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胸底のうみ

ガチャガチャを回したらそれぞれ狙っていたやつが一回で出てハッピーです。
あとヒトリエが10周年ライブをツーデイやってくれるというので上京計画を立てています。これはまずチケットが取れないとね。

さて、鬱をぬけて今は微躁です。バイオリズムな気もしますが1~2日「完全フラットか?」と思える日があってその後ちょっと上がりました。口数が多くてぽんぽん言葉がでるのでセーブしなきゃな……と思っています。

あと妙にポジティブです。
ふとお風呂に入ってたら「今まで経験やトラウマが心の不調の原因だと思ってたけど、先に双極性や精神病的気質(被害妄想に陥りやすいとかそういうとこです。本当に具合の悪い時は幻聴や誤認、連合弛緩もあったかも)あるいは他我境界の曖昧さがあって、本当は思ってたよりいじめられてなかったのでは?」という考えが浮かんできました。
まぁ本当にいじめられてた可能性は否定できないのですが(例えば動物小屋に閉じ込められて外から笑われた体験などは虚偽の記憶ではないでしょう)「いじめられていた」「貶された」「笑われていた」という感覚ばかりが強くて、具体的なエピソードがそんなに浮かんでこないのですよね。

他我境界の曖昧さについては人の痛みに世話を焼きすぎたり、悩みに過度に首を突っ込んでしまったり、……「優しい」「思いやりがある」と前向きな言い換えもできるかな?と思いますが、見えてるのはあくまで自分の視点。逆転移や共依存にもなりかねないのでここでは弱点とします。優しいっていうのはある点では美徳だと思ってますけどね。推しがそうだし。

ここまでこう書くと、全然ポジティブじゃないような気がするんですけど、過去の体験や取り巻く環境は正直変えようがないので、アプローチ先が「自己の疾病特性や認知のクセ」になった分、かなり気が楽です。
治療効果のひとつなのかは分かりませんが、憎しみが消えたような感覚でもあります。攻撃する対象を必要としなくなったというか。

で、これは躁なのか? と疑問が……。
この考えが浮かんだ時、ぱーっと霧が晴れる感じがしました。肩の荷が降りたというか「私は悪くなかったんだ!」という感覚です。
良い感じでしょ。でも過去にこういう感覚があった後に結構な躁転に至ったことが二度ありますからね。脳の揺れが起点なのかは分かりません。
過去の霧晴れ体験については「なんて素晴らしい発想なんだろう!」「私は正しい!」と勢いがついたまま激躁へ爆走してしまった可能性もあるので、「ちょっと一旦落ち着いとこ」という感じです。
じわじわ疑問が積ってたけど、天秤が傾くように急に正へスイッチした可能性もなきにしもあらず。
でもこれを「躁の症状です」って言われたらがっつり傷ついて、結果怒り出す……なんてこともあるかもしれないし……とまた霧に陰っていくよう。
まぁ取りあえず落ち着いとこ。悲観も楽観も過度にしないが吉です。

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