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イラストレーターを目指した話〜中学生編〜


フリーランスイラストレーターのあすかです。
前回の自己紹介記事で、イラストレーターの傍ら看護師をしていると言いました。自己紹介の深掘りとして、イラストレーターになった経緯をお話ししたいと思います。

そもそも私が看護師の道に進んだのは、憧れなどではなく、世の中の景気が不安定だったから。


幼い頃に世の中がバブル崩壊で騒ぎ、
就職氷河期に突入。

私の父も不況の煽りで働いていた会社が倒産。
職を転々とする事も。


転職で大変な父を他所に、私は好きなアニメやマンガのイラストを描き、Gぺんやトーンを貼って漫画を描く日々。

大人になったら、マンガ家になるんだ!
という、子供なら一度は夢見ることを真剣に考えていました。(単純過ぎる…)

小学校時代学校の先生や同級生から、マンガを褒められると嬉しかったのを覚えています。

中学に入っても、毎日のようにイラストを描き続ける日々。


もともと内気で人と話すことが苦手な私。
小学生の終わりからいじめにあったり、中学の教師からはパワハラを受け、ますますイラストの世界にのめり込むように。

ですが、美術の授業などは退屈で、美術部に入部する事もなく、好きなイラストを好きなように描いていました。

これでは基礎は身につかないし、いつまでも自己満足な作品ばかりで共感されないことにも気づかず…

そうした中、中学2年の終わり頃。
父が諭すように切り出した話は、私の進路について。

不景気で職が無い世の中、地元である鹿児島は全国でもワースト1.2位を争う低賃金、職が無い県。
景気に左右されにくい仕事に就いて欲しかったようで、母と同じ看護師を薦めてきました。

マンガ家の夢を尊重しつつも、
子供の将来を想って進路について諭す父を見て、「あぁ、親に苦労はかけちゃダメだよね」と納得。

あっさりとマンガ家の夢は手離し、その後、
社会に出て地元を離れ、36歳になるまでイラストを描くことはありませんでした。

今思うと、夢を追わなくても本当に好きなら描き続けるはず。私にとってマンガ家になるという夢は、その程度だったのです…

そして、両親の願い通り看護の道を歩き始めました。

…が、看護学校時代がまた地獄。話が長くなるので、ここで一旦終了。

次回につづく。


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