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【実話怪談】会いに来た

〈第十五話〉

私が保育教諭の仕事を始めて、最初に勤めた園でのお話。

ハッキリ言葉を発する前のお子さまを預かるクラスでは、〈大人には見えない何か〉の存在が話題になることが少なくありません。
例えば、遊んでいるお子さまたちが突然揃って何もない天井を見て笑い出したりすることがあります。そういう時には、「きっとあそこに誰かいるのね。」なんて言いながら職員同士で笑い合うのが常です。
また、頻繁に何もない方向を指さしているお子さまを見て、「この子は何か、私達とは違うものが見えているよね。」というような話になることもよくありました。

小さなお子さまを預かるクラスでは、そういった不思議なことが自然と受け入れられていることが多い気がします。わりと、今まで勤めたどの職場でも同じような会話をした記憶があるのです。
ある園では、「◯◯くん、何かが見えるみたいでパニックを起こすから、あの道はお散歩コースから外しましょう。」というような配慮までありました。それこそ誰も「何言ってるの?」なんて口にせず、そういうものとして受け入れられていました。

ある日のお昼寝の時間のことです。いつも通り1人ずつ寝かしつけ、全員が寝たところでブレスチェックをしながら連絡帳を書きます。
たまに泣いて起きたり、咳き込んだり、寝返りでうつ伏せになるお子さまを抱っこで落ち着かせて再び寝かせたりと、いつも通りの昼下がりでした。

突然、Fちゃんがガバっと起き上がり、止める間もなくテラスのある窓際へ駆け寄っていきました。慌てて後を追うと、外に向かって笑顔で大きく手を振り出します。私もFちゃんが見ている方向を目で追ったのですが、テラスがあるだけで、特に何も見えません。
「Fちゃん、どうしたの?お布団にもどろう。」と声をかけても全く反応せず、そのうちキャッキャと声を出し始めます。
他の子を起こしては困ると思ってFちゃんを抱き上げると、Fちゃんの目は、しっかり閉じていました。
(嘘でしょ、Fちゃん、寝ぼけてたの?)
驚きながらお布団に下ろすと、数分後にまたガバっと起き上がり、同様の動きをするのです。
これには参ってしまい、同僚を呼んで一連の流れを見てもらってから、Fちゃんを別室で眠らせることにしました。
すると、すやすや眠りについたので「やっぱり寝ぼけてたんだね。」と、同僚とほっとしながら顔を見合わせ、また業務に戻りました。

その日のFちゃんのお迎えの時間。
寝ぼけていて睡眠時間が少なかったかもしれないと、Fちゃんのお母さんに事の詳細を伝えました。
「それ、何時頃ですか?」
震える声で、お母さんは口を開きました。ただならぬ雰囲気を感じて、必死に記憶を辿りながら、「確か、13時前くらいです。」
と答えると、「そうですか、そうでしたか……会いに来たんですね。」と突然涙ぐんでしまいました。
慌てて「大丈夫ですか?」と聞くと、「すみません、実は……。」と事情を教えてくれました。

Fちゃんには年の離れた兄弟がいて、数年前に大きな病気になって入院し、それきりFちゃんと会うことのないまま、その日の13時頃、息を引き取ったそうです。
「さっき連絡が来まして……だから、きっと、会いに来たんだと思います。」
そう言って激しく動揺したように、言葉少なにFちゃんの手を引き帰っていきました。

あまりの話になんと声をかけていいかわからず、大して良い言葉もかけられなくて申し訳なかったな……と、思うと同時に「あっ。」と思わず声が出ました。
そうであるなら、当然忌引きでこの後何日間かお休みになるだろうことに、思い当たったからです。
(お休みの期間がどのくらいになるか、聞いておくべきだった。)と、慌てて園長に報告すると、園長は「それはおかしい。」と、眉根を寄せました。
入園時の書類には、同居兄弟についての記載がなかったそうなのです。そういえば、今までそんな話を聞いたことがありません。

「その話、忘れた方がいいよ。」と、園長は言いました。
なぜかと問うと、難しい顔をしながら、「多分、Fちゃんの家は再婚で、前の家庭でのお子さまの話なんじゃないかな。何らかの事情で生き別れて、だから葬儀とかも参加できないんじゃない?想像だけど……深入りしないほうが良いことは、この仕事、いっぱいあるから。」
淡々と言いながら仕事に戻る園長を見て、複雑な気持ちになったことを覚えています。

園長の言うことが当たっているのかはわかりませんでしたが、次の日もFちゃんは登園し、お母さんはそれから2度とその話題を口にしませんでした。

「深入りしないほうが良いことは、この仕事、いっぱいあるから。」

この言葉はそれ以降、保育教諭として働き続ける中でとても大事にしています。

このお話の後も、様々な複雑な事情を抱えたご家庭を目の当たりにしてきました。
介入できることと、できないこと、線引きが必要なラインを身をもって知ると共に、この仕事は社会の縮図を垣間見る仕事なのだなと日々感じている次第です。

これは私の実話です。


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