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5月22日 早島 倉敷教会納骨堂

今日は休み。いや、明日も明後日も休み。

大原美術館も、雇用調整助成金をいただくために、最低限の仕事を最小の人間に割り振って、少しでも多くの職員が「館の都合で休む」方針としたが、私の場合、まずは月8日分の通常の休みを消化しなくては、いけない。

なので、今日からは「休むことこそ、館への貢献」モードに突入。

なので、自宅書斎出勤をしても、館の業務は絶対にやらない!

なので、朝から通常通りのルーティンをこなし、午前8時30分には書斎に出勤するも、職場ドメインのメールチェックもせず、粛々と自分のお勉強に時間を費やす。


そして、12時過ぎ。

このところ、動かず&食べ過ぎていたので、ランチを抜かして、散歩へ。


いつものように行き当たりばったりで近くを歩むが、これまで何度も通っていた墓地の頂に(早島の我が家の近くは墓地の多くが丘陵地)、これまで気がつかなった、建物を発見。

それが、冒頭の写真だが、どう見ても十字架。

そこで、その頂を目指して、びっくり!

なんと、日本基督教団倉敷教会の墓地&納骨堂!

教会堂は、大原美術館から歩いて5分ほどのところにあるのになぜ?

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さらに、これには驚いた。(お墓の写真をUPしてごめんなさい)

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私は、かつて1998年に「キリスト教プロテスタント派人脈と洋画家―明治~昭和戦前期における岡山、倉敷市域における活動の軌跡」(現代芸術研究 筑波大学芸術学系五十殿研究室)という論文を書いた。

それにあたり、竹中正夫さんによる『倉敷の文化とキリスト教』(1979年11月 日本基督教団出版局)に多くのことを教えてもらい、その後、大原美術館へ職を転じてからも、大原孫三郎と倉敷教会の関わりなども既知のことだったので、大いに助けられた。


その私の論文でも触れているのだが、倉敷教会は、竹中悦蔵、杉田譲二と二代のにわたり、在職中の牧師を失い、そうした苦境の中でも信徒が力をあわせて、1923年に西村伊作設計による現在の教会堂建設を果たしている。

そして杉田牧師の妹であり、竹中牧師の夫人となった、みつさんが、教会に隣接して竹中幼稚園を設け、そして同園は、今でも大原美術館の未就学児童受入れプログラムの大切なパートナーとなっている。


その杉田譲二、竹中みつのお二人のお墓が、なんと早島の山の上にある!

しばらく興奮しながら周囲を観察し、そして急いで家に戻って、あらためて『倉敷の文化とキリスト教』を確認するが、そこには、杉田牧師の墓は逝去した留学先のアメリカにあると、しっかり書かれている。

おそらくは分骨されたのか。


いずれにせよ、この場所に、倉敷教会の墓地・納骨堂があり、譲二とみつ兄妹の墓がある次第は、これから調べるしかないのだが、いったい、これまであれだけ散歩してるのに、まだまだこんな発見があるとは!

(ただ気分転嫁に、ちんたら歩いてるからか・・・)


ということで、館の業務はしていませんよ。

あくまで自分の調査・研究です。という昼下がりでした。



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