二度寝しない方がいいよ。(全文無料)

 朝の誰もいない教室で見知らぬ少女が私に向かって手を伸ばす。握られた手の平がゆっくりと開かれる。手の平の上に何かがある。柔らかく小さく温かく甘い。その何かが何であるか私は知っている。なぜ知っているのかは知らない。食べて。そう少女は言う。私は恐怖し逃げ始める。廊下に飛び出し走る。まっすぐまっすぐ行った先には何人もの人がガヤガヤといて、不意に私に気づき一斉にこちらを向く。先頭にいて満面の笑みを浮かべているのは私の元彼だ。なんてこと。立て看板みたいに笑っている。私はびっくりして、走りながら左に向きを変える。下駄箱の間を駆け抜けて明るい外へ出る。誰かの手が肩に触れる。振り払って走る。信号は赤だけど無視。猫がぽかんと見送っている。空は青いので、私は手を伸ばしひっつかんでマントにする。しまった空を一枚剥いだら夕暮れになってしまった。慌てた私はそのへんのビルに足をかけてよじ登る。空は返した方がいい気がする。でも後ろからガヤガヤと声がする。追われてる。私は途中から夜のビルの中を走り抜けることにする。窓を踏み切って飛び出したら、空がぶわりと肩で膨らむ。空はビルの屋上にひっかかる。ああ失敗した。べりりと裂けた空に絡みつかれ私は白い紙に落ちる。大きな大きな紙には文字がびっしり書かれていて、私は文字を突き破る。ぶつかって何かが私から飛び出る大変だこれは一番大切なものなくしたらだめなもの。走りながら身をかがめそれを拾う。拾って走る。走って走って私ドンくさいはずなのにこの時ばかりは風のように走っている。夕暮れの色がなんだかピンクの夜明けになってあぁそうか走っているのは夢だからだ手の平が熱くなる。私から飛び出た何かがめんどくさい放り出したいこれ私が持っていたって意味がない。こんな夢見てないで起きなきゃ走って走って何か大きな建物に着くここにいる誰かこれを受け取ってくれる人今なら大サービス無料でいいよ階段を駆け上がって駆け上がって4階。息切れしないなんていいよねみんなガヤガヤしやがってばーかばーかほんとはヘトヘトだっつうの逃げて逃げて私はまだ誰もいない教室に走り込むここはどこ途方に暮れた女に向かって私は手を伸ばす。

(初出 ネップリ創作文芸同人誌『鯨骨生物群集』 vol.5 2022年春号)


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