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プンサンケ(キム・ギドクはどこまでキム・ギドクか③)

キム・ギドク 製作、脚本
チョン・ジェホン 監督
2011年6月23日 韓国公開
2012年8月18日 日本公開
原題訳 豊山犬
英題 POONSAN
宣伝文句 「おまえはどっちの犬だ」

 チョン・ジェホン監督は、『絶対の愛』(2006年)で派生したキム・ギドクの原案を脚本化し、2007年に『ビューティフル』という作品を撮った(公開は2008年2月)。
 同年『悲夢』の撮影中、主演女優イ・ナヨンが死にかけるという事故を経験したキム・ギドクは、ショックで現場に立てなくなり、脚本家として裏方に回ることになった。
 この事故が書かせた脚本をチャン・フンに監督させ、映画化したのが『映画は映画だ』(公開2008年9月、原題『ラフ・カット』)だった。
 この間に書きあげたのが、本作『プンサンケ』という脚本だったろう。
 ふたたびチョン・ジェホンが監督を引き受けることになる。
 前作『ビューティフル』は、褒めるならキム・ギドクから<わかりにくさ>を取り払ったような作品。とはいえ、似て非なるものだから御大の天賦の才を逆照射する結果になっていた。
 おそらく脚本の完成度の問題だったのだろう、期待薄だった『プンサンケ』は、文句なし傑作なのである。

 離散家族のため南北の国境を越えて危険を冒す謎の男。
 プンサンケとは彼が吸う煙草の銘柄で、暗号名に過ぎない。
 真の目的がわからず、敵国スパイとみなした南北が命をねらう。 
 脚本がキム・ギドクと承知なら、子どもや女が触れただけで心開くのだから、言葉のない男に神を見るのは簡単だろう。
 なるほど形而上の善が形而下の悪を倒すアクションかと思うわけだが、彼はただの超越者では終わらなかった。
 ゴルゴ13風、高倉健似の使命に生きる男は、女性イノクに芽生えた感情に人間の愛、使命の意味をはじめて理解する(この辺は離散家族を見る表情の変化に気づかねばならない)。

 イノクへの想いは、神なら<慈しみ>であるべきだが、ここでは<情愛>として描かれる。つまり男は神ではないのだ。
 ところがイノクとのラブシーン(下記インタビュー参照)を観ると、死を予感するイノクが神に近づかんとする姿なのであって、激しく胸打たれる。
 神のようであり神ではない男?
 さらに作品に近づくなら男の頭は血まみれで、宗教的暗示<荊の冠>が見てとれる。つまり男はキリストなのだ。
 イノクは愛してしまった処刑場に臨む人間イエスに、兵を振り切って近づいたのである。捕縛のイエスもまた、男として愛してしまった女に少しでも近づこうとあがくのである。
 つまりここには、三つの光景がみえる。
①スパイと北の女(表層)
②神と修道女(中層)
③女を愛する神の子と愛された女(深層)

 『悪い男』(2001年)の場合、主人公のヤクザは神の愛そのものだから、相手の娼婦に持つ感情は<哀れみ>、<慈しみ>として描かれた。
 ここが芸術映画と娯楽映画のちがいとして現れたわけだが、どちらの場合も男は人間ではないものであるから感情移入を起こさせず、観客の心になだれ込んでくるのは女性の激しい悲しみになるようできている。

 つまり『プンサンケ』という作品は、キリストである神の代理人(エージェント)が、ひとりの人間イエスとして恋をする話。それを工作するスパイ(エージェント)という衣に隠したのである。
 あるいは、どんな依頼でも3分ならぬ3時間(そういう設定)で解決するウルトラマンだということでもよい。
 星からの使者が使命を逸脱し、女のために自分の手を汚さないながら人間通しの殺し合いを導き、宇宙の意思により罰せられたという解釈だ。
 しかし、それではやはりダメなのだ。
 脚本は「イノクの死により元の使命に復帰した男だったが、愛を失った超人に元の力は戻らず、北なのか南なのかわからぬ雨降る銃弾に倒れる」と読ませる。それはそれでよい。
 が、朝鮮半島の希望だった男の死に作品の神髄がある。ここに観客を連れてきたかった。
――贖罪――
 つまり作品は、観客に次の希望たらんことを願っているのである。

 脚本家キム・ギドクをあらためて考えてみる。
①脚本家の場合、ストーリーを重視し観客の情感に訴える娯楽作品になる。
②監督した場合、ストーリーを犠牲し観客を置いてけぼりにした芸術作品になる。
 一般に理解されないことだが、監督作にも明確にストーリーは存在する。ただ暗喩が多く破綻してみえるため<物語>と呼ぶほかないものだが...。つまり脚本の書き方を変えれば、①②のストーリーそのものに実は大きな違いはない。
 まずは、私の言うストーリーと物語のちがいについて簡単に触れておきたい。
 本作には小さな仏像が登場する。
 これはイノクの心を象徴している。若い女性なのだからストーリーは人形でも成立し、そのほうが自然なのだ。
 イノクを北から呼び寄せた愛人が捨てたものを、あとで男が隠し持っていたという筋立てが<心>を示すわけだが、それとわからなくても面白くできている。
 一方、自身が監督した『春夏秋冬そして春』(2003年)では、主人公が寺から持って逃げる小さな仏像を、彼の<心>だと気づかなければ映像が持つマトリョーシカ構造がわからない。そしておそらく観客は気づかない。

 前作『映画は映画だ』には、それより大きな仏像が登場する。
 主人公のヤクザが凶器として撲殺に使うわけだが、ストーリー上は刃物のほうが自然で、仏像である必要はない。凶器は人の心にあるといった程度。
 一方、監督作『メビウス』(2013年)では、凶器として使われる刃物が仏像の頭から取り出されている。ナイフが煩悩の暗喩だと気づかなければ、作品意図は全く理解できない。残念だがこれを指摘した映画評を私はみたことはない。

 そして、脚本のテーマにも①②同じことがいえる。
<宗教>
 本作『プンサンケ』の背後に隠されたキリスト教は、観客には必要要素でなく、単純にスパイ映画として面白い。
 ところが監督作『悪い男』になると、隠されたキリスト教を見いだせてこそ、はじめて作品の光景が理解される。
<映画>
 『映画は映画だ』(原題『ラフ・カット』)は映画を撮る映画なのだが、ストーリー自体が傑出しているだろう。主人公ふたりが<映画監督>という暗喩も、それがわかればなお面白いというに過ぎない。
 ところが監督作になると一転し『リアル・フィクション』(2000年)や、『STOP』(2015年)は、同じように映画を撮ることを撮った映画(未見の『アリラン』もおそらく)なのだが、それがわからないと奇妙な実験作にみえてしまう。

 以上、監督作と脚本作を比較し、キム・ギドクの作家性を簡単に考察してみた。

 以下、チョン・ジェホン監督インタビュー
(キム・ギドクについて)
 驚いていました。ずいぶんちがうんで、でも、面白いと言ってもらえました。公開以来73万人動員するヒットになったので、キム・ギドク・フィルムにも貢献できたし。
 私は「後輩のために出ていけ」といわましたけどね(笑)

 キム・ギドク監督から「これをやるか」と脚本が送られてきたとき、まず「1日だけお時間ください」とお答えしました。素晴らしい脚本だけど、本当に僕にできるのかと悩みました。しかも、1日時間をくれると言ったのに、4時間後に「やるのか、やらないのか、まだ決められないのか」と電話がかかってきた(笑)。もう「やります」と答えるしかなかったです。

 この脚本はだいぶ前からあったのです。私がこれを読む前に、キム・キドク監督は何人かの監督に声をかけていました。その方たちは内容的にもお金の点でも自信がないと断ったようですが。

(キャスト及びスタッフのノーギャラについて)
 映画に対する情熱だと思います。お金がなくてもいい映画ができることを見せたかった。『ビューティフル』(前作)も低予算で上映館は3館ぐらいでした。韓国では低予算作はアート劇場でしか上映されないのが現実です。予算2億ウォンとかで撮ると、それだけで「すごいね」と言われるけど、それだけでは満足できない。同じ予算でもっと大きい劇場で上映できる作品を作りたいんです。

(主演ユン・ゲサンについて)
 みんなに反対されました。僕自身は、以前やった作品のイメージにこだわるのはばかげていると思うタイプなんです。僕は『ビューティフル』(08年)で長編デビューした後、アート系作品をやる人だと言われたことに違和感がありました。ユン・ゲサンさんも、定着したイメージから脱出したいと考えていらっしゃったし。最初のミーティングのとき、彼が僕の抱いていたプンサンケのイメージとピッタリでびっくりしました。撮影前の段階に、彼とは吐きそうなほど延々と役について議論を繰り返しました。男2人でカフェに入って……(笑)

(主演女優キム・ギュリについて)
 「ビューティフル」のときも出演を打診しましたが、都合がつかずダメでした。今度も、直前にほかの作品の撮影があり、難しいかもしれないと言われたけど、クランクイン1週間前にその撮影が終わって、出演してもらえました。だから、本当に感謝しているんです。5日間しか準備期間がなくて入ってきたのに、すごくよくやってくれていました。
MOVIE COLLECTION 2012.08.13(抜粋) https://www.moviecollection.jp/interview/25726/

 以下、キム・ギュリ主演女優インタビュー
(キス・シーンについて)
 感情的にクライマックスに上りつめるべき場面でした。初ショットでユン・ゲサンさんがわたしの上に覆いかぶさりましたが、哀切さがありませんでした。どうすればいいのかあれこれ想像し、イノクがいかなる状況においても、北朝鮮軍に足蹴にされても銃声が鳴ってもプンサンケの元に駆け寄ることにしました。わたしがユン・ゲサンさんに言いました。「じっとしていて。わたしが行きますから」と。互いの感情を劇的に確認することになる場面ですが、感じるままに演じて、激情的で悲しくもありながら美しいシーンとなり、1回でOKが出ました。

(撮影について)
 撮影は寒さとの戦いでした。韓国が最も寒い時期に撮影したのですが、撮影現場は風を防いでくれるものが何もない場所で、しかも明け方の撮影が多かったので、2時間もすると骨の髄まで凍えるほどでした。そんな中、裸で水の中に入り、全身を濡らして息が目立たないよう口に氷を入れて撮影しなければならず、春のワンピースを着て、わたしはこの世で一番の寒さと戦ったんです。また、追加撮影で4メートルのプールに入ったのですが、撮影を終えてシャワーを浴びると両足のツメが1枚ずつ抜け落ちました。撮影中、心は満たされて楽しかったのですが、肉体は限界を感じていたようです。

(ノーギャラについて)
 わたしは全ての面で作品のクオリティが優先すると考えています。シナリオが素晴らしく、全ての俳優とスタッフが良い映画を作ろうという一念で集まったため、参加すること自体に意義があり、また純粋に面白いと思って選びました。
Goo 2012.08.03(抜粋)
https://news.goo.ne.jp/article/wowkorea/entertainment/wowkorea-20120803wow008.html

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