「ゆとり」の重要性

新しいことにチャレンジしやすいときはどうゆうときなのだろうか。

一つには「ゆとり」がある時であろう。

ゆとりの種類

ゆとりがないときというのはどういうときか考えてみると少し面白い。時間的にゆとりがある、というのと身体的にゆとりがある時と、心理的にゆとりがあるのはまた違うように思う。

おそらく心理的にゆとりがある場合に、新しいチャレンジをするということがやりやすいのだろうと思う。

時間的ゆとりに関する考察

時間的なゆとりがないときは、心理的にゆとりがなくなる傾向が強いと思う。例えば、締め切りがある時などである。締め切りが近づいているのに、まだ何も手を付けられていないとき、後これくらいで終わるという感覚がないときは心理的な余裕がなくなりやすいように思う。

このように時間的なゆとりがない場合、新しい別のことに何かしらチャレンジするというのは極めて難しくなる。ただ、一見、客観的には時間的ゆとりがあまりないように見えても、本人の心理的なゆとりがある場合もある。何をやれば良いかというアイディアがあり、それをするのに十分な時間が残されていると感じるのであれば、心理的なゆとりはあることになる。

同じ時間という物理的な長さに対する、心理的なゆとりは必ずしも一致しない。むしろ締め切りなどがあっても、心理的ゆとりがある場合は、他に何も作業する必要がある時に比べてやる気が起こったりすることもある。

身体的ゆとりに関する考察

それでは身体的なゆとりはどうだろうか。身体的なゆとりというのは、簡単に言ってしまえば十分に元気かどうかということだ。あまりにも眠かったり疲れたりしていると、新しいことへのチャレンジは難しい。

ということで、身体的にも十分にゆとりがあることは当然だが新しいチャレンジに必要そうである。

ここで身体的にゆとりがなくなる時について考えてみると、心理的な余裕または時間的な余裕がなく、無理して作業をし続ける、考え続けるということが続いた場合に身体的なゆとりもなくなってくる。

つまり、次のようなことが言えるのではないだろうか。

アイディアなどが思いついていないために、物理的な時間的なゆとりがあっても、心理的なゆとりがないために、無理をすることで身体的ゆとりもなくなっていく場合がある。

もう一つは、アイディアはあるが作業量が多すぎて、物理的な時間的余裕がなく、無理をすることで身体的ゆとりもなくなる場合である。

前者については、心理的に余裕がなかったとしても身体的ゆとりを十分作ることが必要である。そのためには運動したり、休んだりということが必要である。心理的に余裕がないだけなのであれば、むしろ別の仕事などをしても良いかもしれない。そうすることで、心を別の何かに集中させる間に良いアイディアが浮かぶ可能性がある。

一方で、単純に作業量が多すぎる場合は、作業自体を減らさないとどうしょうもない。逆に言えば、身体的なゆとりを持てないぐらい作業量を入れてはいけない。あるいは、一過性で作業量が大きくなった後は十分に休息をとることが必要である。

少なくとも、身体的ゆとりは最低限確保し続けることが、新しいことをチャレンジしていくのに必要なことである。身体的なゆとりがなくなった時点で負のスパイラルに陥る。

結論

結果的にあたりまえの結論に至る。

  • 身体的ゆとりがない場合は、身体的ゆとりをまず作れるようにする。

  • 身体的ゆとりがあり、物理的な時間的ゆとりがない場合は、ひとまず身体的ゆとりが確保できる限りにおいて作業を頑張ろう。(もちろんその後休むことは前提である)

  • 身体的ゆとりがあり、物理的な時間的余裕もあるが、心理的な余裕がない場合は、別のことをやってみよう。





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