見出し画像

3月26日 早島 我が家

すこし早めに職場を出て、自宅書斎にて、午後5時からオンラインシンポジウムに参加。

なんと、予定では午後9時30分まで!

そして、スタートから3時間40分経って、ようやく5分間の休憩。


もう眠くて、お腹もペコペコなのだが、ずっとお付き合いしているのは、このあと、私も短いコメントを出したうえで、総合討議に参加しなくてはならないから。


だいたい、ここまでこんなことを考えてきたので、こんなことを発言します。

でも、参加者からの質疑を受け付けるのだから、もう私はいらないのでは・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

COVID19感染拡大によって、(否応のない)オンラインコンテンツの充実。
それゆえ、美術館(現地)での実物観察の持つアドヴァンテージと、カメラの眼を通した観察だから得られるアドヴァンテージを考えざるを得ない。

現地での実物観察だから得られるアドヴァンテージ=質感(触感もか)とか空間の中での作品、それから臭い。

カメラの眼を通した観察だから得られるアドヴァンテージ=なんといっても解像度の高さ、それに関係して、拡大図像の際は、拡散的探索がはなから放棄されていて、特定的探索に限定される。(この拡散的探索と、特定的探索の語は今日の最初の発表のキーワード)

でも、日ごろから私は実感している、下記の前提を改めて確認すると、オンラインコンテンツは、また別の問題系(可能性)を知らせてくれる。
「美術館での鑑賞活動は、作品、他者(同伴者含む)との関係性のうちに成立する。」

というのも。
美術館での鑑賞者の振る舞い行動様式について

→美術館に対する認識(日常生活との距離)の差がある日本と欧米では違うのではないか?

→展示室の空間構成でも違うのではないか?大きな一室なのか、小さな部屋の連続なのか、とか。

だったら。

他者との関係性もほとんどなく(あるいはリアルとはまるで違う環境になり)、建築からの影響も受けないオンライン鑑賞環境(というよりデバイスを介しての鑑賞は。だって、展示場で撮影解禁したら、みんな集中力も増すし、切り取るアングルを考えて熟覧するし)は、冒頭に記したこと以外にも、作品鑑賞の様態を変更(拡張)する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?