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お迎えについての葛藤。

ドールのお迎えのことを考えるとめりめりとHPとMPが削れていきます。悩むくらいならお迎えしなきゃいいのに……と自分でも思うんですけど、単なる高額な買い物ってだけじゃないと思うんですよね。
この出方によっては今後の人生ががらっと変わってしまう可能性がある。私にとってスーパードルフィーはそういう買い物です。

特にキャラドをフルチョで迎えるつもりなので、信仰を試されている、と感じてしまう。何に試されているのかは不明ですが……。

私は基本的に推し活<暮らしという考えです。暮らしを優先してグッズを諦めたり、ガチャを我慢したり、ということは往々にしてよくあること。何なら「暮らしを切り詰めるくらいなら推し活を我慢した方が長い目で見て健康的」と考えています。
でもな~~~。スピリチュアルかもしれませんが、心が求めてるのよ。

今、踏み絵をお出しされている状態です。自分が貫きたい信仰に殉じるか、暮らしに甘んじるか……。

迎えてからの問題というのもあります。置場所は確保しましたし同居家族の同意も得られましたが、いずれ私が自立する上で、グループホームという福祉サービスを受けながらの暮らしを経る必要があると感じています。そこでは複数人での同居生活を営んでいく訳で、高額な美術品を持ち込むわけにはいかないでしょう。実家にしまわれて、たまの帰省の時だけかわいがることになります。
そして、もし数十年後、私が自力で食べられなくなって福祉のお世話に……となった時、スーパードルフィーは果たして資産にカウントされるのか、カウントされるとしたらどうやったら愛着の湧いてしまった子を手放さずに済むのか、はたまた納得できるお別れができるのか、悩みの種になるでしょう。

一体で済むのか、という懸念もあります。タガが外れる可能性が怖い……。

あと今まで「自称ドライ」だったのですが、スーパードルフィーにはめちゃくちゃウェットになるだろうな……という気がします。ウェットといえばドールに詳細な設定をつける、ストーリーを練る、と思われているようですが
ドライ=フィギュアや模型のように「物」として大事にする。ウェット=魂のこもった「命」として大事にする の違いな気がしています。
お迎えしてもドールに話しかけはしないと思いますがそれは既に「心」が通じていると思うから声として発する必要がないと思うからであって、これはめちゃくちゃウェットな考えでは。

私は自分の寂しさと対峙しているのかもしれません。
そして「推し」に会える可能性を見つけたら会ってみたいと思うのがオタクのサガではありませんか。発想は完全に宗教だね。

自嘲気味に「ちょっとスピっている」っていうの、やめて、もう癒しを求めてスピリチュアルに全振りしようかなぁ。偏見かもしれないですがスーパードルフィーのオーナーはウェット&スピリチュアル多めな気がしますね。まぁ元々の会社が結構……。発祥はオカルト板なのかもしれませんが……。

でもパワーストーンのオーラが……とか言い始めたらその時は射殺してください。
おおたうにさんも言ってたけど30越えると急にスピに目覚める時があるのかなぁ。理性が機能しなくなるのかもしれない。
これってトリビアになりませんか?

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