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虐待の連鎖から抜けられた訳

「虐待の連鎖」って聞いたことある方も多いと思います。

被虐待経験がある親が子どもを虐待してしまうというもの。

私も、かつて「連鎖」に悩んだ一人でしたが、いまは抜け出すことができました。

なぜ抜け出すことができたのか、それを記録として書いていこうと思います。

始まり

それは、まだまだ長男が赤ちゃんだったころでした。

当時、知り合いも親戚も友達も誰もいない土地で

夫婦二人きりで子育てをしていました。

夫婦で、といっても

主人は激務。出張で何日も帰ってこず、ワンオペでした。

でも家にいるときはミルクも夜泣きも付き合ってくれる。最高のパパ

と思いきや

私に内緒で、勝手に仕事のスケジュールを調整して

仕事に出かけると嘘をついて

パチンコに行っていたり

子どもそっちのけでゲームをすることがあったり。

何故嘘をついてパチンコに行っていたのかというと

私が大のギャンブル嫌いなのを知っていたから。実父のギャンブルのせいで

極貧生活を経験していたから。

それなのに

隠れて行っていたのを知って

とにかくショックしかなく。

大げんかはしたものの

イライラは収まらない。主人にぶつけることもできず

悶々とイライラを抱えながらも粛々と毎日を過ごしていて。

それでも、イライラや不安から不眠に悩まされるようになって

精神科にも通うようになりましたが

状況は改善せず、とうとう爆発してしまったのです。

大きな声で元気に泣いているだけの長男に向かって・・・

もう、ダメだ

2,3日、自分なりにこらえていました。

でも泣き声のたびにイライラする自分に恐怖を感じました。

「私も、母のようになるかもしれない」と。

絶対にああなるまい。私はあんなことしないと強く誓ったのに。

「あんな母親ならいない方がマシ」と思っていました。

この子にとって、私もそうなるかもしれない。

泣いているときにやさしく抱き上げることもできないなんて

ただ産んだだけで、母親の資格なんてない。

大泣きしてがたがた震えながら電話したのは

児童相談所でした。

何をどう話したのかは覚えていません。

ただ、30分ほどで職員が二人来て長男を確認し

「一時保護」ということで連れていかれました。

何もかも終わった。

でも、長男のためにはこれしかない。

あの子が幸せに暮らすためには。

そうとしか思えなかったんです。

主人に報告

主人には事後報告となりました。

なぜそうしたのかというと

・離婚も致し方ないと思った

・義実家に頼りたくない

・メンタル面の治療を優先させる必要があると思った

・反対されたくなかった

と思ってのことです。

主人に任せて自分はいなくなる、ということも考えましたが

嘘をついてギャンブルに行くような人に預けても

自分のような思いをするのではないか、という思いがありましたし

また、長男とともに暮らせるようになりたい、という

淡い希望も、正直ありました。

主人の思い

びっくりして帰ってきた主人に

思いの丈を伝えました。

どうしても信じられなくて辛かったこと。

もう行かないという言葉を聞いたけど、毎日車で市内のパチンコ屋の駐車場を回ってしまうこと、薬が効かないこと

全てに限界で、息子をかわいいと思えないこと

そんな自分が本当に許せないこと。

義実家に預けたとしても私は甘えてしまう。

会いに行ってしまう。そしてきっと数日で連れ戻し、また預けの繰り返しになること。

振り回す人を減らすために考えたけど

これしか思いつかなかったこと。

「そんなにつらい思いをしていたなんて、全然気づかなかった」

「自分のしていることは、そんなに大きなことじゃないと思っていた」

と、私の前で涙を流しました。

「離婚なんてしない。また、みんな一緒に暮らせるようになりたい」

「だから頑張ろう」

その後、主人を交えた面談をして

正式に長男の保護が決まりました。

そして私は、入れ替わるように入院し

治療に専念することになりました。

初めての面会

3週間ほど入院し、ゆっくり薬の調整を行いました。

退院後すぐ通常の生活ができるかというとそうではなく

多くの人が、退院後の生活に再適応できず苦しみます。

私も例外ではなかったのですが

病院の指導どおり、2週間ほど安静にして、家事は最小限に。

1か月ほどでほぼ通常の生活ができるようになりました。

主治医に意見書を書いてもらい、児童相談所との面談。

施設内、短時間の面会の許可が下りました。

しばらくぶりに会う我が子。

泣いてしまうだろうか。

可愛いと、思えるだろうか。

でもそれは杞憂に終わりました。

ぷくぷくと太って、まんまるで

柔らかくて、いい匂いがして。

すぐにでも連れて帰りたいほど、可愛いと思いました。

でも、それはできないのです。

短時間の、職員立ち合いの面会を重ね

面談をして

短時間の散歩から外出になり

外泊にトライして、日誌もちゃんと書いて提出。

その間に主治医の意見書なども必要・・・

沢山のハードルを越えていかなくてはならないのです。

でも、それは我が子の「命」のために必要なこと。

命を守れる私に、ならなくてはならない。

そのために、必要なステップだと割り切らなければ

前に進めない。

焦らないでと言われても

初めての面会以降、やはり「焦り」との戦いになりました。

「早く一緒に暮らしたい」

自分で選んだことだとわかっていても

ふと寂しくなったり、ベビー用品を見ては涙が出てしまうようになりました。

「焦らず、ゆっくり、一歩ずつ」

みんなそう言ってくれています。

義実家でさえも

「ママがまず元気にならなきゃね」と言ってくれる。

それはわかっているけど

会いたい、抱っこしたい、顔を見たい。

改善の兆しが見えたのもつかの間

体調が乱高下するようになりました。

そんな中でも救いだったのは訪問看護に来てくださっていた

看護師さんでした。

私の訴えや、焦りを聞いても

非難したり、否定したりせず

焦って当たり前。なにもおかしいことはない。

こうやって悩み、解決していく道は

あなたにとってのプラスになっていくんだよ。

長男君の話をするとき

ちゃんとお母さんの顔しているの。

自分では見えないところも、少しずつ成長してる。

だから、大丈夫。絶対頑張れる。私は、信じているから。

いつもそう励ましてくれていました。

その励ましもあって、少しずつ体調も落ち着き始め

乱高下も少なくなっていきました。

ーーーーーーーーー                        「焦り」のなかの大部分は「嫉妬」だったということを

だんだん自覚するようになったことも大きかったかもしれません。

なぜなら

施設から送られてくる写真の中の長男は

いつも笑顔で

職員さんの手書きで

「よく笑うようになりました」

「ベッドメリーが大好きで」

「音のなるおもちゃが大好きで」

「大きな声で、職員を呼ぶこともあります」などのメッセージを見て

「うらやましい」と思う気持ちがあったから。

最初は

他の人に愛されて育つことを願ったのに

実際そのような場面になると

子どもに対してまで

「私を愛してほしい」とか「私を必要としてほしい」なんて

思っている。

自分のことも、我が子のことも信じられずにいる

私の幼さそのものが根本にあるのだと

自覚できたのでした。

嫌なことから逃げ、自分だけを大切にした報いが

ここにきて現れているんだと思いました。

まず、自分のしてきたことの結果を受け止めなきゃ

前に進めないのだと気づき

少しずつ生活の改善や食事の改善、服薬の管理もして

デイケアに通ったりもしながら

回復に集中することができるようになっていきました。

退所してから

半年ほどして、やっと退所の許可が下りました。

それには条件があり

「保育園に入所させ、通院を継続すること」でした。

近所の保育園にお願いすることになり、長男は無事退所。

念願の、三人の暮らしが戻ってきました。

上手くいくことばかりではなかったけれど

夫婦で話し合ったり、早めに義実家に相談したりしながら

対処ができるようになっていました。

施設に預けたことがきっかけで

相談をすることが怖くなくなったというのも

プラスに働きました。

「ひとりの命をしっかり育てるのには、他人の助けがあっていいのよ」

「一人ですべて背負えるほど、子どもの命は軽くない」

これは、今でもよく思い出す言葉です。

今になって思う事

今、長男は高校1年生。4歳でサッカー始め、もう11年になりました。

サッカーを続けたいとの強い希望で、私立高校に進学しました。

自分の意見をはっきり言う、強くて明るい子です。

多分、私一人、もしくは夫婦二人だけで頑張っても、こういう子にはならなかったと思っています。

コーチ、監督、仲間、親御さんの叱咤激励があってこそだし

なにより、長男自身が「親以外に頼れる人がいる」と学んでくれたことが大きかったのではと実感しています。

そんな長男を見て、私たちは

「一歩引いて、俯瞰してみる」ということの大切さを学びました。

我が子は自分のすべてだけど、自分は我が子の全てじゃないし

そうなってはいけないんだ。

小学六年生の時の最後の公式戦。

チーム創設以来の高順位をかけた試合。

同点の末に延長でも決着がつかずPK合戦になり

最後に長男が決めて勝利したことがありました。

長男が飛び込んだのは、私たちの胸ではなく

全幅の信頼を寄せていたコーチの胸でした。

緊張の糸が解けて泣いている長男を

「よくやった、頑張ったな」と言いながら

抱きしめて頭をなでている。

それに重なっていくように、なだれ込んでいく仲間の姿。

その姿を見た時に、私には、過去のような嫉妬はありませんでした。

むしろ、清々しくもあったのは不思議です。

なんとなく、大義の意味での子育ては終わったような

そんな感覚でした。

自分たちの親としての仕事は

ただ守り育てるだけじゃない。

気付いたのが、遅すぎたような気もしますが

今は、とても幸せだし、楽しいのです。






















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