高校サッカー部の思い出

N高に編入して、以前の高校生活を振り返る機会に恵まれた。覚えているのはサッカー部での出来事のみで高校生活はこれに尽きる。所属していたサッカー部は全国優勝の実績があり、プロも輩出している。今でも県ベスト8には名を連ねる強豪だ。

某有名神社に繋がる急な階段をダッシュで駆け上がる名物練習があり、体力のない私は階段の途中で嘔吐した。観光に来ていたカップルの目の前で我慢でず嘔吐したため、恐らくそのカップルは興醒めだったろうと心中を推し量る。そして、その後どうやらその名物練習は取りやめになったようだ。(観光客や神社からクレームがあったのかもしれない。だとしたら後輩達への最大の貢献と言えるだろう。)

遠征中の大事件

前置きはさておき、高校1年生12月冬休みの遠征は強烈に記憶に残るものになった。大会参加中のサッカー部員数十名(確か80名位だった)が集団ノロ感染したのだ。私もそのうちの1人で当時は高校1年生。焼肉夕食準備の直前に急遽吐き気に見舞われ嘔吐し、そのまま近くの病院に入院した。夕食の焼肉が美味しそうで「早く食べたいなぁ」と思いながら夕食準備していたのだから驚きだ。ラブストーリーと同じでノロウィルスは突然やってくる。

医療崩壊

原因は当日民宿が用意した昼食弁当にあったことが後ほど分かったが、当時は何なのかよく分からず、保健所の職員に食べたものや症状を細かくヒアリングされた。症状が出る速度には個人差があるようで、私は比較的早い段階で発症した。最初の嘔吐以来吐き気もなく、一緒に病院に来た同期とソファーに座って呑気に雑談をしていた。しばらくすると救急車やコーチ付き添いで病院に運ばれてくる他校の部員も目立ち始め、病院内は慌ただしくなってきた。そんな最中嘔吐の第2波が襲ってきた。

再び嘔吐と更に激しい下痢に襲われ、急遽用意された簡易ベッドに寝かされ点滴を投与されたが、嘔吐と下痢が治る気配はない。吐きたいのでトイレに行こうと看護師を呼んだが一向に来なかった。看護師を呼び続けていると他校のコーチらしき人がバケツを持ってきてくれて、他にも生徒が多数運ばれてきて看護師が近くにいないことを教えてくれた。もう病院はてんやわんやだ。そして、廊下から看護師さんの「Sさんが倒れました」の慌ただしい声と廊下をかける音が聞こえてきた。Sは私と同じタイミングで運ばれ、呑気に雑談していた同期の1人だ。恐怖を覚えるほど余裕がなかったが、Sを心配した記憶がある。(ちなみにその頃、ソファで雑談していたもう一人の同期Sは大声で注射がイヤだと喚いて看護師を困らせていた....)

誤診

私は症状も治まってきて病室に移された。診察を待っていたら、倒れたS氏が車椅子に乗って笑顔でコーチと一緒に現れたので安堵した。病室には同期のエースとW実の10番がいた。補欠の私は劣等感を抱かずにはいられなかったが、回復は彼らよりも早かったようだ。後から病室にやってきた同期のエースは40度近くの高熱で、看護師に「どこの学校?」と聞かれ、「〜中学校」と出身中学を答えてしまうほど意識朦朧としていたし、W実のエースはコーチに背中を支えられながらまだ嘔吐していた。当方はしばらくして、嘔吐と下痢で全て出し切った感覚があり喉が乾いたので、看護師に飲み物を懇願したが、まだ我慢するよう言われた。他の病室に入院しているらしき老人がプリンを差し入れにきてくれたが、今欲しいのはプリンではなく水分だと強く思った。

エースの同期も喉がカラカラで困っていた。彼も看護師に再度水分摂取を懇願したが、嘔吐した後にすぐ飲んでしまっては、また吐いてしまうと説明を受けた。彼は高熱の身体で声を振り絞って「一度も吐いていない...」と話をしていた。医師の指示に素直に従えるほど人間ができていないのが高校生である。結局我慢できず内緒で売店でポカリを買って一緒に飲んだ。

水分摂取後エースの同期も少し元気になり、笑う余裕もでできた。でも彼の熱はなかなか下がらなかった。彼は我々と違ってインフルエンザに罹患していたのだ。今振り返るとあのまま水分を断っていたらと恐ろしく感じる。集団感染の最中、インフルに罹患するタイミングの悪さもさることながら、医療キャパが逼迫すればこのような誤診も増えるのだろう。

帰宅

帰宅の日は確かクリスマスイブだった。症状の軽い人達をその日に帰すべきか議論されていた。帰宅経路にはディズニーランドがあり、渋滞に巻き込まれ体調が悪化する事をコーチ達が懸念していたからだ。でも、回復した人達にとっては貴重な冬休みが待っていた。『今日帰るしかない』そんなテンションでコーチ達を説得した。案の定渋滞にはまり長い戦いになった。バスの中のテンションは明からに低く、私もほとんどの時間を寝て過ごした。途中体調が悪くなる人もいたが、当方はとりあえず大丈夫だった。高校にバスが着くと、普段見たことのない学校関係者や保護者たちが迎えにきてくれていて、優勝していないのに凱旋パレードをした気分だった。想像以上の大騒ぎだ。私は既に回復していたので、この騒ぎになんか申し訳ない気持ちになった。

私の両親も車で迎えにきてくれていたが、私は「なんできたの?大丈夫って言ったじゃん」と一言、通常通り自転車で高校から自宅までの10kmの道のりを帰宅した。



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