SNS幽霊

みんなは嫌いな人がいるとき、どうする?

私はというと徹底的に頭の中で憎み続ける。あられもない呪詛を吐き(勿論頭の中で/もう大人なので分別はつくのだ)、絶対こいつを打ち負かしてやる、こいつを倒すために私は生まれて来た、と怨念や憤怒を溜め込み、自分の創作の糧にする。
冷静な人は、嫌われてしまったらしょうがないし、そんな人のことを考えるだけ無駄だから、考えないようにする。と言う。
私はそういう考え方が素直にできる人に憧れを抱いている。
前述したように、私ももういい大人なので、いつまでも嫌いな人に頭を占拠されるわけにはいかない。自分の人生のために。
しかし生来の性格、考え方を自分の意思でいきなりねじ曲げることは難しい。考えないようにすればするほど、余計に考えてしまう。

最近、存在を忘れなきゃなあと思う人がいて、基本的に生活を送るにあたって何不自由はないのだが、それでも眠れない夜などにはなんとなく考えてしまう。
不眠に悩まされるのは嫌なので、なんとか考えないようにするが、エンドレス。
これはいかんと思い、私は荒療治に出ることにした。
何をするかというと、SNSでのその人の痕跡を消すことだ。
メッセージアプリの「LINE」は、相手の名前を自分の好きなように設定することができる。愛称や分かりやすい名前にすることができるのだ。
私の友人は、「○○ちゃんに300円」と相手の名前を変えて、メッセージのやり取りをするたびに自分に借金のリマインドをしていた。かなり頭のいい活用方法だと思う。
以前バイトしていたとき、支払いをする客が財布を出そうとしてレジのカウンターに置いた携帯の画面が目に入ったのだが、LINEで通話中だったらしく、相手の名前が「デブ」と表示されていた。まあそういうこともある。


友だち一覧からその人の名前を探し出す。靄がかった気持ちが顔を出した。
相手のホーム画面へ行き、名前の横のペンのマークを押すと、入力画面へ変わる。最初にあった名前を消すと、入力ボックスには薄く元の名前が表示され、これを下書きに新しく名を刻めと暗黙の指示をされる。
「バカ」「クソ」「うんこ野郎」などの候補が浮かぶが、あくまで今回の目的は忘れることだ。完全に消去することは困難でも、私の人生の空気にごく微量に存在を霧散させるくらいに薄めたい。
その為には、当たり障りのない名前、特徴的でない、思い出せないというほどの名前がいいんじゃないか。
そう考え、私は架空の名前を入力した。本当にごく普通の、facebookで検索すれば、読みだけなら何万人と出てきそうな名前だ。

完了ボタンを押すと、そこには全く知らない人物がいた。
名前はあいうえお順に並び替えられ、今までいるところのなかった場所に名前が移動する。
その人が参加しているグループLINEのメッセージ画面を覗いてみると、人がその人に対して発信したメンション(Twitterでいうリプライのようなものだ/リプライとは名指しの返信のこと/SNSの機能の説明で他のSNSの用語を持ち出すのは、なんとなく病理だ…と思われる)も、全く知らない名前に変わっていた。

その時私は、何とも言いいがたい恐怖や不安に包まれた。足元がふわりと浮つくような不思議な不安。
私はこの人を殺した、と思った。
勿論、たかが名前を変更しただけである。
でも、私の十手にも及ばないフリック入力で、元々存在していたその人は完全に姿を消してしまった。
あなたは誰?目の前にいるあなたは。
新しい、生まれたばかりのぴかぴかの名前は、何の姿かたちも持たない。
顔も、どんな性格なのかも、どういう人生を歩んできたのかも、何もない。一切の想像ができない相手が、確かに目の前にいる。
外側の想像ができないのに、確かにアカウントはそこにある。中に生身の人間がいるのだ。私は整形外科医にでもなったかのように、その人の皮を剥いで、新しく作り変えてしまった。

私は恐ろしいことをした気持ちになった。宇宙に投げ出されたような感覚。いや逆に、私が宇宙に投げ出したのか。
再び相手のホーム画面に飛び、ペンのマークを押す。
自分勝手に付けた名前を削除すると、元の名前がうっすらとした灰色になって現れる。私は安堵した。
しかし、私がここで正しい名前を自ら入力したところで、結局それはまた元の人と同じような別の人を生み出すことでしかないような気がした。私はそれが一番恐ろしいと思った。取り返しがつかない。

子供の頃、父親に連れられて行ったスーツの販売店で風船を貰った。
父親が買い物を終えるまで風船で遊んでいたのだが、不注意で手を離してしまい、空へ飛んでいってしまった。
私が悲しくて泣いていると、従業員が気を遣って新しい、同じ色の風船をくれた。
父親も従業員もこれで満足するだろうと思っていたようだが、当の私はというと、その風船への違和感が拭えず結局涙が止まらなかった。
私が会いたかったのは一緒に遊んだ思い出のある、飛んでいってしまった風船であって、同じ風貌の新品をもらっても、全くの別物にしか思えなかったのだ。新しい風船の得体の知れなさにとにかく泣いた。

私はこのときのことを思い出した。全く一緒だ。
外見だけ同じの別の何か。私の手でそれを生み出すのが怖くて、入力ボックスに何も文字を入れずにそのままバックボタンを押した。祈る。
すると、元々の名前を持った相手のホーム画面が表示された。
私は今度こそ安堵した。これは本物だ。入力ボックスに沈められうっすらと湖面に映し出されていた名前が浮上してきたのだ。それは紛れもない、その人の歴史を背負った名前だった。
全身の力が抜ける。
もう携帯には触らないようにして、眠りについた。

やはり世界を故意にひっくり返すようなことをしてはいけないと思った。
というか、なんだかんだ臆病な私にはその度胸がないことを改めて思い知らされた。自分のような小さめな人間は、とにかく目の前のことを受け止めて堅実に生きていくほかあるまい。

私が不用意に生み出してしまった架空の命はどこに行ったのだろうか。
SNSの狭間で行き場を無くして浮遊している様を思い浮かべると、心が痛む。浮遊している様、と行っても、見た目の想像がまったくできないのだが。
ソーシャル・ネットワーキング・ゴーストは供養されることもないまま、電子の海へ流れていく。電子に海があるなら三途の川もあるのだろうか。
もし電脳世界に輪廻があるなら、また別の命へ生まれ変わってほしい。最後まで自分勝手だけど。

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