ドミノ倒し、快感、反乱
反乱だ。
それはきっと、人類の歴史には何の痕も残さないような、ほんの小さな反乱。
それでも彼らの目は鋭く、目の前の大きな障害に対して明確な反旗を翻し、声高々に抗議を繰り返している。
彼らの、その激しく燃え滾っている熱情をして反乱と呼ばずなんと呼ぶのであろうか。
彼らを遠くから眺めているだけの俺には到底持ちえないような煌々とした彼らの輝きは、時に美しく、青春の爽やかさを纏う。
自分にないそれらは当然羨ましくもある。
「まぁ、あんなのは嫌だけど……」
窓枠に肘を付きながら、グラウンドを眺めている。
さっきから放課後グラウンドでは面白いことが起きていた。
そう、反乱。
なんでも野球部の部活動費が前期より少し削られたそうで、それに抗議した野球部と部費を削る案を通した生徒会の関係が悪化、本日生徒会長直々に放課後の野球部の部室へと出向き話し合いの席に立ったのだが、話し合いは進行せず痺れを切らした野球部員が全員で全面的に生徒会長へと抗議することとなった。
騒がしい声と共に話し合いの場所は部室から、広々としたグラウンドへと移された。
うちの高校ではそれなりの規模を誇る野球部は、男子生徒三十四名女子生徒五名、合計三十九名にもなる大所帯。
彼らと相対するはただ一人、我が校が誇る生徒会長――伊吹湊(いぶきみなと)。
グラウンドに出たのはきっと野球部なりのパフォーマンスのつもりなのだろう。
うちの高校の校舎や部室棟はグラウンドを半ば囲う様に立地しているため、グラウンドで騒げば多くの人の目に留まると考えたのだろう。
そこまで考えて、女の子一人に対して大勢で反発し続ける運動部というのが、基本的にどう見えてしまうのかまでは考えなかったのだろうか、という疑問は彼らの勇気ある反乱に敬意を表して胸の奥にしまっておく。
状況は良く無いようで野球部キャプテンが激しく抗議している様子がよく分かった。
大げさな身振り手振りを交えつつ抗議するキャプテンに対して、伊吹先輩は終始冷静に淡々と話を続けているようであった。
当然、キャプテンの後ろにいる部員たちもどんどんヒートアップしているようだった。
やがて、キャプテンの後ろに居た一際大柄な部員が一人、伊吹先輩の前に躍り出たのだが――
「あ、掴み掛かっ――、一瞬で投げ飛ばされた!」
「おい、うるさいぞ周。騒ぐんなら出てけ」
驚きの展開につい大声を出してしまったが、直後に叱責が部室に響いた。
「え……、ごめんなさい……」
思わず振り返って謝ってしまう。
声の主であり、この部室の主でもある月瀬水仙(つきせすいせん)はこちらを見ることもなく目の前の作業に集中していた。
俺――桐間周(きりましゅう)が部室に来る前から、いつもはPC睨めっこしている部長が何やら作業をしていた。
傍若無人な部長に巻き込まれるのは御免なので、できるだけ彼女を刺激しないように静かに部室の窓際で外を眺めている時に丁度、伊吹先輩と野球部のいざこざが見えたのだった。
部長は怒ってはいないようで作業を黙々と続けていた。
俺はホッと胸を撫で下ろして、窓の外に視線を戻す。
乱闘に発展していた。
どういう展開があったのかはわからないが一対三十八の大乱闘になっているようだった。
ただ、内容は伊吹先輩がちぎっては投げちぎっては投げている一方的な展開を繰り広げている。
部長の方に視線を戻す。
部長は部長で真剣に作業を続けている。
「……部長、さっきから何してんスか」
「あ? 見てわからんのか?」
「あー……ドミノですか?」
部長が先ほどから真剣に続けている作業はドミノ。
並べているのはその辺の適当なものではなく、どこから持ってきたのかご丁寧にサイコロの目が二つ繋がったような長方形の牌『ドミノ』を使って部室一杯に並べていた。
いつの間にか俺の足元まで牌が並べられている。
動けない。
文句を言ったところで言い負かされるだけなので、何も言わずドミノを倒さないように足をどかす。
窓の外に目をやる。
未だドタバタとコメディのように人が投げ飛ばされていた。
「伊吹先輩助けに行かなくていいんですか?」
ドミノについて言及したところでまともな回答が返ってくるとはとても思えなかったので話題を変えることにした。
そのぐらいはこの半年の付き合いで学んでいる。
「湊に助けがいると思うか?」
俺の問いに部長は相変わらずドミノを並べながら答えた。
外を見る。
伊吹先輩は顔色一つ変えずに堂々と仁王立ちしていた。
「……いや、でもほら、一応は……」
部長と伊吹先輩は幼馴染だ。
それもお互いにとって親友というヤツであろうことが推察できる程度に普段からよく行動を共にしている。
そんな相手が一人、多数と戦っている。
いくら圧倒しているとは言え、助けに行くのが義理というものなのではないのだろうか。
この人にはそれが無いのだろうか。
無さそうだ。
「なんだ? 言いたいことでもあるのか? ん?」
「……ないです」
睨まれた。怖い。
「顔が怖い」と蔑まれ続けてきた俺の人生だが、部長の方がよっぽど怖いと思う。
「あー……。あっ、そういえばうちの部活は部費ってどうなってるんですか?」
会話に詰まったのでまた新たな話題に変える。
俺はこの部活動に関してとんと無知だ。
この半年まともな部活動らしいことなどしたこともないので、知っている事と言えば部員が俺と部長の二名である事ぐらいで、顧問の先生が誰なのか知らないし、そもそもこの部活が『何部を名乗っているのか』も知らない。
野球部が窓の外でてんやわんやを繰り広げている原因になった部活動費に関しても、部長に請求された覚えもないのでどうなっているのか全く持って謎だった。
「部費か? そんなものは無いぞ」
「あぁ、だから請求されてないんですね」
「そもそもウチの部活動費はゼロだ」
「へぇー……――」
――いや待て。
そんなことがあり得るのか?
部員の俺でさえ何をやってるのかよくわからない部活に部室棟の一部屋が与えられていて、部長が委員会の会議に部長として参加しているのも見たことがあるので実際部活動として名目上登録されている事も確かだ。
部室をぐるりと見渡してみる。
他の部室にはほとんど設置されていないエアコン、スピーカー、小型の冷蔵庫、ソファー、電気ケトル、コーヒーメーカー、決して安物ではないきちんとした銘柄の紅茶や緑茶にコーヒー、お茶請け用のお菓子、プロジェクターにプロジェクター用のスクリーンまで。
普通であれば絶対に置けないようなモノまで完備している。
その快適性を存分に享受しているので考えていなかったが、改めて考えてみればどう考えてもおかしい。
どう考えたって、それらのどれもが部活動費がゼロで得られるようなモノではない。
その上で、今回の野球部の事件からもわかるが伊吹先輩は基本的に公平公正な人物だ。
確かに幼馴染の部長に対して甘い面もあるが、それでも伊吹先輩が何の許可もないまま部長の横暴だけでこの部活を認めているとは決して思えない。
つまり、伊吹先輩を納得させるだけの材料を部長が揃えているという事だろう。
そう例えば――
「――えっ。もしかして部長のポケットマネーで部活やってるってことですか?」
部活動費がゼロでも、部長がお金を個人的に出しているならありえなくはないだろう。
部長は裏の世界に精通しているようなので、それ関係の仕事のお金でもあるのだろうか。
裏の世界ではいとも簡単に大金が動いていることをよく耳にする。
「まぁ、そういう部分が全くないわけではないが……」
部長はドミノを並べる手を止めて俺を見た。
「お前な、私がそんなことをすると思うか?」
確かに、部長の性格からしてそんな真似をするようには思えなかった。
「……じゃあ、どうやって?」
改めて疑問を投げかけると部長は呆れたように息を吐いた。
「いいか、周。学校の運営なんてものは大人がやってんだよ。そこを騙くらかすなり、黙らせるなりしてしまえば部活動費なんてもの名目上ゼロでも必要な時、好きな時に引き出せるのは道理なわけだ」
「ひぇ……」
「いかに湊が文句を言おうと、裏側から手回しして正規の手順で押し通せばそれだけでアイツはそれ以上は言わないんだよ。アイツ、私には特に甘いしな」
クックックと安い悪役のように笑いながら、なんだか恐ろしい事を言いだした。
絶対踏み込まない方がいいやつだ。
話題を。話題を変えなければ。
「きょ、今日のドミノは部長が買ってきたんですか」
「コレか?」
部長がドミノ牌をひらひらと目の前で振って見せた。
「これはボードゲーム部からかっぱらって来た。昼にボドゲ部の部長たちと掛けポーカーをして圧勝したからその戦利品だ」
部長は特に勝ち誇るようなこともなくさらりと言いのけた。
また怪しい話題を突いてしまったようだった。
今日はどうもそういう日らしい。
諦めたほうがいいのだろうか。
部長はさっさとドミノを並べる作業に戻っていた。
「……部長、ドミノ好きなんスか?」
「特に好きでも嫌いでもないが。まぁ、でも綺麗に並べたドミノ倒す瞬間の快感はあるだろう?」
そう言いながら部長はドミノから手を離して、部室に並べられたドミノを眺めた。
俺も同じように眺めてみる。
ドミノはいつの間にか部室の四分の三を占める勢いで理路整然と綺麗に立っていた。
あともう少しで並べ終わるだろう。
このすべてが綺麗に倒れていくのを想像すると、確かにそこに快感はあるだろう事がわかる。
俄然、楽しみになってきた。
では部長の邪魔をしないようにドミノが並べ終わるのを大人しく待っていよう――そう考えた瞬間だった。
ガシャン!!
大きな音を立てて窓ガラスが割って、何かが部室に侵入してきた。
幸い、俺が座っていた側とは反対の窓だったので怪我はなかったが、そんな事に気付いたのはもっと後のことだ。
「わーっ!!」
その瞬間は俺には全く理解が追い付かず、出来たのは情けない悲鳴を上げることと侵入してきた何かが部室の中を跳ね返っていることを認識することが精一杯だった。
そんな状況でも、部長は当然慌てふためくこともなく跳ね返ってきた侵入者を容易く手でキャッチした。
「な……何……。あ、野球ボール……?」
部長の手の中身を見て、侵入者の正体を捉える。
状況を整理しようと回り始めた脳内に不思議な音が響いた。
パタパタパタ――。
規則正しく断続的に響く音。
パタパタパタ――。
今度は何事か、と辺りを見回す。
割れたガラス。
侵入してきた野球ボールを握ったまま動かない部長、俯いているためその表情は全く見えない。
パタパタパタという音、幻覚ではない。
倒れたドミノ。
音の正体が部室の床で倒れ始めていた。
パタパタパタ――パタ。
音が止まった。
部長が並べていたドミノが全て倒れきったのだろう。
嫌な予感がして、現実逃避気味に窓の外を見た。
伊吹先輩と対峙した野球部がボールを投げて攻撃しているのが見えた。
あれが飛んできたんだな、と妙に冷静に分析した自分がいた。
ブチリッ――。
またしても異音。
嫌な予感を覚え、恐る恐る部長の方を見た。
相変わらず俯いたままで表情が見えない。
手に持っていたハズの野球ボールは何故だか引きちぎれていた。
「……ぶ、部長……? あの……えっ、と、とりあえず深呼吸して落ち着きましょう?」
「…………――」
「ぶ、部長……?」
「――…………………………殺す」
小さく呟いて部室を後にする部長。
俺にできたのはその背中を追いかける事だけだった。
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