FUSE 1

 気が付けば、また海岸沿いへと足を運んでいた。
 滅多に車の通らない閑散とした国道沿いの、ろくに整備もされていないボロボロの柵の向こうにはいつもと同じ砂浜と海、そして濃い橙をした夕陽がぽっかりと浮かんでいる。
 季節は夏で、連日猛暑日を記録しているらしいのだが、海風の吹くこの場所、この時間帯は適度に過ごしやすい気温だ。
 そんな場所で、俺はといえば特に何をする訳でもなく時間を浪費するように、ただただぼうっと静かな海を何時間も眺めているだけだった。

 海にいい思い出はなかった。
 両親も親類も、小学校のクラスメイト達も海の底に連れて行かれてしまったからだ。
 俺の大切だったものの全て。
 磯の臭いと錆びた鉄の臭い、火と焦げの臭いに硝煙の臭い。
 それらの強烈な臭いと共にそれまでの日常は一瞬にして崩壊してしまった。
 だから、きっとその時に、彼らと共に俺の心の何処かも海の底に持って行かれてしまったのだと思う。

 海の見えるこの地元を離れる選択肢はずっとあった。
 全てが狂ってしまったあの日、何も俺だけが特別に被害を被った訳ではなく日本中に同じように『被災』した人間は多かった訳で。
 被災者の多くは『海』という存在にトラウマを覚えてしまい、ここのように海の見える場所から遠ざかることを半ば強制的に選択するしかなかった。
 被災者の中には当然、当時の俺と同じような年齢の子供達も多く、結果的に国からの支援は手厚く、進学の度に疎開の提案がされていた。
 それらを断り続け今や大学生となってしまったのだが、何故という理由を訊かれてしまうと、それを説明することは多分出来ない。
 その理由は、それこそ俺の心の一部が海の底に持って行かれてしまったからなのだろう。
 自分の内面の一部分にぽっかりと穴が空いている。
 それが自分の手が決して届かない海の底に行ってしまったものだから、たぶんこうして海から離れられなくなってしまったのだろう。
 そうでもなければ好きでもない海を、こうして何時間ただただ眺めているような正気の沙汰とは思えない行為をすることもないだろう。

 濃い橙だった夕陽が段々と紅に近づいて来ていた。
 青かった海も次第に黒く染まり始める。
 遠く、大きな入道雲が浮かんでいた。
 俄雨にでも振られればたまったものではない。
 俺は何かを口にすることもないまま踵を返し、帰路へと就いた。

1/
 今から約20年程前『それ』は突如としてこの星に飛来した。
 『それ』というものがなんなのかについては今を持って説明出来る言説を人類は有しておらず、宇宙科学分野におけるダークマターやダークエネルギーの正体であるとか、量子力学や先端物理学分野における多世界解釈によるあーだこーだとか、はたまたきな臭い連中の言では神の存在の証明であるとか、様々な憶察を口にする者達は依然として後を絶たないが専門家である程『それ』の正体に関しての推測を口にしないということは、つまりそういうことなのだろう。

 正体は分からずとも『それ』は確かに宇宙空間で淡い光を放ち、地球に降り注ぐものとして人類の目に映った。
 人類は正体不明の天体ショーとしててんやわんやの大騒ぎになったのだが直ちに問題は起こらず、結局多くの人間の頭の中では過去の出来事として処理されていった。
 ただし、ほんの数年後から人類は『それ』が齎した様々な現象と向き合うこととなる。

 最初は些細な変化であった。
 人類のほんのごく僅かな者達が視界の端に時々もやがかった妙なものを時々見るようになった。
 その時点では殆ど問題視はされていなかったが、この国をはじめとしたほんの数カ国では他の地域に比べてサンプル数が多く報告され、その原因を調べ始めるに至った。
 しかし原因は不明。
 原因が不明のまま事態は更に加速していく。
 最初の報告から二年後、視界の端に小さな、数十センチ程度の大きさの人型の何かや猫のような何かを見るもの達が現れ始めた。
 奇妙なことに彼らは最初のもやがかって見える者たちと同じところにその姿を捉えるので、それが同一のものである事がわかった。
 相変わらず原因は不明であったが明らかに光が降り注いでから起きた現象であったため、宇宙から飛来した『それ』の影響であるということがまことしやかに囁かれるようになっていった。
 その間にも様々な不思議な事がおこった。
 些細な特殊能力のようなものを操るようになった者が現れたり、正体不明の真っ黒な海洋生物が報告されるようになったり、中には異世界からやって来たと名乗る人間が現れたりもした。
 世界は確実に少しづつ変化をしていたが、人類全体とってはほんの些細な、極小規模な変化でしかなく大多数のそれらに関わりのないほとんどの人間にとっては変わらない日常が経過していった。
 しかし、世界は確実に狂い始め、その歪みが齎したものは決定的なモノであった。

 そしてあの日が訪れる。
 平凡な日常を享受していた人類を嘲笑うかのように、全てが狂ってしまったあの日が――

2/
 『――他国からは軍事力保持と増強のための方便でしかないのでは、という批判も多数挙げられていますが……』
 テレビに映し出されたニュース番組の女性レポーターが、いかにも確信を突いてやった、という顔で画面の中のレポーターの向かいに座るいかにもきっちりしたスーツ姿の初老の男性に質疑を投げかけた。
 対する初老の男性はきわどい質問に対してただ悠然と顎を指でなぞる仕草をした後、口を開くのだった。
 『そもそも現在の【海群】は国が直接所有する軍事力ではないし、彼らは彼らで独立した法人だ。つまり【海群】の増強は私の――ひいては国の明確な指針というわけではない』
 もちろん、その利益の大きさは国に大きな影響を与えはするがね、と付け足して一度言葉を切った。
 その隙に、もう一度口を挟もうとレポーターが口を開きかけたが、レポーターを制するように初老の男性は言葉を続ける。
 『そもそも、だ。他国からの批判、というが今となっては世界一の制海権を誇る我が国の海上軍事力が陥落してしまえばほとんど多くの国は困ることになるのではないだろうか』
 男性の言葉にリポーターは薄く、しかししっかりと苦い顔をした。
 『……しかし【彼女ら】を対新生物用の兵器として利用することに関しては未だ「人道に反する」という批判も多い事実が――』
 数瞬、間をおいてリポーターは苦し気に言葉を吐き出した。
 が、その言葉も遮られてしまう。
 『その件に関しても、多くの国で【彼女ら】の研究、建造、実戦使用がされている中で最も人道的に【彼女ら】を認可しているのは我が国のはずだ。もちろん未だ法整備が追い付いていないことも事実であるが、その批判は多くの他国が真っ先に受けるべきことだと考えている』
 ぴしゃりとした物言いに画面の前の俺ですら思わず苦い顔をしてしまう程だった。
 レポーターはそれでも果敢に質疑を繰り返そうとするがそのたびに同じようにぴしゃりと言い返されていた。
 どちらがどうであれこういう場面を見てしまうのはどうも苦手だった。
 そんな風にぼうっと、大人二人がすれ違える程度しかない狭いバックヤードでテレビ画面を眺めてると声を掛けられた。
 「――いやぁ、ごめんねー。山瀬さんが急に来れなくなっちゃったみたいでさー」
 声の方を向けば、制服に身を包んだ気の良さそうな小太りのおじさんがカウンターの方から歩いてきていた。
 「いや、いいっすよ店長。どうせ今日、講義も午前中だけで暇だったんで」
 先程まで眺めていたテレビ画面から目を離し、制服に袖を通しながら返事をした。
 適度に忙しく、適度に暇なこのコンビニエンスストアのアルバイトも既にそれなりに長くやっている。
 良く言えば店長に信頼されていて、悪く言えば店長にいいように使われているので今日のような急なシフト変更の連絡が来ることも、まぁそれなりにあった。
 とはいえ、一人で生きるには少なくないお金が必要で、そういう意味で言えばシフトが増える事を断る理由も無い。
 店長には聞こえないように小さくため息を吐いて、制服のチャックをしめた。
 さっさと仕事を始めようとしたが狭い通路を塞ぐように今度は店長がぼうっとテレビ画面を見ていた。
 「相変わらずさぁ、この総理はズケズケと物を言うねぇ」
 うんざりしたように文句を呟いた。
 店はいいのか、と店内の様子を映す別のモニターを見てみれば店内には誰もいない。
 つまり暇なのだろう。
 「僕は苦手なんだよねえ」
 返事を求められているのか、それとも独り言のつもりなのかよくわからない。
 画面の中では相変わらず初老の男性がレポーターの質問に答え続けている。
 言葉を返せないまま俺は、ただただテレビ画面を見つめる事だけしかできなかった。

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