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純白啓蒙読書会 #3 西尾維新『クビキリサイクル』&アルトー『神経の秤・冥府の臍』&クルマヤ公道『オナホな無感情幼馴染と純愛に堕ちるまで』【古田更一クロニカル】【カオスフォレスト】【宮台真司批評】【界隈塾】

〜この世界はかくも面白いのに「陰キャ」「ゴロゴロ」「♀」で開き直るのは構わないが、それで開き直る人々がいる限り、私に皆様は勝てないかもしれない。〜


  「文学」というものがこの世界を覆っている。芸術は絵画という開かれた大衆文化だが、こと文学は文字を読めない、あるいは文字を忌避する人々を弾く効果を持つ
 
 とは言っても文学は文学で大衆に開かれている。現代文や国語の授業を諳んじるまでもなく様々に想像されてきた作家たちによって文学は文字が苦手な大衆にこそ読まれてきたように感じる。
 
 要するに芸術は左翼であり文学は右翼なのだ。


 シンギュラティや遺伝学を引用するまでもなく天才たちは自らの個性によって芸術や文学たらしめる。

 しかし芸術と違って文学は右翼的で貴方のその個性、キャラに従いざるおえないんだという話から活字による行いが生まれてくる。筆記化された世界には客観や数学、不自由が生まれてくるだろう。

自らの出生に驚いてしまった過去(中学)


 自分はどうしてこんなに人に愛されるのか…。

 この特有の才能、ギフテッド(資質)に自分は疑問を感じざるおえなかった。

 なぜならば、人に愛されまくるということはIQや情報処理の低さを提示するからである。

 何も得意な科目はなく、めちゃくちゃに学校の授業に苦しんだ。

 もっとも数学だけはできたが、余りにくだらないもんばかりだから、いつも70点あたりでやめていた。

 それよりもアイドル消費には困ったものだ。様々な人々から文化祭でも映像制作でも女装やアイドル仕草を求められて睡眠時間の関係上、また男性たちの嫉妬、様々な亀裂上、本当に困ったものでした。

 毎日がお祭り騒ぎで正直に話すと極充でリアル月ノ美兎でしたが、大衆はそれで良くても私はそれに満足できないし「仕事」にまで発展していた

 後に語るが外山恒一合宿がだめなのも左翼を左翼としてベタに勉強しようとすること

 あんなの1週間で終わるし自分で全部読みなさい。買い漁り。日本の古本屋を駆使したり高円寺の古本屋へ足を忍ばせました。もっともボクの論文研究は「数学」に近く、小林俊昭から学んだことだがデータがあり、本質を学ぶ授業

 データとは、たとえばギリシャ語/ローマ語を直感やフィーリングで勉強し、そこからの特徴量だけで様々な英語や日本語へ変換する概念のコアだ

 だから私の頭の中の翻訳装置、空いたパズルとして私は細かすぎる参考文献を書い漁る。極力古くて細かいレトリックや修辞にweb writerはかかっている。

 もっともこんな文化構想な生活してたら金は貯まらずどんどん頭の回転が化物になるだけですぜ。

赤ちゃん


 生まれたときにあ、自分は生まれたと青葉台あたりのアパートで覚醒した。

 そこには母親らしき物体と黒い兎、くーちゃんがいた(ちなみに言葉を覚えていないが、概念として仲間だ!こいつらは!と把握した)。

 ダス・マン、私は生まれてしまった。

 赤ん坊の頃はよく覚えていて、あ、生まれてしまったようだ…私はいつか◯ぬのか?など様々な連想ゲーをしていた。
 
 もっとも甘えまくるのは忘れてないぜ。母親にはめちゃくちゃ甘えていた。脳から幸福ホルモンが出るからだ。

小学校


 ロボットサッカーに熱中していた。

 また公立だったためくだらないヤンキー関係はここにあったのだ。

 もっとも低偏差値は嫌いではない。

 自分は勉強に興味ないからだ。

 ただされるがままに両親に日能研へぶち込まれていた。

 授業自体は面白く、最下位だった成績は過集中を駆使し最高で最高クラスから2個あたり、神奈川大学?県立高校あたり、神奈川で1番の中高に受かるぐらいまで一瞬だけ成績を唯一叩き出して「奇跡の子」、「カリスマ」、「天才」と評された。

 ボクのせいで日能研はパニック騒ぎになり下のクラスの先生たちを1番上のクラスと殆ど同じにする熱血教室状態になり、ボクの代は最強の成績実績を出したらしい。

 もっともボクは燃え尽きてしまい、あと野心がないから東京都市大付属中学あたりでゴールを止めてしまい(スキー部がある)、第二志望の森村学園(家から近い&100周年で過去一難しい)、後は日大付属や桐蔭、桜美林などを受けた。

 今思うと男子校は忌避していた可能性があり、日大は雰囲気が最悪だった。スポーツすごいよ〜というノリがやめてほしかった。桜美林は学食が美味いものの受験勉強する気がなく、自称進学校なものの100周年で難易度が上がっている森村を消極的に選んでいて、周りにも校舎が綺麗になった以外の理由はないだろう。

高校


 リアルにじさんじのような暮らしには慣れてきて、漫画家を1人志すキチガ◯化していた。先生もやめろ、大学へ行ってから考え直せと。

 森村は極左のせいで男たちは数学政治、医学部を志し先生の授業をボイコットするカオスな状況になっており、女性たちは体制派。早稲田を目指すという。

 このような狂ったお祭り騒ぎを浴びていたせいかどうしようもなく、早慶商学部を目指していたが、失敗。

浪人


 楽しくて仕方がなかった。
 
 この頃の前半は母親に精神病/発達障害を疑われて様々な専門病院へ連れて行かれたが、余りにアーティスティックにそして律儀に語る私の姿を見て様々な精神科医の人々は私のことを何も言えない状態になっていた。

 本当に不思議で父親は数学が得意で数学で今でもメシを食い、母親はIQや論破が明らかに得意。

 しかし、二人に似ているからこそ似ていないのは彼らと違いぶっ飛んでいてART的であること。

 私は同じ浪人した溝の口マック通い友達な多摩美術大学志望のボンボンの友人の誘いで多摩美術大学の佐藤可士和たちの六本木展示を見にゆく。

 これだ!と確信に変わる。

 なぜならばデザインは儲かるしARTだしロジカル的だ。

 私の様々な穴を埋めてくれて武蔵野美術大学造形学部デザイン情報学科を目指すことになる。

めちゃくちゃ難しい小論文


 今思うとめちゃくちゃ難しくて小論文は。

 様々な予備校に1日体験や夏季講習だけ受講し様々な先生や生徒の癖を身に着けた。

 同時に西洋美術史の教科書を買い、気になったディシャンなどは買って模写した。

 またカオスラウンジの展示は見にいったり継続的なARTの展示を見にゆくのは忘れない。

 で、ニコニコ生放送やYouTubeで宇野常寛を中心に様々な論客の話を聴いてゆく。

 小論文ははっきり言って難しく本当に奇跡で武蔵野美術大学に合格したことだろう。周りに誰も小論文で入った頭のおかしいやつはいなくてデッサンばかり、数学試験&センター利用ばかりだった。

 今思えば小論文入試は狂気に満ちていて、確実に落ちないために武蔵野美術大学の過去問はひたすら30年分ほど買い漁り、漢字と英文法は丸暗記し英国で満点を狙った。こうすると配点の高い小論文が英国を9割とれば6割の成績で済むのだ。とにかく漢字と英文法は満点を目指した。

 一方で太庸吉から速読術を学び早口になり、小林俊昭から遅読術を学び、英語そのものの構造に取り憑かれるぐらい、神経症だった。

 小論文にも書き方があり、結論➫補論➫結論の繰り返し、これだけの単純なげえむだ。にも関わらず世の小論文は思考力wを解いている(笑)。

 馬鹿すぎるから寺師の減点されない小論文を読み漁り何が採点者の嫌がることか傾向データを洗いざらい暗記した。

 無難なことを言いながらも、彼らの本に書かれていないが、トロッコ問題やゲーム理論上、二律規範として彼らが選択肢を2つどちらも選んでも私のメリットになるゲームデザインはこの時学んだ。

 私の書く文章はひどく論理しかないため、日本語や修辞はハリボテにすぎない。

武蔵野美術大学/創価/立川


 とにかく勉強の日々で教養として文系理系様々やった。

 武蔵野美術大学が面白いのは一般教養科目が多すぎてしかも理系までとらないと遊び尽くせないこと。

 とりあえず学費も高すぎるもんだから元を取りたくて芸文限定の無料のmac教室にも図書館だけでなく足を運んだ。

 米徳教授が名実ともに鬼すぎて週7授業や隠しきれない電通だった(天下り)。

 もっとも極右の彼から学んだことは計り知れない。

 アメリカのビジネス本を読まされてマーケティング調査だったりアポ電話で様々な会社へ電話させられたり誰が成績上位者かバラしたりプレゼンをやらされたりする。

 そのおかげで株式会社DeNAの香城卓へ会ってメタバースプラットフォームの手法を彼から教えてもらった。
 
 森村学園の頭でっかちな左翼教育にうんざりしていたボクとしては右翼教育すぎるスパルタ授業は役に立ったのだ。

 もっとも極左すぎるボクを彼はめちゃくちゃ警戒していて小論文入試のときにジロジロ睨まれて警戒されていた。

 小論文入試のときのボクは一種のトランス状態へシンクロしていて、豪快にシャーペンで1500字〜5000字ほどの論文へ精密に文字数の骨格を書いたりメモをしていた。

 基本的に武蔵野美術大学芸術文化学科の授業はARTに関する新書を読まされて、それに関する綺麗事を書くゲームだ。

 しかし、これはあくまでもそのARTを語る新書のヤツラを武蔵野美術大学の教授たちは嘲笑っている態度表明、白けているにすぎない。

 だから、ボクはその問いを拡大化させて、いかに社会が空虚化をポジティブに描いた。

 話は戻るが、東京の左側は面白く、創価学会がうようよいるし立川という場そのものが学園都市的な様相を示している。

 英米哲学の専門書を読み漁り、経済学のケインズやハイエク、フリードマンあたりの専門書を読み漁りながら日夜ソーシャルゲームばかりやっていた。

 社会学者/小幡師にも感謝は有る。

 彼がフロイトや自殺論を語っていてその時のアイデアは全ていただいた。

 彼は社会学者のアンソニー・ギンデスの翻訳者であり硬派な宮台真司であり、というかイギリスレベルの社会学は彼から在野的に教えてもらった。ありがとうございます。彼の授業はハードで他にもハマータウンの野郎どもや監視社会や様々な社会学の基礎を話していた。

 もっともマックスウェバー研究者である太庸吉やヘーゲルあたりを確かいや倫理学を勉強なさっていた小林俊昭に比べたら大学教授はヌルいが

大学中退

 しかし、カオスフォレストに関するビラを200枚ほど武蔵野美術大学で配っていたりしていたら単位が足りなくなるし、米徳先生から執拗に虐めやしかとされて、メンタルをぶち壊した私は休学しみるみる劣等生へと化した。

 しかし、これで早慶に入ればよかったかは難しい。

 私のキャラが私自身がそうなるにはキャラが無理だった。

 こうして私は禁断の小説漁りに熱中し300ページの小説を5回ほど書いてライトノベル作家を目指し全部失敗。

 村上春樹が1番面白かった。

 しかし、当時はこれが「他者」だとは気づかなかったのだ。

 ようするに私には早稲田や文学、女性が欠けていた。

シンガポールへ奇跡にも拾われた


 興味もなかったが就職活動は難航したが、武蔵野美術大学ということで新宿や四谷にある海外系のデザイン会社へ拾われた。

 デザインは苦手だと正直に話したらweb writerへ回された。

 幸福な3年ほどだった。

 余りに成績が良いから図々しくなり、働きたいときに働き寝たいときに寝るようになり、しかもあっちは私に週7をたまに求めるし外国人の人々は寝る時間が違うから連絡が日夜大変そうで、あまりに忙しすぎて、仕事に頭を使いすぎていて、当時のYouTuber活動などは余りよく覚えていないのは実情だ。

 もっともここで学んだマーケティングの要領は今でも役に立っている。

目黒で事務会計/メタバースプラットフォームの運営

 現在は国語から算数へ移し、またプレイヤーというよりもメタバースプラットフォーム運営として立ち位置を変えた。

 当時はARTに気が狂っていて不謹慎系YouTuber坂口章さんに弟子入りしたり批評という東京の学歴政治ゲーの研究にも情熱を捧げていた。

早稲田文化構想の犬世。君ほど美しい女性は見たことがないぜ。

 私を理解したいならば、文学を勉強しゲーム理論をやめてと言われた。

 分かった。

 しかし、彼女は愛おしいのはやはり幼馴染ということもある(中学の時から知っていたあのあどけない姿は今やこんな化物へと)。

 自宅もある意味で近いししかも彼女はむしろ東京に近い元タワマン族で資本主義的な価値観も深く刺激になる(あ〜!懐かしいと!)。

 左翼的なコンテキストの話も分かるし、なにより彼女が大量の小説を読み漁り自宅へ行くと未だに大量の小説や本があり、まだ初々しいことは化粧もせずにボロボロの千切れそうなバックに大量の小説や批評を入れていて日夜読んでいる化物である。

 そのような仕草そのものが余りに美しい。

 しかも服は真っ黒の服、でも髪は金髪に染めているという訳のわからない状況。

 普通の女ではない。

 もっともその事に彼女自身は苦しんでいるかもしれないが、恐ろしいのは高校時代にすでに宮台真司やピロキを読んでいてそれで早稲田を目指したと叫ぶのだ(いまだにこのレベルに賢い知性を持つ女性は会ったことがない。おまけに本は破れ!に刻まれた大量のメモ!)。

 おまけに最近は狂気の歴史をしているらしく、現在は狂気研究で忙しいよという。

 久々に会ってお互いに話したが余りに真逆すぎて余りに問題意識が怖いぐらい瓜二つのため、ここはお互いに探求者としてお互いの動向は追いざるおえないのだ。

 誤解しないでほしいが、狂気の勉強をしていると言っていた彼女のために本は破れ!は描いたかもしれない。私自身はAIをAIするAIのように思想そのものは薄いから。AIが人間の知能指数を超えるときにアウトサイダー・アート的な奇跡のアナロジーがそのtechnologyのディストピアを超越するかもしれないその知的コンテキストは君という天才のことを私は坂口章&落合陽一を使って描き殴ったのだ。

 私は文学ができないし作家ではなくweb writerだ。

 私には文学ができる人が作家が必要だ。

彼女の翻訳機として隣に置いてほしい(私より優秀な翻訳機がいれば構わないが?いや!そんなことない)。

 好きだ!愛している!結婚してください!
 

私の好きな小説/西尾維新『クビキリサイクル』

  昔からクビキリサイクルには影響を受けている。戯言遣いという秀才のボクが様々な天才たちと対話しながら天才のヒロインと恋愛し結婚する話である。

 私には彼女が好きかは失礼ながら分からない。なぜならば恋は幻想だからだ。

 だが、同時に恥ずかしくもある。

 この気持ちや思いは複雑怪奇で意味不明だ。

クルマヤ公道『オナホな純愛幼馴染と純愛に堕ちるまで』

 ずっと話さないでね

 新海誠『君の名は。』では男女がお互いの身体を入れ替えることでお互いを知る話だ。
 
 正直に言うとボクは女性に共感してエ□同人誌を見てしまう。

 だから、性別の破壊は簡単でガチャ問題も性別に関してはコイントス、2分の1程度にすぎない。

 もしも私が女性に生まれていたら…

 この簡単な思考実験で実は親ガチャ問題は氷解する

 もっとも理屈は納得できないのが、文学だけど。

アントナン・アルトー『神経の秤・冥府の臍』


 彼女と元カレ?が見る中(私にとっては冷や汗ものだ)、4時間ほどお互いに愛していることを高度な隠喩を使って音楽を聴き遮断する彼の前で話したが、私はバカだから大衆だからまさか話してもらえるとは思わなかった。だからお互いに素直になれないし結局また弄ばれただけか?と思い、部屋を出ようとした刹那ー、

「アルトー!」

 と叫ばれた。

「AIをAIするAI」

  愛の3乗だとラップで返しといた。

 アルトーを読めという彼女の忠告を聴こうと思う。

 彼女はやはり半分は大変だが半分はプロ弱者/文学にかられている才女に他ならない。

〈追記〉

 要するにボクの申したいことは様々な肩書はでたらめであるし、そんなことで適応障害に陥るなら様々に動いたほうが早いぜということだ。

 もっとも私の関心はアウトサイダーアート/メタバースプラットフォーム、そしてインスペキュラティブ・デザインである。

 ようするに、終わりよければ全て良しなのだ。

 

 
 

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