「シンカイとは何だったのか?」柿次郎と店長が振り返る熱狂の5年間
2018年に「やってこ!」と産声をあげた「シンカイ」は、2023年6月で5周年を迎えます。5年目の区切りで、リアル店舗としてのシンカイの営業は一旦休止。現店長の長崎航平は店を卒業し、シンカイを通して繋がった全国の場を巡る旅へ出ます。
365日実在するリアル店舗としての赤字経営、「定義しない場所」だからこそ生まれた出会いと、「場」に立つ側の苦悩、建物と土地が持つパワーとの向き合い方……。5年間の振り返りと、「シンカイ」という場の解釈は尽きません。
5周年、そして区切りのイベントである「シンカイ LAST DANCE」を目前に控えた、オーナー・徳谷柿次郎と、旅立つ現店長・長崎航平の対談をお届けします。
自分が「場」に救われたからこそ、自分で場作りをしたかった
ーー長崎くんはもともと、二十歳の時に柿次郎さんへDMをしたことがきっかけでシンカイを任されることになったんですよね。当時はどういう気持ちでしたか?
長崎 とにかく柿次郎さんと話がしてみたかったんです。「会いたいです!」って熱量をぶつけたInstagramのDMを送ったら「いいよ!」と返事がきて。近い将来「場作り」をやりたいと思っているけれど難しいって話をしたら、「だったら、シンカイやってみなよ」と。
柿次郎 もともと、前店長のナカノヒトミちゃんに子供が生まれて、このまま店を続けるのが難しいからどうしようって話が先にあって。ちょうどそこで長崎くんからDMがきた。偶然というか、必然だね。
当時の長崎くんは、なんか目がキラギラしてて「リトル長瀬やん!(※)」って思ったな。いい顔してたね。
長崎 お店を任されると決まった時点で、続けないとわからないことがあるだろうから、短くても1年は絶対にやろうと決めていました。その一方で、絶対に長くいちゃダメだという想いも自分の中にありました。シンカイで働きたくてHuuuuに入ったわけじゃないし、次にやりたいことがあるからこそ、僕はずっとここにいてはダメだと。
ーー区切りを持とうと最初から思っていたんですね。そもそも長崎くんが「場作り」に興味があったのはどうしてですか?
長崎 僕の家は両親ともに公務員で、自分が高校生になるまで地域の大人に会う体験がなかったんです。だから10代の頃は将来に対して、漠然としたモヤモヤが溜まっていました。一人でブルーハーツを聴いて、なんだかめちゃくちゃ腹は立つけど、何をしたらいいのかわからない。
そんな青春時代を送ってきた中で、地元である上田の喫茶店だったり、映画館だったり、「場」にいる人たちとの出会いに救われた感覚があって。
ーー自分自身が救われた経験からくる想いだった。
長崎 でも、いざ高校を卒業したら、同世代の仲間たちが全員、首都圏の大学に行って、いきなり一人、地元に取り残されてしまった。
今でこそ、長野市にはMADOやR-DEPOTみたいなハブとなる場所があって、地域の大学生や大人と繋がる機会があるけれど、当時、自分の周りにはなかった。だから、そういう場を自分で作りたいなと。その中でシンカイのことも知りました。
試行錯誤と無数の失敗を超えて、最終的には「シンカイであること」にたどり着く
ーー実際に、1年半シンカイという「場」に立ってみてどうでしたか?
長崎 いや〜、めちゃくちゃしんどかった……。シンカイの大事な要素である、「定義しない場」であることが、やっぱり難しさではありました。お店を開けに来て、仕事の時間の中でマジで何も考えなかったら1日やることがない。だけど、やろうと思ったらいくらでもやることがある。
ーー「場作り」がしたいと思っている若者って、日本中にたくさんいると思うんです。でも、理想に対して、利益構造や運営の仕方など、現場ならではのリアルなキツさもきっとありますよね。
長崎 仕事が忙しくてヒィヒィ言うみたいなキツさはなかったです。でも、例えば飲食店だったら、お店を開けたらお客さんが来て、ご飯を作って提供する、というある程度決まった流れがあるじゃないですか。シンカイには、その「決まり切った仕事の流れ」がない。ひたすら悩みながら、「これでいいんだっけ?」と立ち止まることが続くしんどさがずっとありました。
ーー長崎くんと柿次郎さんの2人で、シンカイをどうしていくかみたいな話はしていたんですか?
柿次郎 「次これやってみる?」とか、「やってみたら?」って話すくらいかな。あとは、俺以外の大人たちにコーチングみたいなのをしてもらってた。自分で面倒見きれないからって理由もあるけど。モンスターじいさん的な意味合い。英才教育レベルでコストはかかったなぁ。
長崎 いろんな人に時間を費やしてもらったけれど、うまくいかなかったことに対しての反省を、自分の中でずっとしていました。改めて日報を読み返す度、自分の記憶から抹消していた失敗もたくさんあるんですよ。
例えば、シンカイでシーシャを出す計画があったんです。北海道の北見と東京の水道橋にお店があるシーシャ店「いわしくらぶ」に行って、オーナーの大地さんにアドバイスをいただいたけれど、ぼんやりと実現せずに終わって……。その後も、シンカイでお酒を出す計画があったけどそれも形にならず。
柿次郎 酒販計画、あったね!! 俺も記憶から消してたな。
長崎 税務署に話を聞きに行ったけどマジで何もわからなくて。建物的な難しさもあり、いろいろ考えてるうちに「難しいな」と。それから、シンカイ初期から関わってくれている元ALL YOURSの木村まさしさんにメンターとして相談に乗ってもらったんです。
そこでシンカイは「本」の存在が大きいんじゃないかという話が出たので、本の取り扱いを増やそうとしたけれど、まずは今の在庫を売らなきゃダメじゃん、と消えて……。表に見えていない裏のところで、三倍は失敗してるんですよ。
シンカイは生きている? 建物としての人格と、土地に宿る「若者が集まる場所」というパワー
柿次郎 俺としては、「なんでできないんだろう?」ってだけかな。長崎くんだからできない、じゃないんでしょうね。シンカイは、建物(古民家)としてのハードルもあって実現できないことが多いし、改修コストをとってやりきるほどのエネルギーが湧きづらい。いまのシンカイでやれる範疇でやろうっていうのも、それはそれで、別にいいんじゃないかなって今は思ってます。
結局、自分の中から出たものしか、モチベーションって続かない。それはしょうがないし、別にシンカイのこれまでを失敗だとも思ってない。そもそも成功するためにやってないから。「じゃあ、長崎君がやりたいことをやれば?」と言って、「同世代の若者を集める」って振り切り方をしてから、長崎くんがいい顔をしてるし、結果元々のシンカイっぽい形になってきた。
ーーいろいろ試した上で、最終的にシンカイの元の姿に収まっていったと。
柿次郎 シンカイって「そういう場」でしかないし、それ以外できない感覚はあるな。この建物と土地自体に、「若者が集まってなんかやってる場所」みたいなパワーが宿ってる。
なんか売ろうとか、これやったらいいかも、みたいな流れがあっても、自然に「若者が集まる場所」みたいなところで折り合いがついてしまうのが不思議なんだよなぁ。いろんな人が出たり入ったりして、決まらない形であることが面白い。生態系というか、生き物っぽい。……シンカイは、生きています!
ーー日本各地のローカルの現場で、「若者が集まる場所」を作ろうとしてみんなそれぞれ奮闘していると思います。シンカイはそれが勝手に起きてしまう磁場にある……?
柿次郎 でも、そういう場所で利益を生み出すのは、むずかしいんですよ。 全国に似たような役割を持った場所はあるけど、どこもシンカイと同じような問題を抱えている気がする。でも、やるしかない。
これがもし、俺がずっと立っているような店だったらなんとかなっていたかもしれない。むしろ最初はそのつもりで始めたんだけど、途中で「これは無理だ」ってわかったんです。
ーー柿次郎さんがずっと店頭に立つ構想もあったんですね。
柿次郎 そうそう。最初のやりたいお店のイメージは、ラッパーが30歳を過ぎて、ビルの小さなテナントで好きなものを売ってる姿。
でも、シンカイでそれをやろうとすると、ガラスが多いから商品が日焼けしやすいとか、外から見える分、公共性を担保しないといけないとか、謎の形だから陳列が難しいとか……。どれだけレイアウトをしても「シンカイ」になっちゃう。シンカイ自体が個性! 恐ろしい!
ーー(笑)。建物自体に、人格というかパワーが宿っていると。
柿次郎 ただ、難しさがあると同時に、ここには土地のパワーと、元々ここに住んでいて持ち主である新貝(しんかい)さんの徳が積み上がってる。だから、Huuuuとしても僕個人としても、すごくいい影響力がありましたね。
ビルの個室で店をやっていたら、店のオープニングに長野県知事は急にやってこなかったと思うし、街の人から「あぁ、新貝さんとこでお店やってる人ね」みたいな受け入れられ方はしなかったと思います。
気分は明治維新の初期? シンカイの熱に踊らされる、「シンカイ現象」
柿次郎 あと、シンカイの2階でたまに酒を飲むのが結構好きなんです。明治維新の初期みたいな気持ちになる。
長崎 ありますね〜(笑)。
柿次郎 なんかね、ここにいると実際そういう空気になるのよ。前に編集者の友達が京都から何人か人を連れてきて、みんなでシンカイの2階で飲んだことがあって。
その中にいた若い子がスウェーデンの政治と教育を学びたいって話に対して、「こいつ、めちゃめちゃ将来有望なんじゃないか」「ローカルに恩返ししなきゃ!」って盛り上がっちゃって。お金がないからって理由で行けないのはもったいないじゃないですか。だから、その場にいた4人のおじさんが、リアルクラウドファンディングのノリで10万円ずつその子に託したんだよね。あれは何だったんだろう?って、あの時お金払ったおじさんたちはみんな思ってると思うよ。
みんなシンカイの熱に踊らされちゃう。でも、それがシンカイ。
ーー長崎くんも、シンカイならではの現象は体験しましたか?
長崎 行き場のない熱を寛容してくれる場所だな、とめちゃくちゃ思いました。若者特有の、「自分の持っている熱」の放つ場所を探している人にとって、シンカイは相性がよかったんだと思います。
例えば、信州大学に通っているみことさんって人が、熱量のままに杵と臼を自作したけれど使い道を決めていなかった、ということがあったんです。
ーー熱量のままに杵と臼を……?
長崎 どういうこと?って思いますよね(笑)。なかなかできない時間の使い方と熱の放ち方じゃないですか。
だけど、じゃあシンカイでイベントをやってみようか、という話になって、結果なにかが生まれる。シンカイは、そういう誰かの「やってみたい熱」を実践できる場なんです。僕が店長として前に立つというより、主役が毎回入れ替わる場所。それが僕の中でのシンカイの理想形でした。
もし、シンカイがただの小売店だったら絶対にできてないことだなと思います。その寛容さをもつ場所って、絶対街にあった方がいい気がする。街に対して、若者が入っていく余地が生まれると思うんです。
柿次郎 これはあんまり語られていないことだけど、シンカイには、若者たちに対する影響よりも、東京で俺が元々仲の良かったおじさんたちに対する影響がすごくあったんですよね。
シンカイのオープン当時、30代半ばでしっかり稼いでるクリエイターや広告代理店の仕事をしていた周りのおじさんたちは「このまま広告とか作り続けていたらやばいかも」って危機感を抱いていたらしくて。
その中で、自分はいち早く「俺はやるぞ!!」って長野との2拠点生活を始めて、急に「やってこー!」とか言ってお店も作った。元々はそんなキャラじゃなかったのに。
ーーどんなキャラだったんですか?
柿次郎 前職のバーグハンバーグバーグで「唯一の良心」って言われてるくらいおとなしいやつ。ただの「気のいいやつ」ぐらいだったのに、長野に移住したくらいから急に顔付きが変わって、「やってこおじさん」になった。それで周りの知り合いは「柿次郎なんかやべぇな!? どうしたの??」って(笑)。東京時代からの知り合いがやってこ!の軌跡を見て、応援してくれている。そのおじさんたちの同世代的な熱も、シンカイには宿ってるかもね。
結局、飯山在住・鶴と亀の小林くんが毎回持ち込んでくるクリエイティブにみんなやられて東京に帰っていくという……(笑)
ーー柿次郎さん自身、「おとなしい気のいいやつ」からの大ジャンプがあって、今に到るんですね。
柿次郎 シンカイを始めたばっかの頃は、もっと険しい顔をしてたと思うなあ。暴走モードで、常にこぼれ出てる怒りみたいな熱を全国に振り巻いてた。いろんな人を傷つけていた可能性が大いにある……。そういう意味では、長崎君に会った時はだいぶ落ち着いてたんだろうな。
悩める若者を拾って気に掛けるフェーズは終わり。「必死」になれるスイッチを探す旅へ追い出す
ーー長崎くんに出会った頃は、「怒り」モードを超えた時期だったんですね。
柿次郎 怒りと善意、両方だったね。利他的なことをやろうとすると、利己が死んで、怒りとか悲しみに変わる。そんな中でギリギリ振る舞ってたような気がする。
けど、そういう自分のモードもひっくるめて、ひと区切りしたいって感じかな。俺の「拾い癖」のキャパは全部埋まり切りました!
バーゲンセール的に周りの若者を拾って巻き込んで、気をかけてきたけれど、そのタームはもう終わり。その気持ちが全くなくなったわけではないけど、違うことに時間をかけないともったいないなと。
ーー悩める若者を拾い集めるフェーズは、もう終了だと。
柿次郎 なんだかんだやっちゃうかもしれないけど、やり方を変えていきたい感じかな。Huuuuが長野で運営する、コミュニティスペースの「MADO」とスナック「夜風」って別の場所ができたのは大きいですね。長崎くんもシンカイに来て一年半が経ったし、シンカイの役目も曖昧になってきた。
やろうと思えばこれからもやれるけど、とにかく長崎くんを送り出したかったんです。そんなに悩むのが好きなら、てめぇ一人で悩んでみたらいい! いろんな場所にいって、いろんな人に会って……、一回自分だけで悩めばいいやん!って。
ーー(笑)。長崎くんに限らず、シンカイには悩める若者が集まるんでしょうか。
柿次郎 もう、そういう磁場なのかな?ってくらい集まりますね。長崎くんが、両親とも公務員という環境の中で、違和感を持って立ち止まったのは素晴らしい。だけど、そもそも立ち止まって悩むこと自体がめちゃめちゃ贅沢だとも思うんですよ。
最近、安宅和人さんと糸井重里さんの「肉体言語で考えてごらんよ。」って対談を読んだんですけど、「なぜか今時の若い子は、大きな主語での悩みを持ちすぎている」という話があって。社会の課題を解決したいとか、誰かの役に立ちたい、地域貢献したい。そんなんせんでいいから、「とりあえず自分が飯食うためにやれるちっちゃなことを見つけて、それだけで飯を食えるようになればいいんじゃないか」って。最近の俺も全く同じことを考えてます。
ーー柿次郎さんには、そういう若者からの悩みがたくさん集まってきそうですね。
柿次郎 うん。でも、誰も行動せんやん!と思う。経済性もちゃんと考えて稼ぐんだったら、悩むよりももっと前に、やらないといけないことがある。悩める若者たちがかっこいいなと思う大人たちは、そこを全部越えて稼げるようになって、ようやく人に対してビジョンや利他的なものを振る舞ってるだけにすぎない。俺自身もそうだと思うし。死なない前提の環境の中で悩むことって、途方もない作業だよ。
ーーある意味、焦りがないから悩めるというか。
柿次郎 そうですね。俺がよく「やりたいこと考え抜いて、借金したらええやん」っていうのはそういうことです。このままじゃ破綻するかもっていう焦りのスイッチを入れられるかはもう本人次第。でも、ほとんどの人がそのスイッチを入れないまま生きてる。普通に大企業に入ったら、やるべきことがいっぱい振ってくるからそんなこと考えなくていいし。
でも、そのルートから自分の意思で外れた以上は、自分の生き死ににかかわるようなスイッチを探して、自分で押さないことには始まらない。長崎くんは、これからそういう旅に出ないといけません!!
「自分の遊び場は自分で作る」優しい先輩に甘えてはいられない、「飢え」を抱えて旅に出る
ーー自分の人生における、スイッチを探す旅へ。
柿次郎 シンカイで俺が言う「あれやったら、これやったら」も、結局は長崎くんの中から出ることじゃないから、駆動するエネルギーが弱くなってしまうし、「やり方がわからない」で止まってしまうんだと思う。だって、「シーシャ営業をしないと明日死にます」って言われたら、めっちゃ調べて、まずやってみたと思うよ。
長崎 そうですね……。
柿次郎 でも、若い子がそこまで考えなくていいようにHuuuuとしてバックアップしているし、これは長崎くんに限らず、若い子に何かを任すっていうことの業(ごう)でもあるなと思う。
ーー業、ですか。
柿次郎 過保護って言ったらちょっと違うかもしれないけど、「場」を用意しすぎているのかもなあ、って。相談できる人がいるし、お金回りも面倒見てもらえて、経験も積める。あらゆる大人と出会って、いろんな価値観も増える。でも、それだと「生き抜かなきゃ」って自分で感じづらいよね。そういう意味でも、そろそろシンカイを一区切りしたほうがいいなと思ったんです。
ーー整えられた「場」ゆえに、悩む環境になってしまう。
柿次郎 長野市は家賃も安いし、人もよくて厳しいことを言う人が少ないしね。だけど、周りでかっこいいお店をやってる人たちも同じように揉まれてここまできたわけだし。こんなのほんとは言い訳にもならない話なんです。場所は関係ない。どこでスイッチを入れられるかの話で、シンカイではスイッチが入れられない。それだけのこと。
ーー長崎くんは、旅立つにあたり、今はどういう心境ですか?
長崎 いい意味で、すごくハングリーでいられています。この場所で「できたこと」と「できなかったこと」がはっきりしてるからこそ、できなかったことをできるようにするためにはどうしたらよかったんだろう?とかずっと考えていて。
めちゃくちゃ悔しい思いをしたことや、自分の中の問いがたくさんあるから、これからは自分の力で解決したい。今の心境としては、すごく飢えています。
ーー何に対しての飢えですか?
長崎 長野市内には、夜風ができてPOOL SIDEができて、20代後半の若い世代のプレイヤーが増えた。でも、一方で、僕みたいなその下の世代はいない。自分たちの遊び場は自分たちで作らないとなくなっていっちゃうんだろうな、って、ある種のハングリーさがあります。ずっと長野にいたら、優しい先輩たちに甘えて何もしないまま終わっちゃうような気がしていて。
シンカイは盆栽?この場を引き受けた役割を背負い切ってから、次へ渡したい
柿次郎 優しい街も大事だけどね。長野市が帰ってこれる場所であって、かつ「なにかやりたい」と思ったら支えてくれる人が多い街なのは間違いない。きっかけが多い街だと思う。でも、日本全体で言うと、こんな話めっちゃマイノリティ! 9割以上の人が、相変わらず「東京行きたい!」って思ってるよ。
それに、ぶっちゃけ長野市がどうとか上田市がどうとか、どうでもいいとも思う。俺には、長崎くんが「世代性」みたいなものに囚われように見える。「若者が……若者が……」って口にするけれど、手を動かして稼げるようになるのが先決。時代的に世代性を思って当然だけど、そんなに対比しなくていい。ただ、「ここが好きだからやる!」みたいな純度の高いものに出会ったら、いずれそういうのは全部消え去るよ。
ーー「20代として」「この街で」みたいな大きい主語が、いつか消える時が来ると。
柿次郎 そうそう。主語が「自分」だけになる。そんなに考えなくても、衰退する街は衰退するし。時間が経てば若者じゃなくなるし。
でも、日本各地で街がそれぞれ変わりつつあるとも思う。地方の家賃が安いところでなにかやろうっていう空気感は、シンカイを始めた5年前よりも強くなってきている気がする。だから、長野市からシンカイがなくなったら、逆にシンカイみたいな場所が新しくできるかもしれないね。
ーーお店としては一区切りで休業するけれど、シンカイ自体はこれからもHuuuuが管理をするんですよね?
柿次郎 はい。余程のことがない限り手放す理由もないですし。今は2階が倉庫代わりになっているけど、ここを倉庫にしてはいけないと思ってます。だって、もしシンカイの一階に物がパンパンに詰まって放置されてたら、「場」が終わった感が出るじゃないですか。それこそ、生き物としてのシンカイが死んでしまう。
柿次郎 だから、空気が通ってないと感じる場所にはしたくないですね。仮に手放すことを考えるとしたら、建物として補強をしっかりして、次の人に安心して任せられるようになってからかなあ。勢いでお店をはじめたことのツケがあると思うので。
ーー「勢いで始めたツケ」という意識があるんですか?
柿次郎 長野に移住して、なんでも勢いでやっていたからこそみんなが面白がってくれたと思うんですけどね。自分がそんなにシンカイに立っていられなかったことに対する罪悪感もあります。人に任せている面白さと、自分が立っていない罪悪感はずっとありましたね。
ここがあったからいろんな人と出会えたからこそ、スパッとやめてシンカイを手放します、というのはなんかかっこ悪い気がして。シンカイが、なんでもないただの建物だったら手放しただろうけど、この場を引き受けた「役割」がある。2〜3年前に、「シンカイは盆栽」って表現を思いついてから、もうそれしかないなと思っていて。
ーー盆栽?
柿次郎 そう。盆栽って、一つの植物を何百年も育てていくんですよね。たまに庭師とか盆栽師の人に預けて管理してもらって、お客さんが来た時だけ床の間に飾る。意味がわからないかもしれないけれど、自分にとってはシンカイってそんなイメージなんです。
「シンカイ」って場所自体が預かりものであるってことを、ずっと前から意識してる、というか。だから、この場を預かった以上は、ちゃんと整えて次に渡すところまでは背負いたいです。
シンカイ LAST DANCE イベント詳細
イベントに当たってシンカイのオーナーである徳谷柿次郎が書いたnoteもあわせてご覧ください!
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