学習院大学落語研究会
大好きな落研
僕の落研には歴史があります。今大体60年くらいはやっています。僕が入った時は四十五周年くらいで確かその記念の会もあったようなないような。
小さん師匠が名誉顧問だったので、柳家好きな人ばかり。私もその一人で以前のnoteでも触れましたね。
火木が稽古
さてそんな落研の活動はとにかく楽しい毎日でした。火木の稽古が基本ですが、それ以外もずーっと部室に籠ってました。昼間からお酒を飲むのもしょっちゅうでしたし、四年生がいろんなことをおしえてくれました。
毎日飲みに連れてかれ、クラブに行ったり何したりっていう日々もありましたね。だけど僕は部室で他愛もない話をしている時が楽しくてしょうがなかったです。
部活終わりに部室で鍋をする事も良くあって、それも最高の時間でしたね。近所のコマースか時間があればピーコックで具材を買って来て鍋にぶち込んで、大体ポン酢で食えば美味いやってことになってました。
冬作る熱燗は大胆です。一升瓶を、電気ポットにそのまま突っ込むんですから。注ぐ時は熱かったです。命がけの熱燗ですね。今は火気厳禁、お酒もダメですから、今の学生は何のために学校に行ってるんでしょう。
冗談でなく真剣に思う事があります。勉強も大事ですけど。
夏巡業
一番のイベントは夏巡業です。巡業って相撲みたいですが、ウチの落研は老人施設を転々と慰問することを一週間も続けるのです。なので毎日移動するので巡業というわけです。他のサークルみたいに一ヶ所でダラダラしてるわけじゃないので、とても楽しいです。毎日違う場所で違う宿でみんなとワイワイ過ごす。
僕が入った時は最初の三日が終わると女子はそこで帰って、後半は男子だけが旅を続けるということになってたんですが、僕が2年生になった時にやめました。ちょっと平等じゃないなと思ったのと、単純に当時は部員が少なくて、後半男子だけになったら旅がかなり寂しかったんです。だから最後までみんなで行こうということにしました。
今の現役もそれが続いているみたいで、巡業は参加した人は基本みんな一週間行くみたいです。
夏巡業では毎日違う場所で出来るし、何より老人ホームなんで反応もあまり良くないんですけど、今思えばあれでだいぶ鍛えられましたね。心が強くなりました。
小団治師匠
僕の頃は、顧問が柳家小団治師匠でした。なので色んな話を聴きました。落語界に憧れを持ったのはそういう話を聞いていたからだと思います。高座もやっぱりプロは違うぞというのを近くで感じていましたので、ずっと憧れていました。
夏巡業では小団治師匠が寝るまでは、僕らもなんとなく寝ちゃいけない雰囲気だったので、そのあとは二次会みたいな感じでそこから馬鹿みたいに飲んで、次の日の電車が辛い事が多かったです。
めじろ寄席
落研では大きな会が年に二回あります。めじろ寄席というやつで、豊島区民センターというところでやってます。小さん師匠にはずっと出演して頂いてたそうです。学生が呼ぶんですからそんなにたくさん払っていたわけじゃないはずです。けどちゃんと出てくれるところが凄いです。
このめじろ寄席は春に一回秋に一回です。春は襲名、秋は引退。襲名なんてなんだか生意気ですが、大学の落研って結構あるんです。四年間を落語の世界に置き換えるんです。なので3年生になると、襲名します。僕は学習院でも一番名跡(素人に名跡も何もないですが)と言われている目白亭白痴(放送できません)を襲名しました。十一代目です。ちなみにもう一人落語家になった柳家小もんは十二代目の白痴です。
秋は四年生の卒業公演です。この二つのめじろ寄席が僕にとっての擬似落語家体験となりました。「短命」「蒟蒻問答」「あくび指南」「らくだ」とても思い出深い落語ばかりです。最後にやったらくだはみっちり1時間喋りましたからね。その当時は僕の鼻をへし折る人がいなかったのでその気になってやってました。
らくだの思い出
卒業公演でやったこの「らくだ」なんですが、今思うとあれが落語家になったきっかけだったかもしれません。
稽古の段階からなんか感じてたんですね。「らくだ」なんて本職でも大ネタですよ。それを学生がやってるわけですから難しいのは当たり前ですよ。毎日、稽古は楽しいけどとにかく難しくて押しつぶされそうになってるんです。「もう天井に手は届いてる。ここまでは僕の限界だ!」ってところまで稽古してたんです。
いよいよ本番になって、やっぱり自分の稽古でやったことは出せるし、まあ最後という事もあったでしょうけれど、受けるんです。でサゲを言って頭下げて幕が降りて。
そこで思ったんです。
これは一生掛けてやる価値があるぞ。
それまで手の届いていた天井が、パーッとまた上の方に行ったような感じだったんです。つまりもう完璧と思っていた自分の落語が全然まだまだで、もっともっと奥深いんだぞっていうのを、圧倒的な達成感とともに味わっていました。
あの感覚は今でもたまに起きるんですが、とても稽古して挑んだ時なんかにありますね。「出来たー!」と同時に「まだだー!」みたいな不思議な感覚です。
そこから一気に「落語家になりたい」が爆発しました。
それまで漠然と思ってはいましたけど、そこではっきり決めたんですね。
その半年後に正蔵に入門しました。
柳家まみれの学習院落研でなぜ林家か。
その話はまた今度いたします。
落語について、また過去の思い出等を書かせて頂いて、落語の世界に少しでも興味を持ってもらえるような記事を目指しております。もしよろしければサポートお願いいたします。