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連続小説MIA (40) | Chapter Ⅱ

再びのGreyhound bus。車内はほぼ満席だった。空いている席を探し、タイヤの真上の座席をみつけた。ギターケースは、荷物置きに預けず、脚の間に押し込むことにした。グレイハウンド・バスは、淡々と夜のハイウェイを北上する。窓の外を見ても、規則的に並んでいる街灯が見えるだけで、他は何も見えない。街灯の奥のほうには、広大な岩山が広がっているのだろうか。オーストラリア内地は砂漠のため、ほとんど人が住んでいない。人口密集は、沿岸部に集中している。そして、その大部分が東海岸だ。国土としては、日本の約20倍の大きさがあるけれど、人口は約1/5という、とても自然が豊かな国なのだ。人の手が入っていない自然がすぐそこにある。日本にすんでいる感覚よりも、もっと身近に、むきだしの自然があるのである。自然はチカラを持ったまま、存在している。人間なんて、ちっぽけなもんだ。日本にいるとき、制作がうまくいかなかったり、仕事が見つからなかったり、生活にゆとりがなかったり、うまくいかないことがたくさんあった。それで気分が落ち込んで、社会を斜めに見るような価値観を持ってしまっていた。楽観的で、甘い考えで生きていたんだろう。うまくいくイメージを持つのは得意だけど、それを実現させるだけに必要な手段を探ることや、実行し続ける力が不足していた。そのなかで自分を守るためには、自分の中で抽出され形成した価値観にしがみつくしかなかったのだ。今は思う。それって何の意味があるのだろう?その考え方は、自分を含めて、だれか人一人でも喜ばせることが出来るのだろうか?その考え方は、自分が心地よく生きていけるのだろうか?やりたいことと、自分の得意なこととは、もしかして違うんじゃないだろうか。次々と頭に浮かび、脈絡なく出てくる言葉や考え。この時の僕には、そのひとつひとつの相手をするだけの時間の余裕がたっぷりあった。シドニーを出てからというもの、ひとりでいることが多く、北を目指すこの旅は、ほとんど人と話すことがない。僕は、僕の頭のなかに、すぐに到達できるようになってきていた。自分の思考の特徴や、目を背けたがる話題。あるいは、何度も何度も浮かんでくる事柄について。この旅は自分との対話をするための旅になりつつあるようだった。深夜になり、車内のあちらこちらから静かな寝息が聞こえ始めたころ、突如、車内アナウンスが鳴った。「このバスは、まもなくバンダバーグに到着します。お降りのお客様はご準備ください。」時計を見ると、AM2:00を回ったところだった。

つづく(※平日の正午ごろに連載を更新します)

The Greyhound bus was almost full again. I looked for an available seat and found one right above the tire. I decided to shove my guitar case between my legs instead of leaving it in the luggage compartment. The Greyhound bus drove north on the highway at night without a care in the world. Looking out the window, we could see only a regular row of streetlights, but nothing else. Behind the street lamps, are there vast rocky mountains? Because of the desert nature of the Australian interior, it is almost entirely uninhabited. Population density is concentrated in the coastal areas. And most of it is on the east coast. Australia is a country rich in nature, about 20 times the size of Japan, but with only one-fifth the population. The untouched nature is right there. It is closer to us than we feel living in Japan, and we can feel the bare nature. Nature exists with its own power. Humans are so tiny. When I was in Japan, there were many things that went wrong, such as productions not going well, jobs not being found, and a lack of comfort in life. That made me feel depressed, and I had a value system that looked at society in a skewed way. I guess I was optimistic and lived with naive thinking. I was good at having images of things going well, but I lacked the ability to explore the means necessary just to make them happen, and to keep implementing them. In order to protect myself in this situation, I had to cling to the values that I had extracted and formed within myself. Now I think, "What does that mean? What does that mean? Can this way of thinking please even one person, including myself? Can that way of thinking make me live comfortably? Could it be that what I want to do and what I am good at are two different things? Words and thoughts popped into my head one after another, without any connection. At that time, I had plenty of time to deal with each of them. Since leaving Sydney, I have been on my own most of the time, and on this trip north, I rarely talk to other people. I was getting to my head, and I was getting to my head quickly. The characteristics of my thoughts, the topics I prefer to turn away from. Or about matters that come to mind over and over again. It seemed that this trip was becoming a journey of dialogue with myself. It was late at night, and quiet sleeping sounds could be heard from everywhere in the bus, when suddenly an announcement was made. This bus will be arriving at Bundaberg shortly. Please be prepared to disembark." I looked at my watch and saw that it was just after 2:00 AM.

To be continued (*The series will be updated around noon on weekdays)

サポートありがとうございます。育ててみれば、そのうち芽が出るかもしれません。