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Macの乗り換えと、義体換装 | 15分で考える音楽以前のこと(10)

10日ほど前、新しいMacbook Proが届いたときのはなし。

今まで使っていたMac miniのデータを、移行アプリケーション経由で新しいMacに流し込む。データに問題なくアクセスできるかチェックし、今後の仕事や制作に影響がないことを確認して、Appleの下取りプログラムで1万円の値がついたMac miniを初期化する。ていねいに梱包され、知らない住所に送られる我がマシン。激動の2010年代後半の併走者よ。

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新しいMacは設定もフォルダ構成も引き継いでくれているので、今までと全く同じ使用感で作業ができる。ただスペックだけが鬼のように上がり、20分かかっていた作業が5分以内で終わるようになった。

アニメ「攻殻機動隊」では、サイボーグが破損やアップデートのために身体を乗り換える”義体換装”がひとつのテーマになっている。全身が交換可能な部品であるなら、交換不可能な魂(ゴースト)は何に宿るのか?自らを構成するパーツの大部分を入れ替えてしまっても、自分は自分であり続けられるのか?

自分の拡張身体(検索可能な外部脳、音楽的表現の中核)であるMacを乗り換えたときの、さみしさというかなんというか、「ぶっ壊れて火を吹くまで一緒にいられなかったもんかな」という後ろめたさというか。身体の一部がすげかわって、まったく支障ないどころかグイグイ前にすすめちゃうことに対する、一瞬の違和感。この感情は、どういったものなんだろう。

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