『楽園の戦士』

 「で、あんた達なんなのよ」
 人通りのない路地はただでさえ薄暗かったが、空に今にも降り出しそうなどす黒い雲が停滞しているせいでいつも以上に暗くジメジメした雰囲気を強調しているようだった。
 「……【楽園の戦士】」
 目の前に立つ黒ずくめの男が低い声でぼそりと呟いた。
 「聞いたことないわね。それで私に何か用事かしら?」
 吐き捨てるような言葉に、男は手を前に出した。
 制止する様な仕草。
 「……我々は争うつもりはない」
 「……そう」
 呆れたような声音で呟いてチラリと周囲を確認した。
 目の前には黒ずくめの大柄な男が二人、後ろにも同じ格好の人物が一人、左右は塀。
 囲まれているのは明白だった。
 これでも敵対の意思はないそうである。

 ついでに空の様子を確認。
 台風が接近中とのことで、いつ降りだしてもおかしくない様子だった。
 (降る前に帰りたいところだわ……)
 八重咲桜という少女にとって一番の気がかりは其処であった。
 

1/
 「今日はここまでにしようか」
 上座で作業していた神奈恭弥(かみなきょうや)が言った。
 言われて、作業に集中していた桜は腕時計を見た。
 時刻は15時半といったところであった。
 「……いつもより早いわね」
 桜も思ったことを恭弥の隣に座る黒谷美亜(くろたにみあ)が代弁してくれた。
 季節は夏休み。
 世間一般がそうであるように、暁高校も例外ではなかった。
 とはいえ、部活などはあるもので、生徒会も細々した仕事がいくつかあった。
 早めに仕事を終わらせておきたい、という生徒会一同の思いから夏休みの初週である現在も毎日のように登校していた。
 時間は昼過ぎから夕方ぐらいまで、いつもよりものんびりと仕事を片付けているとはいえ、通常と変わらない時間ぐらいまでは学校に残っていた。
 しかし、今日に限ってはいつもより一時間半近く切り上げようと会長である恭弥が提案したので疑問に思ったのだった。
 生徒会の面々の視線が集まる中、恭弥は窓の外を指さした。
 さされた通りに窓の外に目を向ける。
 「あー……。なるほど」
 声を上げたのは空灯院露紀(くとういんろき)だった。
 空には真っ黒な雲が立ち込めているのが目に入った。
 そういえば、台風が夕方から接近するという予報であった事を思い出した。
 「ね? いかにもヤバそうだ。今日はもう上がってしまおう」
 夏休みはまだまだ始まったばかり、仕事を急ぐ理由もそれほどない。
 恭弥の提案に反対する者は特にいなかった。
 全員、各々片づけを始めた。
 
 「そういえば布団を干したままじゃなかったっけ?」
 「そうだったわね。錬樹に連絡しておきましょう」
 恭弥の言葉に美亜が答えるとスマートフォンで連絡を打ち出した。
 学校には既に部活動の生徒の姿も無いようで、生徒玄関も静寂に包まれていた。
 「それじゃ、みんなも気を付けて帰って」
 恭弥はそう告げて、美亜と二人で帰っていった。
 「私たちも帰りましょうか」
 「そうしましょう」
 生徒会の面々もそのほとんどが既に帰っていた。
 残ったのは桜と彩歌灼奈(さいかしゃくな)の二人だけであった。
 灼奈の同意を得て、二人は玄関を出た。
 空は先ほどよりもどんよりとしており、時折強い風も吹き始めていた。
 いかにも、これから天候が崩れていくことを告げているようだった。
 「この風じゃ、雨に降られても傘はさせないわね」
 ため息を吐くように灼奈が呟いた。
 「降ってくる前に帰るしかないでしょう」
 「そうね……。あー、でも買い物はしておきたいわね」
 灼奈が赤茶色の長い髪を掻いた。
 灼奈は両親の居ない彩歌家の調理場を仕切っており、学校帰りによくスーパーに寄っている。
 今日に関しては食材が無い、というよりは万が一に備えて買い物をしておきたいというところなのだろう。
 「私も行こうかしら」
 両親と祖父母、それから弟と共に暮らしている桜には、今日急いで買い物に行く理由は特になかったが、気が向いたので灼奈に付き合うことにした。
 二人は近場のスーパーに向かっていった。
 
 
2/
 灼奈と別れ帰路に着いていた。
 天候は先ほどよりも悪化しており、風が強く吹いていた。
 今に降り出しそうな天気のせいか周囲に人の気配もない。
 安かった食材をつい買ってしまったせいで買い物袋を提げて帰宅する羽目になったので、降り出す前に帰らなければならない。
 桜の家まではあと10分といったところで、それぐらいは雨も持ってくれるだろう。
 色々買い物をしてしまったが今日の夕食は何だろうか、と考え始めたところで桜のスマートフォンが着信を告げた。
 買い物袋で片手が塞がっていたが、桜は器用にスマートフォンを取り出し、操作する。
 「もしもし」
 『……桜、助けてくれ』
 通話を繋げれば、何の前置きもなしに通話の相手が助けを求めてきた。
 はぁ、とため息を吐いてやった。
 通話の相手は木元鬼丸。
 どうせ面倒を押し付けられるのだろう。
 「……なによ」
 『飯がねぇ』
 「はぁ?」
 『母さん、今週父さんに着いて海外行ってんだよ』
 「知らないわよ」
 『さっき起きたらジジイもいないし、ご飯が無い』
 「いつまで寝てんのよ。もう4時半なんだけど」
 『頼む、うち来て飯作ってくれ』
 「いやよ。東崎君でも呼べばいいじゃない」
 『アイツ、今日連絡つかねぇんだよ』
 「これから台風来るんだけど?」
 『泊まっていいぞ』
 はぁ……。
もう一度、大きくため息を吐いてやったが、それでどうこう思うような相手ではないことを桜は身をもってよく知っている。
 都合が悪いことに食材も買い揃えてしまっている。
 何処かから監視されてるんじゃないか、というタイミングだったがあの面倒臭がりがそんな事をするわけもなく、ただただ運がいいというだけだろう。
 「はぁ……。……アンタ、感謝しなさいよ?」
 『してるしてる。じゃあ、玄関空けとくから勝手に入ってきてくれ』
 ブツリ、と通話が途切れた。
 絶対に何も考えていない。
 一瞬、怒りを覚えるがすぐに呆れに変わって、沸き上がった怒りはため息として口から吐き出された。
 あの男に馴れてしまっている自分に多少の哀しさと同情を覚える。
 「……まぁ、いいか」
 顔を見てから文句を言おうと決めて、桜の足が木元の屋敷に向かい始めた。
 家にも連絡を入れてやらなければ。
 でも、雨が降る前に着きたいところなので先に鬼丸の家に言ってからの方が良いだろうか。
 考えている時だった。
 「八重咲桜だな」
 突然、背後から声が掛かった。
 振り返る。
 黒ずくめの大柄な男が二人立っていた。
「……何か用かしら?」


3/
 「もう一度訊くけれど、【楽園の戦士】が私に何の用かしら」
 聞いた事のない組織名だった。
 世の中にごまんとある有象無象の組織の一つだろう。
 だとすれば、その目的も大体予測できる。
 どうせ、実現可能性の低い下らない目的。
 例えば――
 「木元家を滅ぼす。それが我らのただひとつの目的」
 黒ずくめの男は誇らしそうにそう告げたが、桜は表情一つ動かすことが無かった。
 「既に我らの仲間たちが忌々しき木元家の屋敷に向かった。今頃は既に終わっているだろうが、木元に加勢する者に出てこられても困る」
 終わってるのはどちらのことだろうか。
 掃除が増えているであろうことを思ってため息が出た。
 「我らに抵抗する気が無いのであれば危害は加えない」
 なるほど、木元の関係者にこうして足止めをしているのだろう。
 鬼丸が東崎燈也と連絡が付かないと言っていたのもきっと目の前の連中の仕業だろう。
 だとしたら、東崎君、後でわざわざ様子を見に来てくれるかもしれない。
 晩御飯の食材、買ってきた分だけで足りるだろうか。
 というか、ウチにもこいつら来てるのかしら?
 思考があちらこちらを行き来する。
 何はともあれ、サッサと鬼丸の家に向かうのが一番だろう。
 「抵抗する気ならサラサラないから退けてくれるかしら?」
 「……何故、抵抗しない」
 「別に興味が無いから、かしら」
 「なにか策でも練っているつもりだろう!!」
 黒ずくめの男が叫んだ。
 この手の思い込みの強い連中の相手はこれだから嫌なのだ。
 「木元鬼丸の許嫁である貴様が奴を助けないハズが無い!!」
 決めつけられてしまった。
 言い返してやろうかと、桜が考えるよりも早く黒ずくめの男が動いた。
 動いたのは目の前にいた一人。
 強化した拳を振り上げて、桜に向かってきた。
 殺意の籠った一撃を、しかし桜は軽々といなした。
 いなして、がら空きになった首筋に、買い物袋を提げていない空いている左手の手刀を素早く叩き込んだ。
 ゴッ、と大柄な男は抵抗もできずに地面に倒れ込んだ。
 前後に残った黒ずくめ達に困惑が走った。
 彼らには桜の動きの一切が見えていなかったからだ。
 「で?退けて欲しいんだけど?」
 買い物袋を提げたまま、桜は前髪をかき上げた。

                                 完

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