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12歳の時に、35歳で「死ぬ」と言われてからの話。(1)~小倉駅北口編~

*6歳の時の保育園卒業式の写真。正直なところ記憶が全くない。写真をみても何も思い出さないし、この先の人生など知る由もない頃。

突然ですが、皆さんは自分以外の誰かから、勝手に「死の宣告」を受けたことがありますか?

「おまえ、死ねよ~」みたいな、子供時代に冗談まじりに発言を浴びさられたこと、又は浴びせたことはあるかもしれない。また、社会人になって、先輩から頼まれた仕事をチョンボして、罵声とかわいがりの紙一重の発言を受けたかもしれない。今回はその類ではない。そして、12歳の時に重たい病気にかかり奇跡を遂げたという医療と神様とのコラボの話でもない。スピリチュアルのジャンルに入れていいのかもしれないが、スピリチュアル界の大御所に尋ねないとわからない。よって、ありのまま書こうと思う。

12歳の私は少年野球クラブに所属し、平日は練習。土日は試合というほぼ毎日野球という日々を送っていた。この後も高校、大学(途中で入部&退部)も野球をしていたのだが、後にも先にも一番練習がスパルタだったのはこの時だった。練習もスパルタだが、特に試合中のミスに対する制裁はビクついていた。試合中のサインの見落としとバントミスは特に致命的過ちだった。監督からどこで拾ってきたかわからないような太くて硬い木の実の棍棒でゴツンとやられるのだ。そういう世代だと理解頂きたい。初期教育はやはり大事で、その後の野球人生でサインミスとバントミスはおかげで少ないと記憶している。それは監督と硬い木の実のおかげだ。

さて、この日は、確か梅雨時期の日曜日だったと記憶している。よって、恵の雨ということで、練習や試合は休みという天国のような一日だった。しかし、40年サラリーマンを勤め上げたお父さんが引退したら何をしたらいいのかわからなくなるのと同じ現象で、私もいきなり野球がないと一気に何もすることがない。アイデアもない。そこで、母が「小倉(北九州市)に行こうか?」と言い出した。家からは車で約30分の繁華街だ。

私はすんなり小倉に行くことにした。乗っている途中で、母が「今日は占いに行こう。」と切り出した。私の反応は、「ふーん。」といった感じで、行先なんてどうでもよかった。そこもリタイアしたお父さんと同じだ。ただ、ついてきているので、イオンに行こうか?でも、道の駅にいこうか?でもすべて同じ反応だ。

小倉駅の北口という、繁華街の反対側の方にどうやら向かっている。そちらは海側で今は新しいサッカースタジアムなどがあり、道も整備されとても明るい印象がある。当時は、確か予備校とか、ラブホテルとか、12歳には特段関係のない景色があった。「あれは何か?」という難しい質問を、母に尋ねるものではないという良識も持ち始めた年頃でもあった。雨も降っていたせいか、北口は暗い印象があった。そして、車は細い道を入っていき、駐車場に停めた。雨は、ざあざあぶりで結構降っている。

それぞれ傘をさして、私はただ母の背中についていく。そして、その当時でもまぁまぁ築年数立ってるのではないかと思われる灰色で2階建ての建物の入り口に来た。「占いの館」と書いてある。そして、母は常連のような足取りで入っていった。ちなみにこの占いの館は場所は変わっているが、約5年前(34歳)に行ったときにはあった。今もあるかはわからない。そして、まずは母が呼ばれ、私は待合室にいるソファーで待機していた。そして、母が遠くから「あんたもやってみらんね?」ということで、母とは別席に案内された。正直、子供からしたら暗くて、ちょっと薄気味悪い印象を覚えている。あののれんの先にはどんな人がいて、どんなことをされるんだろうと・・恐る恐る歩を進めた。ここはお化け屋敷ではない、「占いの館」だ。席についた。そして、私は自分の名前と生年月日を告げる・・・。(続きはまた次回)

【PR】伊藤は今何をしているのか?という問い合わせを受けるので下記回答しておきます。

現在は、外資系の金融機関に勤めております。生命保険部門(介護、医療、死亡、年金)など各種取扱。相談業務。このコロナの状況下でオンライン(WebEXまたはFACETIME利用、または電話)での相談可能。訪問は自粛しております。また、会社承認の下、東京拠点のアレックス株式会社(「https://www.alex-x.com/ja/about)での業務(リモートが主)ヘルスケア、IT関連が主。佐賀県三養基郡みやき町在住。空いた時間は自宅付近の畑を耕してます。

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