「見下すこと」2022年8月28日

振り返り


ちょっと早すぎるかもしれない。なんとなく引っかかってることには繋がりがあるように思うんだけど。

自分を説得できるかが大事な気がする。

尺度

どうも理不尽に感じる状況に巻き込まれることはあってそういう時どうすれば良いか分からない。
全部自分の尺度で評価しできたりすることとか、それはあなたの人生では役に立つのかもしれないけど、そのままは受け取れないし、互いにそうなのはわかってるんだからそんなに強く言わなくてもな、とか。
別に相対主義者ってことじゃないんだけど、正解の範囲に入ってれば良いし、生き方とかはそれすら言うことが難しい。自分で反省するしかないのに、と思う。まあ、だから仕方ないのかな。

尺度どうし、価値観どうしの比較ってどうやるんだろうな。功利主義と義務論とか、より説明力が高かったり……いや、功利主義と義務論とかってよりは、リベラリズムとリバタリアニズムとかの方が適切なのかな。うーん、そうじゃなくて幸福とは何かみたいな所の三国志がそれに当たるのかな。
幸福の本性が……うーん。
何をどう価値づけるかに正しいとかあるか?
まあ、真善美はそれぞれ内部に順位を持つとは言えるのかな。ただ、例えば真善美は一致しないと思うけど、どれを優先するべきかってさらに言えるのかな。いや言えるけど、そこでは価値の基準は何になるんだろう。
なんか価値の基準と価値の違いがわかってない気がする。価値論みたいなのってどこにあるんだろう。
ラズ『価値があるとはどのようなことか』買った。

でもさ、例えば鯖教の信徒であるAさんに、「あなたは鯖が足りていない。もっと鯖度を高めるために努力するべきだ」と言われてもはぁ……と困惑するだけだろうから、言われたことが気になるのは言われたこと自体の気になりとは別に自分とその土俵に乗ってるからというのがあるのかもしれない。

見下し

うーん。あんまりさ、馬鹿にされたくないというのがあるよね。いや、馬鹿じゃないと思ってるわけじゃないし、どう考えても上はいるわけだしそれ以外の人もいるわけだから、他人に価値づけられてしまうことは避けられない。その価値づけも正確かわからないけど、概ねはそこまで踏み込んで反論しに行くこともしないし、まあそれ(誤った評価をされること)自体は気にならない。気になるのは見下されること自体なのかも(誤った評価をされていることが気になるなら、本当は本当の評価がそれなら受け入れるし、そうでないならそれを正したくなるから)。と多分それで生じる不利益が嫌なんだろうね。
生物って感じがする。
そうすると、諦めるしかないか。
嫌な気持ちになるのはしかたないし、嫌な気持ちになること自体が不合理という感じは無い。人間毀誉褒貶があるのは当たり前なので、気にしすぎるのはおかしいが。逆に気にしすぎないのも問題になる。ただ、今はほとんど気にしすぎの方が問題に思える……いや、気にし過ぎから気にしない方にはなれそうだけど、逆は難しそうだな。だからこれくらいで良いのかも。

例えば職や国やまあ色々属性を貶められることはあり……

見下されること自体がいや
見下しの内容を自分も見下しているからそこに当てはめられるのがいや

2つあるみたいだけど、これはどういう関係なの。
えーと、まず前者は基本の話で、基本的にはどんな価値観からだろうと見下されると不利益が予感されていや。で、後者はより気になる気がするから追加的な話で、自分が見下さなかったからっていやに感じなくなるという訳では無い。
でも、自分が見下してるかどうかって難しい。見下した方が良いものもある(まあまず道徳的なのはそうとして、不利益を嫌だと思うことも自分にとってプラスになる意味はなくもないが、ちょっとまた後で考えよう。直感的な不利益が本当に不利益かは微妙な話)
うーん。正当な見下しかという話は、昨日だか読んだので誤った見下しがありそうだからあるのかな。

そうなってくると、今度は見下されることもそれに不満なのはその見下しを正当だと思わないからとも言えそうだけど、なんかこんがらがっちゃった気がする。

A:見下されること自体がいや
B:見下しの内容がいや
 B-1:見下しの内容を自分も見下してるからいや
 B-2:見下しの内容が間違っているからいや

えー。全部ありそう。
Aは良いとして、いや、B-1もいいや。
B-2は更に2つあるな。
1つはその見下している尺度が見下しに値しないというのと、2つは見下されているものがその尺度の当てはめで間違っていて見下しに値しないというの。
鯖を焼かないやつはダメって場合、鯖を焼かないという価値観が間違っているか、その価値観の上で実際鯖を焼いてるか。
面倒になってきた。
B-2-1はB-1と少し近くて価値観の問題で、2-2は事実の問題。事実の方は今はいいが、誤った価値観で見下される事の嫌さはあるって事はわかった。

そうすると、
A:見下されること自体がいや
B:見下しの内容がいや
 B-1:見下しの内容を自分も見下してるからいや
 B-2:見下しの内容が間違っているからいや
 B-2-1:相手の見下しの価値観に乗れないのでいや
 B-2-2:見下し方価値観への当てはめの事実が誤っており見下しに値しないのでいや(というかおかしいと感じる)

なんかよく、馬鹿にしていると騒ぐのはお前の方が馬鹿にしているのだみたいな議論がある(差別を告発する方が差別みたいな)けど、いや実際にそういう例がないこともないだろうけど、いや、この話とは直接は関係ないか。

疲れちゃったけど、B-1かB-2-1かは自分の中で切り分けた方が良いな。自分の価値観がおかしいと思う時もあるだろうし。

経験したこともの

記事

書籍


野矢茂樹(2002)、『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』、ちくま学芸文庫。
ちょっと読んだ。

動画

その他

経験したいもの


安藤馨・大屋雄裕(2017)、『法哲学と法哲学の対話』、有斐閣。
前に1回読んだけど家に欲しくなって買った。
ラズ『価値があるとはどのようなことか』
買った


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