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家訓は「自分のケツは自分で拭く」? #020

タイトルの家訓ですが、わりとマジです。
前回記事の夫婦の話の続きで、今度は子供との関わりについてまとめます。

「自分のケツは自分で拭く」

これはよく妻が言っているんですが、私も受け入れています笑
本来の言葉の意味は「ものごとの最後の責任を持つ」だと思いますが、我が家ではもう少し解釈が広くて「自分のことは自分でやる」意味も含んでいます。
夫婦の合言葉「個人主義」の延長ですね。子どもであっても、自分の行動は自分で決めて、その結果責任は自分でとるのが基本の考え方です。
特に今年3歳になる長女については、もう自分の意思で多くのことが出来るようになってきました。危険でないことなら何でも好きにやらせています。そうしてどんどん失敗も経験すればいいと思っています。

子どもの個を尊重すること

子どもの人生は子ども自身のもので、それは親であっても冒してはいけないと思っています。子どもを信じて尊重することをベースとするモンテッソーリ教育の考え方は、近いものを感じています。

長女に対しては、これまで出来るだけバイアスをかけずに接しています。
例えば、「いわゆる”女の子”っぽいもの」は意識的に避けてきました。
・色は無彩色寄りか満遍なく選ぶ
・服は比較的ジェンダーレスなものを選ぶ
・おもちゃや絵本も広い種類に触れさせる

2歳半を超えたぐらいから、自分の好みや意思を明確に発せるようになってきたので、これからは自分で選ばせていきます。

他には今の時期なら雛飾りなども、本人が何も分からないうちから買い与えるのは強烈な違和感がありました。
0歳の時から義両親が買いたいと言ってくれていたのですが、結局今年まで2年間待ってもらいました。今は長女の性格も分かるので、それに合ったものが選べたと思っています。

親は偉くも正しくもない

30年以上後を生きる子どもたちに対して、具体的に教えられることなど一つも無いと思っています。世界は目まぐるしいスピードで変化します。親が思う「正しい」基準なんて、むしろ間違っていると思った方が良いでしょう。
そして夫婦の関係と同じく、子どもに依存せず、期待せず、自分からは離れた一人の個人として向き合っていきます。

まず親にできることは、子どもをよく観察することだと思います。
この子は何に興味を持ち、何がしたいのか。それを感じ取って、私たちができる限りの手助けをしていきたいです。
この時、親の価値観や願望のバイアスをかけて評価していないか冷静に点検することを心掛けます。むしろ子どもの状態が自分の感性や理想に近い時ほど、一層の注意が必要だと思っています。(長女がその状態です)

まとめ

仕事で接客をしていると、親離れ・子離れが出来ていない家族をよく見ます。
親子ともに「正解信仰(失敗を極端に恐れる)」に陥っているか、親の過保護(+子はそれに甘える)のパターンが多い気がします。
親子はずっと隣にいられるわけではないんですけどね。そういう方々を見ると溜息が出そうになります。

我が家はブレずに「個人主義」を貫いてやっていきます。
まあ長女+双子の3人だとそもそもベッタリ見る余裕なんてないんですけどね笑
ただむしろそれくらいの方が、子どもにとって本来あるべき状態な気がしています。

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