ドレの日常
「キル」
読んでいた新聞から目線を上げて対面を見る。
対面にいるのは幼い見た目でありながら絶世と言って過言ではない美貌を備えた少女ーーキルだ。
名前を呼ばれたキルは飲んでいた牛乳を置いて、それから首を傾げた。
「……相変わらず旨そうに飲むよな、お前」
「……牛乳美味しいから……」
キルはいつもと変わらぬ虚な目で、しかし楽しそうに答えた。
こんなやりとりもすっかりいつものもの。
「で、キル。今日はなんか予定があるのか?」
今日は端的に言えば休みだった。
普段であればギルドに行き、適当な依頼を見繕って、適当にこなしに行くのだが、今日はそうもいなかい。
今日はギルドが登録冒険者の健診を行う日だからだ。
つまり、健診の順番が俺に回って来ていた。
サボってもいいのだが、無料で受けられるのだから受けた方がいいに決まっている。
俺は大人しく健診に行くことにした。
俺が依頼を受けなければ、当然キルの仕事もない訳で、つまりそういう意味で休みであった。
「ん。今日はエマちゃん達と遊びに行ってくる」
キルはテーブルの上に置かれたパンを食べながら答えた。
エマという少女はキルの遊び友達のうちの1人だ。
それなりに良いところの娘なのだが、何処の子供とも分け隔てなく遊ぶ子らしく、出自どころか普段の感情さえはっきり見て取れないキルとも仲良くしてくれているらしい。
「……危ないことすんなよ」
特に意味は無いが釘は刺しておく。
キルは俺の言葉に素直に頷き、また牛乳に口をつけた。
例え、危ないことをしたってキルがいる以上なんの問題も無い。
相手が指名手配中の殺人鬼だろうが、ドラゴンだろうが問答無用で意図も容易く退けられるのだから当然だ。
それでも、なんとなく注意をしてしまうのは、すっかりキルに絆されているからだろうか。
その上で、だ。
それも悪くない、なんて思ってしまうのだからなんともしょうもない人間になったものだ、と我ながら思う。
内心に湧き上がる居心地の悪さから逃れたくて、俺は淹れていたコーヒーに口を付けて、新聞に目を落とした。
新聞は相変わらず重要な記事とどうでもいい記事のどちらもが誌面を賑わせている。
思えば、新聞を読み始めたのはまだ傭兵を始めて間もない、ハイエナとしては三流もいいところのガキだった頃だ。
『戦場を生き抜きたきゃ、少しでも稼ぎたきゃ新聞くらい読め』
豪快に笑う二回り以上年上の男にそう言われた。
そいつは文字の読み書きもままならないクソガキの俺に根気強く付き合ってくれた。
おかげで俺は戦場で死ぬ事なく今日まで生きてこられたし、こうして新聞も読めている訳だ。
「……ドレ」
「んー?」
「……なんか、面白い記事あった?」
「んー……」
キルにしては珍しい質問だった。
キルの様子を見る。
コップと皿が空になっていた。
食事を終えて暇になったいたのだろう。
質問に答えるのは面倒だったが、俺は新聞を捲ってひと通り記事に目を通した。
それから、結局新聞を閉じて、一面を見せるようにテーブルに置いた。
「勇者サマがこの国に来るってよ」
「おぉー……。ゆうしゃー……?」
「最近売り出し中の冒険者サマだよ」
『勇者』というのはこの大陸では広く知れ渡った御伽噺に出てくる主人公だ。
悪のドラゴンに捕らえられたお姫様を助ける強く、勇敢な人間の話。
作り話なのか実話なのかも曖昧なぐらい昔にあったらしい話。
その主人公が『勇者』なわけだが、その逸話にあやかってか並外れた実力のある若い冒険者を『勇者』と呼ぶ風潮がある。
新聞の見出しの勇者もつまりは並外れた実力のある冒険者のことだ。
「まったく、こんなガキを持ち上げて何が面白いんだか」
「ドレはゆうしゃ嫌いなのかー」
「嫌ぇだよ。ああいうお高くとまった連中を俺が好きなわけねぇだろう?」
こっちはまともな教育も受けられなかったガキだったわけで、貴族だか王族の嫡子らしい連中を好きな理由などあるはずもない。
そもそも、実力に関しても目の前にいる幼い少女の姿をした最強兵器の方が強いに決まっている。
キルと目が合う。
キルは可愛らしく小首を傾げた。
俺は溜め息を吐く。
「ま、俺らには関係ねぇか」
「そっかぁー」
新聞をもう一度手に取って広げる。
まだ読んでない記事を読み直す。
その最中、ふと思った。
「あー、でも」
「?」
「この街にも来たりしたらパレードとかやるのかもな」
「おおー、ぱれーど……!」
キルは収穫祭の時期に執り行われるパレードを想像しているようだった。
相変わらず目は虚ろだが、確かに楽しそうにしていた。
俺はその様子に息を吐いて、残りのコーヒーに口を付けるのだった。
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