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令和鹿芝居『怪談牡丹灯籠』を終えて

11月28日、29日の二日間だけでしたが、鹿芝居をやりました。


コロナ禍の中、集客に不安がありましたが、なんとか形になるくらいにお運びいただけました。これもひとえに皆様です。


ご来場頂いたお客様本当にありがとうございました。


今回は落語でもお馴染みの「牡丹灯籠」をやりました。


今回は僕は演出に徹したかったので、自分で書いた脚本にも僕は少しだけの登場にして、他は細かく演出しました。


当日は照明の操作を。


僕は脚本を書く以前から、この話は萩原新三郎の家と伴蔵お峰の家を交互に展開させようと決めていたので、舞台にまずは二つの家を置くことは決めていました。


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それがこんな感じです。上手が新三郎宅、下手が伴蔵宅です。


舞台が割と広かったので四畳半の家を二つ作ることが出来ました。


このアイデアを舞台美術の妻に伝えたらすぐに構図を決めてくれて、この形になりました。


あとはそれぞれの家で照明を切り替えていくかんじです。


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上手と。


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下手と。


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三遊亭円朝が喋る時はこんな感じです。


これを切り替えるのが頻繁にやってくるので、その操作を僕が必死にやりました。


本当なら照明さんを頼んでやってもらうんですけど、予算の関係上僕がやりました。


演出を自分でやってるのでタイミングは自分が一番知ってますので、それが結果的に一番良かったわけですが。


本番は4回しかありませんでしたが、本当にみんなには細かい注文をずっとつけてて、最後の一回まで何かしら直す所があってそれを伝えていました。


おそらく何人か僕を嫌いになったんじゃないかと思うくらいにうるさかったと思いますw


普段演劇が好きで、自分が観に行って、こういうのが面白いなあとかっていうノウハウが今回活きたかなあと思っています。


普段落語をやっているみんなには、違う脳を使わせてしまい本当に申し訳なかったなあと思いながらも、自分が支持したことをみんながやってくれて、それで笑いが起きた時は、落語で工夫してウケた時と同じように感動しました。


演出家の気持ちがよく分かりましたね。


落語も芝居も答えは似ていて、「こちらが見えていないものはお客さんには伝わらない」ってことです。


今回初めてやってみてずっと頭にあったのは、正解か不正解かはわからなくとも、動きを支持したら何故そうしたいかの答えだけは持っておこうということでした。全部が全部、そうはならなかったですけど、そう思って演出していたことは間違っていなかったと思います。



この鹿芝居という活動は、今の時代はなかなか難しくなっているんですけど、みんなで集まってやる楽しさや壮大さは今回参加した人はきっとわかってくれたと思いますので、またみんなでやりたいです。


令和鹿芝居、来年も必ず帰ってきます。その時はぜひ見に来てください。

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