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稽古

落語家ってどういう風に稽古してるんでしょうね?



他の方がやっているところはどうしても覗き見ることができないので、本当どうやっているのか気になりますが。



ただ、自分もやっていることだし、そんなに変わりばえはしないと思います。ぶつぶつ覚えるとこから始まって、腹に入れる稽古をして行く流れは基本的に同じだと思います。




僕の場合で言うと、まず教わった噺を書き起こす。台本を作るわけですね。



で、ここから覚える作業に入るわけですけど、僕の場合は教わった師匠の音源を聴きまくることはもうしなくなりました。10回は聴きますけど、あとは読み続ける。そして入れていく。




以前は、100回くらい聴いてましたが、聴いている時間が無駄なのと、あとは単純に読んでいるだけでもお稽古になるので、今は読みまくりで覚えていくようになりました。寝る前に、一回読むとさらに覚えますね。



で、覚えたらあとは外に出ても喋れるようになりますから、歩いてぶつぶつやって身体に入れていく。覚えていない段階では、歩きながら出来ませんからね。



で、僕らの世界で「肚(はら)に入れる」って言うんですけど、お腹の中に閉じ込めるようなイメージで、台詞を身体に染み込ませるんですね。



台詞が肚に入っていると、高座で例えば「てにをは」を間違えちゃったとか、順番間違えたとか、そんなことがあっても、対処できる余裕が出来るんです。どう転がっても喋れる感じです。言い立て(長い決まりの台詞)の場合は間違うと怖いですけど。だけど、なんとかなります。




お客さんによく「間違うことってあるんですか?」と訊かれて噺家は大体こう答えます。



「しょっちゅうです。なんなら今日も間違えました。」




この言葉は正確にいうと意味が違っていて、順番が狂ったとか、やりたいことと違う風に喋ったとかの意味で使われていることが多いです。なので、正確に言うと間違えではないです。



どういうことかと言うと、僕はいつもこういう時料理に例えるんですけど、カレーを作るときに、肉入れてじゃがいも入れて、玉ねぎ入れてとか例えば決まったレシピ(台本)があったとして、実際作るときにこれをどういう順番で入れても、最後にカレーを入れればカレーが出来ちゃうわけです。じゃがいもの代わりにサツマイモ入れても、少し甘いカレーになるだけで、そういうカレーなんですね。だから順番間違えたり、台詞を間違えたりは、厳密に言うと、間違いではないです。古田新太さんの言葉で好きなのがありまして、




「良い役者とは、いかに台本を誤読するか。」




ってのがあって、特にお芝居の台本はただ音読しても全然面白くなくて、いかに間違えて読めるかが鍵なんだと仰ってました。まさにこれですね。落語でもよくあるのが、稽古していた時と全然違う台詞を本番で口走って、意外とそれが良くて、そっちが採用されちゃうみたいな。これは、さっきに台詞が肚に入っていないと起こりませんけどね。うろ覚えのままだとこんな宝物はもらえません。




料理に戻しますが、たまにカレー粉を入れ忘れることがあります。いわゆる仕込みですね。落語にオウム返しと言われるジャンルがあります。何か教わって、ためして失敗するという典型的な落語の展開です。で、この最初の教わってのところの台詞を忘れて、ためしに行っちゃって、教わってもないのに失敗する。なんてい場面を見たことありますね。一度聞きに戻ったりしてw



これは完全に間違えですね。オウム返しで言うと、最初に教わるところで、失敗する時の文句を先に言っちゃうってのもあります。こういう時は素直に認めるしかないです間違えをw




いずれにしても、稽古は本当に大事です。高座で事故を起こさぬよう、そして何よりいかに誤読して面白く出来るかを追求するために稽古はあるんです。その当たり前なことをもう一回見つめ直せるのが、このコロナバケーションです。





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