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すわこちゃんを漢字で書くと

 楚子ちゃん。四面楚歌の楚だ。私はいつも、なぜこんな名前を祖父はつけたのだろうかと思う。名前の由来を聞いたら、楚さん(すわさん)というとても聡明なおば様がいらしたのだとか。その方から一字をもらったと聞いた。

でも、生まれたばかりの愛子になぜそんな字をあてがったのかと。祖父は私が5歳の時に亡くなり話をした記憶も一切ない人だけど、私があの世でもし出会うことがあったら、聞いてみたいといつも思う。なぜなら、すわこちゃんは、まさにそんな人生を送ってしまったからだ。目の前に幸せになれる道はいくらでもあったのに、その都度天の邪鬼のように違う道を選ぶ。それを選んでしまうのは彼女の業であると簡単に言えるかもしれないけれど、そんな業を身につけてしまった来し方を思うとき、いつも私は哀しみに襲われる。彼女は救われる道がいくらでもあった。でも、彼女がそれを望まなかった。そこが私をいつも苦しくさせるのだ。

 彼女はあとどれぐらい生きるのだろう。もしかしたら今、この瞬間にも死の淵にいるのかもしれない。でも、私には関係ない。この関係ないという言葉を言えるようになるまでの私の苦しみも知らず、すわこちゃんは私を蔑みながら旅立っていくのだろう。そういう人なのだ。

 彼女の死出の旅は、きっと私の知らないところで執り行われる。それでも、私は彼女にこんな死装束を用意してあげたいと思う。彼女の人生を紐解いていくことは、私の苦しみだ。でも紐解いて、まっさらな生まれたばかりのすわこちゃんを見つけてあげられたら、それは私の人生最大の癒しなのではないだろうか。なぜなら、どんなことがあろうとも、どんなことをされても、私はやっぱりすわこちゃんが好きなのだ。それがどれほど私を苦しめるか知っていても、やはり嫌いになれないのだ。にくい、恋しい。私がすわこちゃんを表現する言葉は、まさにそれしかない。


1992年からのアメリカ暮らし、ボストンはそろそろ四半世紀になりました。 「取材」と称していろいろ経験したり、観光ガイドも楽しんでいます。 https://locotabi.jp/loco/hyacinth 応援していただけたらとても励みに思います。