封印列車

男。

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  • 日本近代史ノート 365+

    危機の時代を乗り切る羅針盤は、歴史の中にしかないでしょう。暦に名を借りて、私なりに歴史を見直したいのが動機です。 ①、日毎のエピソードに終わらせず、人物・事件を、歴史の縦糸・横糸・リンクの中から再検討・再構成したい。 ②、ページごとに、デジ、アナの画筆を使った自作画を掲載する。

最近の記事

5月11日 大津事件起こる(明治24、1891年)

レーニンは日露戦争(1904)での日本を「若い国」と表現したが、それはこの事件の13年後のこと。当時の日本は、まだ「国際外交」という言葉を覚えたばかりのよちよち歩きの赤ん坊だった。しかし北からは、牙を向いて襲いかかろうとする熊が、、、。 それでも4月27日に来日したロシア皇太子ニコライ2世は、かなり日本に好印象を持ったようだ。長崎港からお忍びでの買い物、花街での宴会、極めつけは彫物師を呼んでの刺青(ニコライ2世を処刑したボリシェビキはこれを確認したか?と吉村昭氏も指摘してい

    • 1月19日 空母「葛城」が進水(昭和19,1944年)

      載せる飛行機もパイロットもいない空母はただの繋留船。その空母「葛城」が大活躍したのは、皮肉にも戦後に復員船として蘇ってからだった。 戦中は乗せる飛行機もなく、瀬戸内海の島影にひっそり隠れてたのが、戦後になって復員兵を満載して南太平洋のラバウル周辺まで脚を伸ばし復員船として大活躍した旧日本海軍の空母「葛城」(排水量=約2万㌧、乗員1500名)。 1941年12月の真珠湾攻撃やマレー沖海戦で、航空機や空母が海軍打撃力の主力であることが実証されるなかで、「葛城」は雲龍型(中型)

      • 2月16日 一橋慶喜が四賢候らを「愚物」と罵る(元治元、1864年)

        へこたれはしなかったが、この罵声を聞いたときの大久保利通の悲痛、憤怒はどれほどだっただろうか? なれない碁を手づるにして久光に接近し、率兵上京から江戸へ乗り込んでの幕政改革、帰り道の生麦事件、薩英戦争と幾多の苦難を乗り越え積み上げてきた。それこそ亡き島津斉彬公が示した道であり、久光公とずっと追いかけてきた夢だった。「英明な」一橋慶喜と久光ら有力大名や朝廷が力を合わせ、新しい日本をつくる。それが現実のものとして目の前に現れた瞬間に、あっけなく消え去ったのだ。 桜田門外の変以

        • 1月30日 ビートルズが屋上コンサート(1969年)

          有名なロンドン・アップル社屋上でのザ・ビートルズ最後のコンサートは、昨年リメイクして発表されたドキュメンタリー映画「Get Back」でも再現されている。ジョージの脱退騒動をはじめ、メンバー間の不協和音は、この1年後のポールの脱退宣言を経て、71年3月に法的にビートルズ解散が決定した。その意味で「解散予告コンサート」だったとも言える。 42分間のコンサートでは、以下の5曲9テイクが演奏された。 1,ゲット・バック(1回目) 2,ゲット・バック(2回目) 3,ドント・レット

        5月11日 大津事件起こる(明治24、1891年)

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        • 日本近代史ノート 365+
          4本

        記事

          1月24日 カリフォルニアで金が発見された(1848年)

          カリフォルニアにある小さな街・サッターズミル。製材工場に水を引くための溝を掘っていたJ・W・マーシャルは、泥水の中に金色に輝く小さな鉱物の欠片を見つけた。「まさか......」。半信半疑ながら鑑定士に分析してもらうと、それは紛れもなく金だった。 カリフォルニアに金で鉱脈が見つかった。8月に有力紙『ニューヨークヘラルド』が「カリフォルニアに黄金郷(エルドラド)発見!」と報じると、アメリカ国内だけでなく、世界中から一攫千金を夢見る人が大挙して押し寄せた。これが「ゴールドラッシュ

          1月24日 カリフォルニアで金が発見された(1848年)

          1月22日 万延遣米使節団が横浜を出発(万延元、1860年)

          江戸幕府の77名が乗り込んだ万延遣米使節団が、米軍艦ポーハタン号で横浜を出港した。めざすはアメリカ合衆国。2年前に締結された日米通商条約の批准書をワシントンまで届けるためだ。本当なら、初代駐日公使ハリスや井上清直とともに条約をまとめあげた外国奉行=岩瀬忠震が率いるべき団だったが、安政の大獄で蟄居の身を強いられていた。 外国人と接したことのない正使の新見らに代わってアメリカでの外交行事を切り回し、代表と勘違いされるほどの大活躍をしたのが小栗忠順。難題とされた日米通貨レート見直

          1月22日 万延遣米使節団が横浜を出発(万延元、1860年)