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【あなたの知らない落語の世界】第5回「落語って勉強しなきゃいけないの?」

「落語って難しいんですか?」「やっぱり江戸の言葉とか歴史を知ってないとわからないんですか?」

落語家なら一度はされる質問です。

今日は落語には知識が必要なのか?について答えてみます。あくまで私の見解で、落語家全員が思っていることではないと前置きをしてから進めてみたいと思います。

①必要なし

まず、結論から言うと勉強の必要はありません。事前に知識を入れる必要も全くありません。

そもそも知識を入れてからはないと楽しめない芸能なんて大衆芸能ではないと思うんです。

落語は、伝統芸能と古典芸能と大衆芸能の三つの側面を持ちますが、私としてはその中の大衆芸能というところに重きを置きたいと思っています。

なので誰でも楽しめる方が良いと思っています。

私が学生の時に部室で聴いたカセットテープ音源の小三治師匠の「道灌」は衝撃でした。落語をまともに3割くらいしか理解出来ていなかったと思うんですが、枕で阿武隈急行の話をしてたとか、二十年ほど前のことですが、とにかく面白かったことだけは覚えています。江戸言葉に触れるのも初めてだったので、いわゆる落語耳が出来ていない私でもその楽しさがわかりました。

3割くらいしか内容が分からなくても楽しいというのは、つまり隠居とハチ公のやり取りがなんだか面白かったということです。

なのでまずは落語世界の雰囲気をただ楽しむためにも、身体をそこへ浸らせて欲しいですね。

②わかるとより楽しめる

①を覆すわけではありませんが、わかるとより楽しめるのは確かです。

落語を聴く上でのルール、特に古典落語(受け継がれてきた噺)には独特のお決まりがあったりします。

例えば、噺家が右を向いたり左を向いたりする上下(かみしも)を切るという動作。これは登場人物の位置関係や上下関係の中で決まってきます。これを知っておくと、噺家の喋る方向で今どっちが喋っているかがわかってきます。

あとは古典落語に頻出の単語ですね。隠居とか店賃(たなちん)。隠居という言葉は水戸黄門で聴いたことあったのでなんとなく想像出来ましたが、「たなちん」と最初聴いた時はなんのことかわかりませんでした。家賃とはっきり言い換えている人もいるくらいです。

これらのことも事前に勉強して行くというよりは、落語をなん度も聴く内になんとなく分かってきます。なので、必死になって知識を得ようとか勉強しようというのはやっぱり必要ないと思います。

③必要だと思えばのめり込む

ここからは少し先の話になりますが、知識が必要となってくる噺もあります。

廓噺(くるわばなし)なんかはいわゆる吉原を全般に扱った噺で、こういったものは知識があった方が楽しめます。

知識なしで楽しめる廓噺も多くありますが、例えば独演会などでは少し踏み込んだ廓噺を申し上げることもあります。

圓朝作品もとてもたくさんあって、面白いです。1900年に亡くなった大圓朝ですが、幕末から明治に活躍した方ですからその時代の速記は非常に難しいです。

そのまま喋ろうと思っても言葉遣いが難しくてなかなか大変です。

だけどこれは演者もお客様もそうですが、圓朝作品はのめり込むとどんどんハマって行きます。読み物としての面白さ、連続ものとしての面白さ、色々な面白さをもっています。

怪談ものなどは特に連続した面白さがあるので、一度触れてみると良いかもしれません。

私がライフワークにしている「真景累ヶ淵」圓朝が20歳くらいで書いたと言われています。20歳の若者が書いたと思って触れるとその奥深さに驚きます。ぜひ読んでもらいたいですね。

なので、落語の必要だと思えばどんどんのめり込む魔力がありますので、ぜひ落語沼に浸かってみてください。

落語について、また過去の思い出等を書かせて頂いて、落語の世界に少しでも興味を持ってもらえるような記事を目指しております。もしよろしければサポートお願いいたします。