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過去世を知って合点がいった色々-長いダンジョン抜けてきたよ

絵が生きがいで毎日のように描いていたのに、この5年以上は全く描けなくなっていました。

情熱は湧いてくるのに、いざ筆を持つと全く動いてくれない。

以前は考えるまでもなく手が動いて、使いたい色も浮かんできたのに、頭が真っ白になって怖くなる。作りたいのに作れない...けっこう絶望でした。

ずっと憧れだったフランスでたくさんのことを感じて絵にしたいと思っていたのに、いざ来てみたら描けなくなってしまったのです。

...実はそんな私だったのだけれど、長いダンジョンを抜けて、また描けるようになりました。

実際は「絵を描くこと」が目的だったのではなくて、「絵を描いている時の自分」に戻りたかったのだと気づきました。
なぜなら絵を描いてる時は自分自身といつも一緒だったから。

そんなお話をします。ひたすら自分語りになりますが、ごゆるりとお付き合い頂けたらとても嬉しいです。



描くのが怖くなった、描けないのもまた怖かった

なんで描けなくなったのか?は色んな要因が絡み合っているけど、
いつから描けなくなったのか?は明確で、フランス移住してからだ。

ありがたいことに夫の友人たちはアートが大好きで、義理の両親は共にアーティストという強力な布陣だった。だから話題はいつもアートに溢れていてとても楽しかったけれど、それがやがてプレッシャーになった。

当時はものすごく自信がなくて、自分には絵しかないと思っていた。
友人は会うたびに私の絵のことを話してくれて、夫も私が絵を描くことを心から喜んでくれていた。
だから私がもし絵を描けなくなったら存在価値がなくなるかもしれない...とさえ考えていた。

絵を描かなきゃ、もっと上手くならなきゃ、有名にならなきゃ、売れなきゃ、展示会しなきゃ、SNSでいいねもらわなきゃー!etc...

そうすると、他者と比較したり評価を気にしだしてしまうことになる。前は描いてるだけで幸せだったのに。自分で自分を追い詰めていく。


夫か、絵か

そんな矢先、夫と結婚について考え始めた。

...なぜかこの時「結婚したら私は描けなくなる」という漠然とした予感がしたのだけれど、もしもこの先、戦争が起きたり大変な世の中になったとしてもこの人となら喜びを見つけられる、そう思ったから結婚した。

そして予感していた通り、私は描けなくなってしまった

情熱はあるのに手が動いてくれない。心と身体が別々の他人になってしまったようだった。

画材や表現を変えてみたり、新しいことに挑戦してはワクワクを感じたけど、1・2日で元の虚無感に戻ってしまう。何を作っても表層的に感じる。
魂がこもっていない

どうせ表現できないなら感じない方が楽だと思ったのか、感受性も閉じていった。SNSをぼーっと眺めては「なんでみんなはこんな素晴らしいものが作れるんだろう」と羨ましかった。

そんな状態が4~5年くらい続いたのだろうか。


ここが終着点なの?この先はないの?

今思うと描けなかった時期は自分の生活を安定させることで手一杯だったのかもしれない。慣れないフランスでの暮らし、難しいフランス語、夫との共同生活、フリーランスの仕事、気楽に話せる友達がいない寂しさ…。

そちらにエネルギーを費やすのが最優先だったから、絵を描ける余裕なんてなかったのだろう。

もうすっかり絵のことなんて忘れたつもりでいた。(といってもたまに思い出しては虚しい気持ちになっていたのだけれど)


そんな時、20代の若者にデザインを教える仕事を頂いた。彼らは自分の人生を変えたい、もっと自由に生きたいという思いで必死だった。

彼らに触発され、自分の人生を見つめなおした。
確かに今、憧れだった土地フランスで生活していて、フリーランスとして安定もしてきた。


「…で、それで?」

「人生ここで終着点なの?」

「何か忘れてやしませんか?」


毎日平和で心が穏やかでも、ぽっかり穴が開いてるような感覚。

自分自身のことを見つめなおした。
自分はなにを恐れているのか、何が自分を幸せにするのか。

子供時代から洗いざらい記憶をほじくり返して、自分という人間を知ろうと思った。深いところに眠っていた傷やダークサイドともじっくり向きあって、ぜんぶひっくるめて自分なのだと認めた。


ほじくり返せるだけほじくり返してみたら、やっぱり、自分は絵を描きたいんだな、それが出来ないことがしんどいんだな、と分かった。

「何か願い事がひとつ叶います」と言われたら、迷わず「前のように絵を描かせてください!」とお願いしたと思う。


フランス画家だった過去世を知る

そんな時にふとしたきっかけで夢太郎さんというスピリチュアルアーティストの存在を知った。

彼女の曼荼羅やセンスに一目ぼれし、動画でお話される姿からは澄んだものを感じた。
この方になら心を開ける。なんでも話せる。言われたことは何でも素直に聞ける。そう思った。(自分としてはこんなこと滅多にない!)

すぐにセッションの申し込みをしたら、その瞬間から涙が止まらない。
「絵が描けない、前のような感覚で絵を描きたい」ということを言葉にしていたら嗚咽になって止まらなかった。

私、こんなに思い詰めてたんだ...
自分の中で割り切れていたつもりでも、しょせん「つもり」だったのだ。


セッション当日。
夢太郎さんと挨拶までは爽やかにできたと思うけど、フランスに住んでいるという話になった途端、なぜか涙が止まらなくなってしまった。

まずは事前にリーディングしてくれていたことを教えてもらった。

・情熱や想像力が枯渇している、情熱を別のところに注いでいる
・閉じている、鍵がかかっている感じ
・日本にいる時は軽やかだった
・フランスのエネルギーが自分に合ってない...


フランスのエネルギーが自分に合ってない...?
あんなに恋焦がれて夢だったフランスに来たのに?

思わず「なんで私はフランスに来たんでしょう?」と聞いてみたら、
私は過去世ではフランスの画家だったらしい。(ちなみに夫はその時一緒にいた同性愛のパートナーだったらしい)

今世での夫との出会いのきっかけが私の絵だったこと、出会って間もないのにすぐ通じ合った感じ、私のことを妙に理解してくれる感じ、すべて合点がいった

さらに言うと過去世の私は、売れない画家で苦労していたと。

そして悲しい最期を遂げた...?

その時の記憶や未練が私をフランスに呼び寄せたものの、当時の辛い感情がフラッシュバックして、描けなくなったのではないか、と。


たしかにフランスに来てすぐの時はノリにノッていて、その時期に一番良い絵が描けた気がする。でもそのわずかを残して、描けなくなったのだった。

そういえば結婚を決めた時も「フランスに住むこと・夫といること」と「絵を描くこと」を天秤にかけているような感覚だった。

もしかしたら過去世ではつらい別れをしたのかもしれない。

絵を描くために一人を選び、孤独と報われない想いの中で死んだのかもしれない。それこそ絵の具を買うお金はもちろん、日々食べるお金すらままならなかったのかもしれない。

しかし今世では「幸せな家庭」を望んできたらしい。

過去世では得られなかったものを、今世では叶えてみたかったんだろう

それが、夫と生きることと、安定した生活だったのだ。


自分がどこにもいなかった―描けなかった本質

フランスに憧れて、いつか住んでみたいと思い始めたのはいつだっただろう。
好きになるものが高確率でフランス由来のものだったから、フランスとは何かのご縁があると思っていた。
何度かフランスを旅して、さらに心惹かれた。

絵を描きだしてからはもっと気持ちが大きくなって、「フランスで絵を描く!」と夢を掲げて、たくさんの人に応援してもらった。
中には実際に絵を買ってくれたり、金銭的に援助してくれる方もいたおかげで、渡仏資金の足しに出来た。

父と兄には猛烈に責められて、勘当するとまで言われた。(何年かかけて理解してもらえたけど)
当時の職場のボスには「成功できると思わない方がいいわよ」なんて意地悪も言われた。

だから結構、なかば意地になって、すべて捨てるつもりで日本を出たようなところがある。

そこまでして出てきたからには、フランスで何かを成し遂げたかった。
フランスにいることが自分の幸せだと思い込んでいて、実はそうでもないのかもしれないと思い始めてからも、理想だけ追って自分の本当の気持ちを見ない振りしていた。

「フランスにいる自分」に執着して、フランスにいることが自分のアイデンティティになってしまっていた。

それって自分がどこにもいない。空っぽだ。
描けなくなった本質はここだよ。

絵というのは手段にすぎなくて、心底にあるのは自分の深いところと繋がりたいという願いだったのだ。自分自身と一緒にいる感覚だったのだ。


長年憧れたフランスに自分は合っていなかった、理想としていたことは成し遂げられなかったのだと挫折・敗北を認めて、

今世では夫と共に心の穏やかな生活を選んだのだから一緒に生きていく、
絵が描けないなら描けるまで待つ、

と腹を括った。

そうしたらその1か月後くらいに、私はまた絵を描けるようになった


今はもう絵をお金にしなきゃ、人に認められなきゃという焦りや不安はない。ただ自分と、自分の絵を好いてくれる人のために描けば良いのだ。
そして絵具も紙もペンも、必要なだけ買うことができる。

その状況が今はある、描けなかった時間は必然だったのだと思えた。
苦しい時間はギフトだった


だってそのために生まれてきたんだから

夢太郎さんに色々とメッセージを頂いたけれど、一番心に響いたのは
「でもピカさんは描けます。大丈夫です。」
という言葉。

だってそのために生まれてきたんだから」と。

セッションの時の私はまだ絶望していて、まるで描ける気がしないでいたけれど、なぜかその言葉には確信が持てた。今すぐではないかもしれないけど、また描ける。それまでの期間を楽しもう、と。


昔から何をしてもダメな自分だった。でも絵だけはなんだか違った。

それまで絵を描いたことなんてなかったのに、ある時視界がすべてグレーになる夢を見て、「色が見たい!」と突然絵を描きだしたのだ。
それからは毎日がキラキラと色に溢れて美しかった。

そんな私の未熟な絵でも好きだと言ってくれる人がいて、本当に色んな人のあたたかさに触れられた。人生ってこんなに良いものなんだな、と思えた。生きてることが喜びになった。絵のおかげで。


絵を通じて出会い、絵を通じて再会する

また絵を描けた瞬間は、ある時すっと、本当に自然なものだった。

手が動かない感じはまったくなくて、ワクワクして線を描いた。使いたい色が、色の方から話しかけてくるようだった。
「次あたし!」「次こっち!」みたいな。

久しぶりすぎるけど、この感覚、よく覚えてる

戻ってきてくれたんだー!と、数日間は描きながらありがとう、ありがとう、と泣きまくった。
絵と共に、絵を描いていた頃の気持ちまで蘇ってきた。

嬉しいから毎日描いてはSNSにアップした。
そうすると懐かしい友人がコメントをくれたり、久しぶりに話そうと言ってくれた。

そのうちの一人は私の絵に対して「いろいろな深い感情と感覚が混じり合ってる。悲しみのような、でもそれ以外もあって、好奇心をそそられる」と語ってくれた。

絵を描いていなかった時間分、つまり5年以上ぶりに話したことに二人で驚いた。フランスに住んでること、結婚したこともまだ話してなかったから、私はよっぽど余裕がなかったんだな...。

絵がアップされなくなって、何かあったのかなって心配してたよ、と言ってくれた。(そう、何かあったんです…)
私の絵を見ると元気が出るから、「またいっぱい描いて」と言ってくれた。

こんなにありがたいことはない…😭


私の絵は決して上手くはないし、多くの人に好かれるようなものでもない。
でもわずかでも好きだと言ってくれる人がいてくれることが幸せだ。

私にとって人生の喜びは人との心の触れ合いだし、絵は人とのつながりをもたらしてくれる。無口で口ベタな私の言葉になって何かを伝えてくれる

今後もしまた描けなくなるようなことが起こったとしても、私なら乗り越えられると思う。
描けなかった時期があったからこそ、描けることの喜びを知ることができた。自分にとっていかに大切かが分かった。

この喜びのためなら、色んなことを頑張れる。

それに、今だからこそ表現できるものがある。
自分が色々経験して変化していくように、表現するものも変化していっていい。


夢太郎さんに作ってもらった曼荼羅

夢太郎さんのセッションでオリジナルの曼荼羅を作ってもらった。

青緑と深い青を基調として、紫、黄色、深い赤が入っている。私のオーラの色だそうだ。

これを見た瞬間、またまた嗚咽が止まらなかったというのは言うに及ばず。涙で潤んだ視界の中で光の粒になった色たちもまた、美しかった。

死ぬ前に見る走馬灯、人生のダイジェストの「喜び部門」にはぜったいランクインするような情景だ。一生忘れない。

...その曼荼羅を載せようと思ったけれど、それはあの時の自分だけの光景として大事に取っておく。
代わりに夢太郎さんのインスタをこっそり宣伝してこの話は終わり。
https://www.instagram.com/yumetaro_art


最後まで読んでくれてありがとうございます!

もっと読んでも良いよ、という心優しい方は自己紹介をどうぞ。
(こっちはぎゅっとしてて短いです)

ごきげんよう。


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