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『いつか必ず光は』

またひとつ、大きな本番が終わりました
「連弾×合唱」
タイトルの通り、全編連弾によるコンサート
オープニングには連弾のみの曲も

事の起こり

事の起こりは昨年7月の野間春美さんと平林知子さんによるピアノデュオ「のまひら」のコンサートに刺激を受けた森山至貴さんが投稿した「連弾がしたい」とのツイート

その翌日にあったLux Voluntatis(LV)の練習で、森山さんに「連弾したいって書いてたね」って言ったことをきっかけに、そのままその場で、全編連弾によるコンサートをやろう、という方向に

森山さんに「共演したいピアニストは?」と尋ねたら「薄木葵さん」とのご指名が
そこでまず薄木さんにお話をし、ご快諾をいただき、その後さらに、薄木さんとの共演であれば対バン相手はTokyo Bay Youth Choir(TBYC)にぜひ!と、指揮者の谷郁さんにお声がけをしてこちらもご快諾

その時すでに空きを確認していたオリセン小ホールをすぐに押さえて、場所も確定

「のまひら」のコンサートが7月16日(土)
「連弾×合唱」の座組みが決まったのが翌7月17日(日)
オリセンの登録手続きなどを経てホールの予約が完了したのが7月21日(木)

いつものことではあるけれど、我ながら早いな…

Lux Voluntatis 第8期始動

そこから時が流れて練習開始は今年の1月
10コマの単独練と3コマの合同練を経て昨日の本番となりました

ん?10コマ!?
初回は合同曲のみの練習だったし、9コマであの組曲を演奏したの??
今これを書きながらびっくりしてます

初演組曲

今回演奏したのは
混声合唱とピアノ連弾のための組曲『いつか必ず光は』
塔和子さんの詩に森山さんが曲を付けるのは2018年の「見えてくる」につづいて2度目

塔和子さんは元ハンセン病患者でらした方で、用いる言葉は基本的に平易であるものの、その来し方を思うと言葉の意味合いや重みが変わってくる、そんな詩がたくさん遺されています

今回作曲されたのは「忘却」「欲」「待つ」の3遍

忘却

「忘却」では、ぜったいに忘れまいと思う、そんな出来事ですら、忘却によって癒されてしまう、と書かれています

ハンセン病患者に対する扱い、仕打ちというのはひどいものでした
市中で生活することは許されず、療養施設への収容の際には警察などがきて強制的に連行されるようなことも多かったようです
施設内でも非常に不自由な生活を強いられ、強制的な断種手術や妊娠時に堕胎させられることも多かったそうです

また、一部ではハンセン病が悪さをした「罰」と見做されていたため差別的な扱いを受けることもあったし、そもそも簡単にうつる、もしくは遺伝するなどと考えられていたため、本人のみならず親類縁者にまでその影響は及んだと言います

「その影響を避けるため」と、施設への入園の際に名前を与えられるのだそうです
家族と共に暮らす当たり前の生活は疎か、名前すら奪われてしまうのです

"塔和子"というのも本名ではありません

彼女は我々の生活の中では想像もつかないような「ぜったいに忘れまいと思う」出来事をきっといくつも経験して来られたのだと思います

それは一方で自分自身の歩んできた消すことのできない歴史であり、だからこそ忘却によって癒されることを恐れ抗ってもいるのです

出来事の重さを印象的なユニゾンで提示し、それらをvocaliseそしてピアノパートが繰り返すことで印象付ける
そしてその出来事によって生じた悲しみ、怒り、その強い思いが自らの身を焦がすほどに燃え滾る様子がテンポの速い五拍子によって刻み込まれる
だが、それらの出来事が、まるで指の間から水がこぼれ落ちていくように忘れていってしまう、その様が四拍子を刻み続ける歌と、そこからほつれるように散漫になっていくピアノによって描き出される
そうして忘却によって癒されていく様が美しいアカペラによって歌われた後、そのことに抗うようにピアノが奏でられる

そんな第1楽章

第2楽章では多くの人がうちに秘め、隠すその「欲」を衒いなく書き記す様を、詩中では中間部にある「欲よ/私はお前をこんなに好きだ」を曲の冒頭に持ってくることで印象付けてスタートする
ピアノが6/8で”欲”を表現し、それに負けまい、飲み込まれまいと合唱は4/4で歌い続ける
食欲、物欲、性欲などいくつも羅列される欲はしかし、三大欲求であるはずの睡眠欲は含まれない
これはきっと塔さんの生活において、この欲だけは飽きるほどに満たされていたからに違いない

欲がないと自分の生活に味がしないと歌う場面では欲の権化としての役割を与えられたピアノは音を奏でない
欲で脳内が満たされた様を歌うところでは合唱がついに屈し、6/8を奏でる

欲があるからこそ、暗い人生の中にも燃える炎を感じ、欲によって活気づけられ、その先にほんの少しの希望を見出せるなら、どこまでも歩いていける
そう歌い終えると共に激しく奏で昇り詰めていくピアノはただただひたすらにかっこいい

待つ

終楽章は「待つ」
この詩では「待つことが希望だ」と、歌う
彼女は待つことしかできなかったのだろうと思う

彼女が発病したのは1940年、11歳のころ
最初に診断された後、ハンセン病ではないと診断されることを願って、父に連れられあちこちへと病院行脚をしたらしい
しかしハンセン病との診断は変わらず、13歳で親元を離れ香川県の大島青松園へと入園した
(発病が13歳、入園が14歳との記述もある。いずれにしてもまだまだ若い)

結婚したのが1951年
特効薬により完治したのが1952年

しかし彼女らの生活を大きく制限した「らい予防法」が廃止になるのはなんとそれから40年以上も経った1996年
有効な治療薬が作られてなおそれだけの時間がかかった

しかも法律さえなくなれば世の中の偏見がなくなるという単純な話ではない
ハンセン病は見た目に大きな変化を残すから、その変化によってはまるで化け物にあったかのような目を向けられることも少なくなかっただろう
手足に不自由さも残る

ただひたすらに「待つ」
それを希望だと
その希望を与えてくれたのは「大いなるもの」だと彼女は書く

1964年に園内の教会で受洗しクリスチャンになっているので、おそらくキリスト教の神様が彼女の心の中にはいたのだと思う

その希望があるから
「どんなにくらいところででも/生きていられる」
「そしていつか必ず本然の姿を/見つけて叫ぶのだ」

森山さんの音楽は救い、希望を感じさせてくれる
だが、同時にそれは、彼女の経験してきた絶望を、暗い人生を感じさせもする
闇があるからこその光だ

塔和子さんの詩を歌う意味

森山さんが塔さんの詩を選んだのは、その詩が素晴らしいことはもちろんのこと、やはり社会学者として、社会的弱者に目を向けているから、という面も確実にあると思っている
虐げられた者の言葉を、社会的に抹殺され、いないものとされていた人々の言葉を、私たちはどう受け止めて演奏するべきか
少ない練習の中でも私はそんな話にそれなりに時間を割いた

三好の話よりもっと歌わせてくれ、と思った人もいるだろうけれど、私にとって歌は言葉そのものであり、言葉を伝える手段だから、その言葉の持つ意味や背景について話すことは間違いなく「音楽練習」だと、特に今回の作品では強く思っていた

感情を持っていかれやすいタイプなので、終盤の練習や当日のリハーサルでは何度も感極まって、涙がこぼれそうになった
だが一方でそういう思いがあふれるのはリハーサルまでで、本番は舞台上で起きる様々なことに対応するため、すごく冷静になるのが常だった

今回の演奏でも同様で、リハーサルで感極まった部分でも涙は上がってこず、やっぱり本番は冷静なんだな、と思っていた
だが「待つ」の後半、”どんなに暗いところででも/(私は)生きていられる”と歌う場面に差し掛かった時、不意に自分の娘にやがてくる11歳と、塔さんの11歳の姿(娘はまだ2歳だし、塔さんの姿は晩年の写真や映像でしか知らないからどちらも想像でしかないのだが)が重なり、涙が堪えられなくなってしまった

子供を持つことで見えてくることが様々あるのは、日々感じてはいた
世界の解像度が増すような感覚だ

本番中に指揮者が泣くのは禁じ手なんだが、申し訳ない…

三足の草鞋

兎にも角にも渾身の本番が終わった

塔さんの深い詩にふさわしい、スケールの大きな作品を書いてくれた作曲家:森山至貴さん
それを演奏するピアニスト:森山至貴さん
塔さんの詩を選んだ社会学者:森山至貴さん

昨日の彼の姿を見た人は三足の草鞋を履きこなすその姿を目にしたのだと思う

満席という幸せ

ありがたいことに演奏会は満席だった
来場者239名
312席中、35席を合唱団に、1列12席を撮影用に確保していたから、実に9割以上の座席が埋まっていたことになる

温かい拍手に迎えられ演奏するのはやはり良いものだ
これもメンバーの頑張りの賜だ

オープニング:ピアノ連弾

オープニングはカプースチンの”Sinfonietta Op.49”より第1楽章
華やかな始まりだ
ピアノ連弾のみの楽曲もとお願いしたのは私
合唱の人は、合唱のみを聴きにいっていて、なかなか器楽の演奏会には行かない、
という人もたくさんいると思う
だから、ピアノのみの演奏を聴けるチャンスを作りたくてお願いした
カプースチンを選んだのは森山さん
初手からエネルギー要るのを選んだな、と思ったけれど、オープニングにふさわしい、聞き手にとっては文句なくいい選曲だったと思う
演奏者のお二人は………お疲れさまです

TBYC

続けてTBYCによるブラームス「Neue Liebeslieder」
谷さんは長くウィーンで合唱指揮を学んできたので、ドイツ語圏のものは得意だという認識
TBYCは昨夏のコンサートで「Liebeslieder」をすでにやっているので、シリーズものの続き、という感じ
合同練習の試演で聴いた時に、日本人がなかなか演奏できないワルツの軽やかなノリを感じて、ますます本番が楽しみになった
LVを目指して演奏会にきてくれるお客さんに、これを聴いてもらえたのがとても嬉しいし、こういうことこそジョイントコンサートの醍醐味だと思う

LV

ホールホワイエのトイレが工事中で、長い休憩が必要となってしまったが、それに続けて森山さんへのインタビュー形式の対談を経てからのLV単独
その曲については上記の通り
決して簡単ではない曲、しかも3曲で20分近い大曲を、潤沢とは言えない回数の中で、あれだけの演奏で応えてくれたメンバーには心から感謝と拍手を送りたい

合同

そしてその興奮冷めやらぬまま、合同演奏へ
私からの希望で谷さんに指揮をお願いし、やはりブラームスのドイツレクイエム(本人アレンジによるピアノ連弾版)から第4曲Wie lieblich sind deine Wohnungenを
この曲を歌ったのは久しぶりだけれどやはり名曲
両団の素晴らしい歌い手と共に歌えたのは心地よく幸せな時間だった

アンコール

アンコールで再び連弾のみの演奏
オープニングと同じく、カプースチンのシンフォニエッタから最終の第4楽章を
スムーズな進行のため合唱メンバーが舞台上で見守る形になったけれど、舞台上でピアノ演奏を見るのもレアな体験で面白かったかしら

さらに合唱付きの最終曲として、松本望編曲による中島みゆきの「時代」を
連弾という縛りのためにそもそも選択肢が多くはなかったけれど、元々好きな曲であり、大学4年時に学生指揮者アンコールとして松下耕さんに男声合唱編曲を書き下ろしていただいた思い出の曲でもあったので選曲

コロナ禍がようやく終わりかけている今、ぐっと迫ってくる歌詞内容だったし、『いつか必ず光は』の終楽章からの流れとしても結果として良い選曲になったと思う
演奏は言うまでもなく熱かった

演奏会を終えて

私は1ステージを指揮したのみだが、夜にものすごい疲労感におそわれた
両団で歌った3名もだが、なによりカプースチンを含め16曲を弾き切った薄木さん、森山さんのお二人には頭が上がらない
お二人のおかげでコンサートが成立し、華やかになり、満足感のあるものになった
お客さんにとっても、「連弾」の様々な姿、可能性に触れる事のできる良い機会となったと感じている

改めて、共演してくださった皆さん、お手伝いただいた方々、ご来場いただいた皆様をはじめとして、この演奏会に関わってくださった全ての方々へ感謝いたします
ありがとうございました

再演

この素晴らしい組曲を、一回限りの演奏で終えてしまっては勿体無い!という歌い手、ピアニストからの熱、何より私自身がもう一度、二度、三度と演奏したいと思う作品なので、まずは7月の東京都合唱祭で再演をします
練習スケジュールが組めたらLV9期として募集を開始しますので、興味を持っていただいた方は、三好かLVのTwitterをチェックしてみてください

とはいえ合唱祭で演奏できるのは1曲のみ
組曲は組曲で演奏してこそ…
なので、全曲での再演も機会も作りたい

でもそもそもLVとしてやりたい事もまだまだあるのよね…

初演動画を公開しました(2023年4月30日追記)
是非ご覧ください


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