげんなりした気分になりながら、鼻を擦った。
痛い。
さらに数秒そうしてから立ち上がった。
カーテンを開く。
それだけで一層寒い空気が部屋を満たした。
「うわ、寒っ」
強制的に目が覚めていく。
空を見ればどんよりとした厚い雲が覆っていた。
いつもなら憂鬱なそんな天気も今日という日に限ればちょっぴり胸が躍る。
そんな奇妙な清々しさを持った朝。
少しだけそんな天気を眺めてから枕元に落としたままのスマートフォンを手に取った。
パッと画面が表示される。
日付は十二月二十四日。
クリスマス。
時刻は十二時半を既に過ぎていた。
「フフフ……」
訂正。
朝ではなく奇妙な清々しい昼。
そして――
「……また、遅刻だ……」
慌ただしい準備の始まりだった。
もうこうなってしまっては仕方がないと半分諦めながら大学に向かったのだが、ついたのは何故だか今回も一時半頃。
なんとも不思議なこともある。
そう思いながら足は食堂へ。
今日も既に出るハズだった午前の講義は終わっているので、腹ごしらえを先にしようという魂胆である。
おそらくいつものグループがいるだろうと決め打ちで丁度昼時で混んでいる食堂の中をきょろきょろと見回す。
すぐに彼らを見つけた。
「おーい」
今日は俺の方から声を掛けた。
「ん?」
「お、宇野じゃん」
「なんか久々に見た気がする」
五人それぞれの反応を受け取る。
彼らの歓迎ムードにホッとした。
「いやぁ、最近忙しくて。今日も爆睡こいててさっき来た」
「また遅刻かよ」
「宇野、単位大丈夫なのかぁ?」
彼らの質問を適当にいなしながら席に着いた。
やいのやいのと騒がしいのもなんだか日常が戻ってきたようでうれしかった。
少し意外だったのはあの夜、バス停で出会った彼が突っ込んで事情を聴いてこなかったことぐらいだ。
おそらく気を遣ってくれたのだろう。
彼は俺の表情を見て何かを察したのか小さく笑ってくれた。
「さて、と」
「ん?」
話もそこそこ、五人がテーブルから立ち上がった。
「悪い、宇野。俺らこれから次の講義までにレポート書かなきゃならねぇんだ」
「コイツ、もう単位落とせねぇから必死なんだ」
「うるせぇ。それで悪いんだがもう行くな、席は自由に使ってくれ」
「じゃあまたな」
「お、おう……」
テーブルに食器が無いのはおかしいと思っていたがどうやら既に食事を済ませた後だったようだ。
昼時の喧騒の中、急にポツンと一人になった。
寂しいやら、手持ち無沙汰やら。
しかし、彼らも忙しいのでしょうがない。
食事を取りに行く間、どうやって席を確保しておこうか、という問題をぼーっと考えた。
考えていると対面の席からがしゃという音がした。
誰かが食器を机に置いた音。
目を向ける。
「ここ空いてるんだろ? 座るぞ」
ギターケースを持った幼馴染――風島清景はお前の意見は訊かないという声音でそう言った。
こちらがはいとかノーとか言う前に清景は席に着く。
マイペース。
この幼馴染いつもそうだった。
こちらが呆けているうちに、清景は両手を合わせてから食事を始めてしまった。
「……相変わらずだなぁ」
「?」
うどんを啜りながら清景は首を傾げた。
俺は諦めたようにため息を吐いて、少しだけ身を乗り出した。
「今日、ライブじゃなかったのか?」
「ライブがあっても講義はあるだろう。それにライブは夜から」
「あぁ、なるほど」
「お前こそ、大丈夫だったのか?」
清景が食事の手を止めてこちらを真っ直ぐに見つめてきた。
なんと返したものか。
言海はきっと清景に説明をしていないし、清景も特にこの間の事件について何かを知っているというわけではないだろう。
清景が知っていることと言えば俺が事件に突っ込んでいったことと言海が介入する様な事件だったということぐらいだろう。
その上で、この問いかけ。
胆力があるというか、諦観を極めているというか。
または興味がないのか。
そこまで考えると少しだけ笑ってしまった。
「とりあえず問題なく解決したよ。ありがとな、言海に伝えてくれて」
「なに、俺がそうしたかっただけだ。気にするな。それに解決したなら良かった」
清景はほっとしたような声音でそう言った。
「ま、俺はいいけど説明するべき人にはきちんと説明しておけよ」
「あー、まぁ……」
まっとうな意見に殴られた気分であった。
この事件で説明するべき相手と言われれば真っ先に思い当たるのは金江会長と綾瀬さんの二人だろう。
実は金江会長に対しては事件が解決したあとすぐに通話を介してある程度の説明は済ませておいた。
とは言っても事件が事件だけに話せないことも多い、隣に居てくれた言海とも相談しながらなんとか辻褄合わせをして、内容を話した。
金江会長はいくらか訝しげにこちらの話を聞いていたようだが、最終的には綾瀬さんと俺が無事であることを伝えると涙ぐんだ声で「良かった」と呟いてくれた。
綾瀬さんに関しては、今回の事件に関する記憶に『協会』の手が入っているはずだ。
なので、どの程度覚えていてどの程度忘れているのかも見当がつかない。
その代わり、綾瀬さんの社会的な問題、バイトや大学を一週間休んだことなどに関しても『協会』からの保証が入っているらしい。
『協会』がその辺の事情をきちんとやってくれているというのも、琴占言海が直々に付き合ってくれたらしいので保証されている。
他の人物、と言えばあとは有村夕夏と琴占言海だろう。
元々事件を追っていた有村夕夏に関しては『協会』が間に入って上手いこと説明してくれただろう。
正直、彼ら彼女らと会うのはこちらも居心地が悪いのでできれば顔を合わせたくない、という本音もあった。
言海については調べたいと思えば自分から調べられる上、俺に直接訊くという事も出来る。
しかし、今のところ俺の怪我や経過に関する問いかけ以外に連絡が無いので、そもそも今回の事件に関して特筆して気に留めていないのだろう。
と、事件についての説明をする人物と言えばこの程度だろう。
なので説明自体は済んでいるのだが、綾瀬さんも金江会長もなんせ対面したわけではない。
改めて言葉を交わす必要はあるだろう。
それはわかっているが、なんとなく気が重い。
それは何故だろうか。
はぁ、とため息が漏れた。
「なんだか深刻そうだ」
「うーん……」
深刻なのだろうか、それすらもよくわからない。
首を捻る俺に清景は苦笑してから息を吐いた。
「話は変わるが、お前にプレゼントをやろう。クリスマスだしな」
「あ?」
そう言って清景は財布から長方形の紙を二枚取り出してこちらに渡してきた。
現金、ではないだろう。
受け取ってみる。
「まぁ、暇なら誰か誘って気分転換にでもどうだ?」
それはライブのチケットだった。
クリスマスライブという大きな文字と三組ほどのバンド名が記されている。
そのバンド名の一番上に書いてあるのが清景のバンドである、という知識だけはあった。
今までライブというものに行ったことがなかった。
清景のバンドのライブに誘われたことは数回あったが、なんとなく足を運べなかった。
でも――。
「……考えてみるよ」
今日はチケットを受け取ってみた。
清景の表情はそれほど変わらなかったが、俺の返事にわずかに口角を上げた。
講義が終わって、日は傾いていた。
足を運んだのはいつも通りの文芸部の部室。
扉を開けるのには、深呼吸が必要だった。
大きく吸って、吐いて。
それからドアノブを握った。
がちゃ、と音立てて扉が開く。
「……あれ?」
意を決して開けた扉の先には誰もいなかった。
綾瀬さんも金江会長も。
なんだか拍子抜けだ。
息を吐いて肩を落とした。
カバンを机に置く。
しかし、扉の鍵は開いていたし明かりもついている。
お手洗いにでも行っているのだろうか?
ぐるりと部室を見回してみた。
ほとんどいつもの部室と変わらない状態だったが異質なものが一つ。
「なんだ?」
金江会長がいつも座っている一番奥の机の上。
二十五センチ四方程度の四角い箱とその上に紙切れが乗っている。
何か、と近づいてみれば紙切れは金江会長の置手紙で箱はお菓子の箱のようだった。
手紙の内容を要約すれば、急用ができたので今日は帰る、お菓子はクリスマスプレゼントということにして好きに食べてくれ、それからこれを見たサークル員は責任もって鍵を返しておいてくれ、とのことだった。
どうやら金江会長は本当に帰ってしまったらしい。
てっきり事件に関して聞かれると思っていたのだが、金江花という女性は思った以上にドライだった。
助かった、と言っていいものやら。
居ないものは考えても仕方ない。
切り替える様にお菓子の箱を開いてみる。
中身はなんだかお高そうなチョコレート菓子だった。
いくつか数が減っているが、金江会長か他のサークル員が食べたのだろう。
俺も一つ手に取って食べてみようと幾つか種類のあるらしいお菓子を選んでいる最中だった。
部室の扉が開いた。
「お疲れ様です」
透明感のある涼やかな綺麗な声。
その声だけで訪問者が誰か分かった。
綾瀬さんだった。
自然と背筋が伸びた。
そして目あった。
「あ、っと……。その、お疲れ様。綾瀬さん」
「あ……、はい、お疲れ様です。宇野さん」
お互いにぎこちない。
なんとなくすぐに顔を逸らしてしまった。
おそらく綾瀬さんもそうだろう。
しばらく無言のまま、綾瀬さんが荷物を置く音だけが部室に響いた。
何から話していいものやら。
というか、考えてみれば俺は『協会』が綾瀬さんの記憶をどのように操作したのかを知らない。
なので、声のかけようがよくわからなかった。
そんなことを考えているうちに綾瀬さんは荷物を置いていた。
「あの……」
「え……、あ、はい」
「あの私、一週間くらい学校休んでたみたいで、その迷惑かけました……よね?」
どうやら『協会』は特に記憶をいじらなかったらしい。
要するにぽっかりと綾瀬さんの記憶には空白部分だけが出来たということだろう。
雑なのか、はたまたそれが最善だったのか、俺には判断のしようがない。
しかし、そうなればもう話を合わせるしかないだろう。
「いや、そんなことないですよ」
出来る限りの笑顔を作って、そう返した。
これでいいのだ。
あんな事件に巻き込まれた記憶など無い方がいいに決まっている。
「そう……ですか?」
「えぇ。あ、もちろん心配はしてましたけど」
「あ、ありがとうございます。え、でも……?」
綾瀬さんは何かが引っかかるのか、頻りに首を傾げていた。
俺はそれ以上は特に気にせず金江会長の置いていった箱の方を指差す。
「今日はもう金江会長は帰っちゃったみたいですよ。あと、あれ会長からのクリスマスプレゼントらしいです」
俺がそう言うと首を傾げていた綾瀬さんは視線を移した。
「あ、そうなんですね」
「俺も今、食べようと思ってたところなんで、一緒に食べません?」
「それじゃあ……」
綾瀬さんの方に箱を渡す。
綾瀬さんは少し時間を掛けてお菓子を選んだ後、こちらに箱を返した。
俺はそれを受け取り、適当な一つを取って箱を会長の席へと戻す。
時間を掛けて選んでいるところをなんとなく見られたくなかった。
くだらない見栄だな、と自分でも思う。
それから、二人でお菓子を食べた。
その間は無言だった。
会長のプレゼントのお菓子は決して大きいものではない。
食べ終わるのにも大した時間はかからない。
すぐに食べ終わってしまった。
手持ち無沙汰に時計を見る。
清景たちのライブが始まるまではまだ存分に時間の余裕があった。
本でも読むか……。
そう決めて、背後の本棚に目を向けたところで綾瀬さんに渡す物があることを思い出した。
「あ、綾瀬さん」
「なんでしょうか?」
「えーと、実は渡したいものがありまして」
「渡したいもの?」
「はい」
カバンを漁る。
すぐに見つけた。
それは一冊の単行本。
それを綾瀬さんに差し出した。
綾瀬さんは疑問符を頭に浮かべながら受け取り、本を開いて、表情が驚きに変わった。
「え、宇野さん。これって……!!」
「あー、実はその……、綾瀬さんの好きなその作者の人と、まぁちょっとした知り合いでして……」
渡したのは琴占言海の本。
彼女がサインをした本だった。
綾瀬さんが自身のファンであると知った言海に強引に渡されたものだった。
必ず渡せ、と。
「綾瀬さんのことを話したら是非その本を送りたい、って言われて」
「そうだったんですね……」
綾瀬さんは感動したようにしばらく本を眺めていた。
これだけ喜んでくれたら言海も送ったかいがあるだろう。
「……。その、ありがとうございます。宇野さん」
しばらくして綾瀬さんが口を開いた。
「あ、いえ。俺じゃなくて琴占言海さんに感謝してあげてください」
「いえ、違うんです……!!」
本を見ていた綾瀬さんが顔を上げた。
必然、目が合う。
おもわず息を呑んでしまった。
「その……。私全然覚えてないんですけど、なんだか宇野さんに助けてもらったような気がします」
「あ、いや、それは……」
「夢……なのかもしれません。だから、見当違いなことを言ってるかもしれないです」
そこで言葉を切って、そして綾瀬さんはうっすらと微笑んだ。
「ありがとうございました」
「……」
綾瀬さんが覚えているわけない、と思った。
きっと何かの見当違いなのだろう、と思った。
事件のことは覚えていない方がいいだろう、そう思った。
そもそもあれは俺が助けたといえるのだろうか疑問がある、そう思った。
それでも――。
彼女が覚えていてくれていて嬉しいと思う自分がいた。
情けない。
やっぱり俺は主人公(ヒーロー)の宇野耕輔ではないのだろう。
「……あ、宇野さん。見て下さい、雪です」
「え?」
綾瀬さんが俺の後ろ、窓の外を指差した。
つられる様に振り向けば、窓の外を白い欠片が舞っているのが見えた。
「あ、ほんとだ」
「ホワイトクリスマスですね」
「……そうですね」
綾瀬さんの言葉に俺は空返事しかできなかった。
他の事で頭が真っ白になりそうだったからだ。
清景に貰ったチケット。
あれは確か二枚なかっただろうか。
これから、隣で嬉しそうに微笑んでいる綾瀬さんを何とか誘えないだろうか。
そんな下らない事で頭が真っ白に染め上げられそうだった。
俺は高校二年の冬、主人公としての能力と自分自身を失くした。
以降の俺、今ここにいる俺は抜け殻の、主人公ではなくなった宇野耕輔だ。
だから、きっと、外を舞っている白い欠片が世界を覆ってしまうように。
何もない白い人生を歩いていくのだろう。
ただ、いまは。
ただ、いまはそんなことはどうでもよかった。
目の前の真っ白を見つめながら――
完
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