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アウトサイダーとはなんぞや?〜自分なりのまとめ〜

 アウトサイダーの本を原典から片っ端から読んだ結論を列挙しようと思う。

  1,アカデミックの外にいるインテリジェンス(『アウトサイダー』コリン・ウィルソン)

2,クトゥルフ神話から感じられる寓話としてのアウトサイダー(クトゥルフ神話の作者)

3,障害者/天才としてのアウトサイダー(アウトサイダー・アートの起源➫アール・ブリュット)

4,不謹慎系YouTuber坂口章の天才性(コロナ・ウイルスで笑っちゃう。バズりまくる。そこらへんのメシで上手く作っちゃうヘタウマ)

5,アウカリング理論(『アウトサイダーズ』より。社会学理論で戦争時に戦争を合法になるが、平時は刺傷が違法になる社会のラベリングの恣意性から、薬物をやる人間=悪人という即断は危険だというアカデミック理論)

6,メリトクラシー(能力至上主義。大企業や大学のエリートがめちゃくちゃ間違えちゃうよ理論)

7,SNSに蔓延する可視化された悪い場所(村上隆から。カオスラウンジから現代だと外山恒一合宿や高学歴メンヘラ、大川宏洋、えらいてんちょう界隈、山上徹也など)。

 1に関しては、そもそもアカデミックというより、文芸でしか評価できないような文学者として生きる場合に、文学者として生きる、小説家が面白いんじゃあなくて、生き方そのもので文学する必要性があり、そうなると、とても制度やアカデミックにはハマらない怪物は生まれるわけで、それをアウトサイダーとコリン・ウィルソンはアバウトに定義。

 2は極めてSF的で寓話に満ちてること。

 3は天才=アウトサイダー。本当にぶっ飛んでいる必要性。ただし、本質的に。

 4は、本物のアウトサイダー・アーティストの典型。ただし、アーティストのサンプル。

 5はアウトサイダーがどのようにインサイドに優位性を保つかの非健常者の健常者性

 6はよりメジャー化された話し。5が。

 7は坂口章が普遍化された量としてのサンプル。

 このように見ると、アウトサイダーは西洋近代的価値観への懐疑天才の本質日常のだらしなさ(非物語、唯物論?ゆえの理想主義)を大体持っていることが分かる。

 ARTに関しては、拙著『古田更一の美術学入門』や『本は破れ!』を閲覧したり、YouTubeを辿るか西洋美術史を1冊読んでもらうとありがたい。

〈追記〉

 そもそも公務員のコリン・ウィルソン(意外なことにコリン・ウィルソンははじめは公務員)もアウカリング理論者も社会学者だしアウトサイダーを書いたクトゥルフ神話の人も皆、地に足がついていなかったり、あるいは、体制的でないだけで、西洋近代の懐疑と申しても、西洋人も一枚岩ではないことが分かる。


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