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『東京都同情塔』を読んで(3)AIの"実体"|AIと私の今 '24.4 ⑥ #037

このテーマが長くなっていますが、九段理江『東京都同情塔』新潮社の書評3本目です。
今回はこの作品を受けて私が考えた「AIの実体」について書いていきます。

AIの実体とは

多くの文章生成AIに触れる中で、その実体というか、イメージはなかなか掴みきれないところがありました。
全知全能・万能な顔をしていてもどこか胡散臭い。嘘も混ざるからといって使えないとも言い切れず。どうにもふわっとした感じがありました。

そんな中『東京都同情塔』を読み、【AIは日本人的である】という着想を得ました。私はこれでかなりAIの実体を掴めた感覚があります。
こと意見を出させた場合においては、AIを【めちゃくちゃ優秀だが自分の意見を持たない日本人】くらいに捉えようと思います。
AIが吐き出す「意見」は、平和主義・日和見主義のフィルターを掛けた、誰かの意見の寄せ集めに他なりません。(物事をはっきりさせず丸く収めてしまう日本人の悪い部分に重なる)
AIの意見は絶対視せず、一般論寄りの無難な意見が中心になっていると自覚して接していきます。

一方で、意見が関係ない機械的な作業については最強のツールと言えるでしょう。
例えば
・要約
・校閲
・添削
・案出し(あまり考えなくて良いもの)
などはAIを最大限に活用しようと思います。

私とAIの違いとは

AIを日本人的だと捉えて実体が見えたときに、ふと「じゃあ自分もAIと同じではないか?」という疑問が生まれます。
言語獲得は外部情報を取り込むことの繰り返しですし、その延長で思考についてもインプットした情報を再構築しているだけとも言えます。それくらいならAIにもある程度できるような気がしてしまいます。(生の体験は無いにせよ)

一方で具体と抽象の行き来などは、真の意味ではAIにはできません。しかしながらLLMの情報量は膨大で、自分と同じ意見は存在する可能性のほうが高いでしょう。そうすると最終的なアウトプットは同じになってしまいます。
それでは大切なことは何なのでしょうか。

それは「自分の発する言葉に責任を持てるかどうか」ではないでしょうか。
もはや表面的な「正解」はAIによって誰もが一瞬で手にできます。
その時代に大切なのは、自分の考えに基づいた言葉を発し、その言葉に責任を持つことです。

私は今後、これまで以上に自分の言葉を大切にし、対立を恐れずに責任を持って意見を発していきます。
それこそがこの時代の【人である意味】なのだと思います。

おわりに

生成AIに興味がありながらモヤモヤした気持ちがあった中で、この『東京都同情塔』を読めて本当に良かったです。
この時代にこうしてnoteで発信をすることは、自分の責任ある言葉・考えを紡ぐ訓練にもなるでしょう。
同作に興味が出た方は改めて心からお薦めします。

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