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有観客落語

最近、無観客落語が多かったので、昨日のお客さんがいる落語はとても新鮮でした。3ヶ月前は当たり前だったことが、新鮮になっちゃうなんてとてもおかしな話ですが、新鮮だったのは間違いありません。

お客がいるのは当たり前ですが、無観客の反対だとすれば有観客ということになるでしょうか。なんだか変な言葉ですね。有観客。。。

現在の落語会は三パターンがあって、いわゆる無観客か、お客を少し入れて生配信もする同時生配信型、そして無観客の生配信。

会場の性質、落語会の性質、いろんなことを加味して決めていくものですから、それぞれの答えがあっていいかと思います。

この3ヶ月は、「足を運ぶことができなくなったお客様のため」という名目の元、何かネットでと必死になってきましたが、少しずつ緩和が進む中、これからは僕ら自身のことも考えて落語会をやらなければならないと思います。

というのも、昨日はお客さんが数人でしたけど、ものすごく尊いことがよく分かったんです。やっぱり無観客の場合は、本当の「落語」にはなってなかったんだということが、やっと分かったようなそんな感じです。

音楽のCDと比較するとわかりますが、音楽の場合はそれようにスタジオに入って録音して作品化します。それが普通のCDですが、中にはライブ音源もあります。ファンの方はこういうのを手にしますね。

落語のCDの場合はどうでしょうか?前者はないんです。基本的にはどこかでやった高座を録音しているライブ音源です。中には、円生百席のようなスタジオ録音がありますが、こちらは「作品として残す」というコンセプトが明確にあるので別物です。

そう、落語はライブなんだってのはそもそも音源が示していて、さらに言えばそこにはお客さんの笑い声や反応をそのまま入れています。お客さんと一緒に作り上げている空間ごと音源にしているわけですね。

お客がいる普通の落語が、本当の落語だということは重々承知していたのですが、僕は生配信でも何かできると信じてやってきました。生配信の良さも十分理解できたのは確かです。だけど、生配信をしたことで、お客さんが目の前にいる普通の落語が、とても素晴らしいことだということを再認識している次第です。

で、ここのところまでは僕たち演者が今必死になっていて、なんとかファンの方に落語をお届けしたいという供給側の話なんです。

考えないといけないのは需要側のこともです。お客さんです。これは自分もそうなので、自分が他のエンタメに行く場合のことを考えていけば良いのかなと。僕は演劇と映画が大好きで、めちゃくちゃ行きたい熱がすごいですが、そういう観客力を今度は考えていきたいです。

落語について、また過去の思い出等を書かせて頂いて、落語の世界に少しでも興味を持ってもらえるような記事を目指しております。もしよろしければサポートお願いいたします。