『キャンプ』
夕日がすぐ近くの山々の間に落ちていくのをぼんやり眺めていた。
昨日、一昨日とこの時間を同じように過ごしているが、飽きたとは微塵も思わなかった。
普段の喧騒から離れた、こんな山奥でこうしてのんびりと過ごせる時間は貴重かつ贅沢極まりないものだろう。
日が落ちれば気温は一気に下がる。
が、それでもその風景を見つめていた。
普段からぼんやりと風景を眺める時間が好きで、知人にはその行為を不思議がられることも多い。
思い起こせば、こうして時間を過ごすようになったのはきっと幼馴染の影響なのだと思う。
まだ小さい時の幼馴染がこうしていた姿がすぐに思い出せる。
ただ、幼馴染の瞳にはきっとただただ流れる風景だけが映っている訳ではなく、幼馴染にしか見えない世界が、その時から既にはっきりと見えていたのだろう。
きっと、幼馴染の目に映るその風景を、同じように見たくて、こうして風景を眺めるようになったのだと思う。
きっと、その世界が見えることは無いけれど、それでも同じ時間を過ごしたかった。
きっと、同じ時間を通して感じられる何かが俺たちにはあって、だから今もこうして風景を眺めてしまうのだろう。
「……そろそろ火を焚かなきゃな」
夜の帳を降ろし始めた真っ赤な空が寒さを連れてくる。
何もない山の中で寒さをしのぐ手段は火ぐらいしかない。
呟いて、座っていたアウトドアチェアから立ち上がり、明るいうちに集めておいた薪を取りに行く。
1/
異郷の地だった。
時差が16時間近くある土地で、わざわざ山奥でキャンプすることになるとは考えてもいなかったが、のんびりと時間の流れる体験は、確かに贅沢で楽しいものだった。
熾した火に薪をくべる。
時折、パチッという薪の弾ける音が辺りの森に響く。
「これだけでも延々と聞いてられるな……」
思わず苦笑してしまう。
寒さは火のおかげで耐えられない程ではない。
森の方に目をやっても何の気配も感じられなかった。
もう少し、帰ってこないだろう。
近くに置いた黒いハードケースに手を伸ばした。
中にあるのはアコースティックギターだ。
手早くチューニングを合わせて、滑らかに一曲弾き始める。
静かな、穏やかな曲。
好きなゲームのBGMの一つ。
雰囲気を壊さない楽曲。
~~~~
演奏が終わると拍手が聴こえた。
数曲を続けて演奏していて気が付かなかった。
拍手の聴こえたほうに目をやれば、見知った男が帰ってきていた。
「お帰り。いつの間に帰ってきてたんだ?」
「ん? ついさっきだよ」
言いながら男も座って火に当たった。
「言ってくれれば演奏止めたのに」
「そんなの勿体ないだろう。俺はお前の演奏好きなんだよ。知ってるだろう? 清景」
「……そう。じゃあ、次はジェームズが弾いてくれよ」
ギターを持ち上げて手渡す。
「よし来た」
帰って来たばかりで多少なりとも疲れていると思ったのだが、ジェームズは嬉しそうにギターを受け取った。
軽くチューニングを直して、すぐに弾き始めた。
「で、獲物は獲れたのか?」
演奏が終わったジェームズに訊ねた。
「ん? おう、バッチリ」
ギターを仕舞いながら、軽快な返事が返ってきた。
どうやら狩りはうまくいったらしい。
風島清景は大学生の長い夏休みを利用してジェームズの故郷の地を訪れていた。
ジェームズに出会った当初から誘われていたことだったのだが、一昨年は受験が、昨年はバンドを結成したばかりで練習やライブを行っていたためにうまくスケジュールが作れなかった、そして今年ようやくスケジュールの余裕と決心がついたため、遂に国外旅行となった。
八月の後半から九月の中盤までの一か月弱の滞在なのだが、バンドメンバーで友人のジェームズ・ハウアーが終始付き合ってくれるので、特に心配するようなことは無かった。
宿や移動手段、食事、通訳、ボディーガードに至るまでジェームズが特に苦にすることもなくこなしてくれている。
言葉に関してはジェームズの通訳もあるが、清景もジェームズに習っているので多少は心得があり、それほど不自由がなかった。
旅の前半は観光地を回ったりしていた。
各地の有名な観光地巡りも楽しかったが、ギター好きな二人で行ったギターの工場見学は特に楽しかった。
後半はジェームズの家を中心に、二人で練習や作曲をしたり、ジェームズのよく行くライブハウスやジャズバーなんかでライブをさせてもらったりしていた。
そんな風に過ごしていた旅の後半であったが、つい2日前、清景は突然ジェームズに山に連れてこられることになった。
なんでも、害獣駆除の依頼がわざわざジェームズに来たそうで、そのついでで山籠もりをする格好となった。
ジェームズはギターを仕舞った後、自分の荷物の中から既に綺麗に解体された肉を取り出した。
「解体してるとこ見たくないだろうから、解体も終わらせてきた」
「なんの肉?」
「兎」
山に入ってからの食事は、持ってきた食料もあったがジェームズが害獣駆除のついでに食べる分の獣も狩って来てくれるので、それらの肉を食事にしていた。
ジェームズはナイフを使って近くの枝から手早く串を作ると、肉を刺した。
それを二本ほど作って、軽く塩コショウを振る。
次に余った肉を鍋に入れる、香草と水を足して、塩コショウで軽く味をつける。
あとは持ってきているパンを焼けば、山の中では十分に豪勢な食事になる。
串焼きと鍋を火にかけたまま、のんびりと過ごす。
頭上には既に星空が広がっていた。
幸いなことにここ2日は雨が降っていないので、毎日見ている空ではあったが、異国の都会で暮らしている清景からすれば何度見ても新鮮な光景であった。
「そういえば、害獣駆除ってどんな動物を狩ってるんだ?」
空を見上げたまま、今更な質問をしてみた。
そういえば訊いていなかったことを思い出した。
「え? あー……、獣だよ。獣狩り」
「獣? ……あぁ、なるほど。わかった」
どうにも曖昧な返事であったが、逆に大体の事情は察することが出来た。
おそらくジェームズの『仕事』の関係なのだろう。
別に言ってくれても、首を突っ込もうとは思いもしないのだが、ジェームズ・ハウアーも琴占言海も、未だにそちら側の話を清景には極力しないようにしているようだった。
出来る限り、巻き込まないための配慮であることは言われなくてもわかっているので、清景も相変わらずそれ以上詳しく突っ込むような真似はしない。
お互いに、今更その関係に何かを思うような薄弱な関係ではなく、お互いを想うからこそ特に言葉は必要ない。
「……しかし、大変だな。危なくないのか?」
「俺らからしたら危なくは無いかな」
俺ら、というのはジェームズと言海だろう。
逆に言えば、その二人以外の大多数の人間にとっては脅威という事でもあるのだろう。
清景には想像もつかない世界の話だった。
「どっちかというと、狙ってる奴と出会うよりも熊と出くわした方がびっくりする」
「……熊出んのか、ここ?」
聞いていなかった。
途端に想像できる恐怖がやってきた。
「出るな。たまーに出くわすんだ」
「……不安になってきた」
「大丈夫だ、この周辺は危険な生物が近寄らないようにしてるから」
仕組みはわからないがジェームズが何とかしてくれているようだった。
こういう時に、大人しくホッと胸をなでおろせるのは琴占言海との付き合いの長さによるものなのだろう、と思う。
火にかけている食材からいい匂いが香り出した。
が、もう少し時間がかかるだろう。
ジェームズが再びギターを構えていたことに気付かなかったのは、清景が空を眺めていたからだった。
弦を弾く音が聴こえて、ジェームズの方を見れば、口角を上げて笑っていた。
やがて、ギターが知っている旋律を奏で始めた。
バンドの曲、清景が作った曲だった。
歌え、という事だろう。
前奏の終わりに歌いだしを合わせて、声を出した。
夜の静かな異国の森に、清景の音楽が響いた。
完
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