明るく、元気に一生懸命
「座右の銘は何ですか?」
と聞かれた時にいつも答える言葉があります。
それは、
明るく、元気に一生懸命
この言葉は、先代林家三平師匠の言葉です。落語家にとって一番大切なことをこの言葉が全て表してくれているような気がします。とても当たり前のことなんですが、大事な大事な言葉です。
落語は100%ウケるわけではありません。僕らの世界で、蹴られる(ウケない)と言いますが、完膚なきまでに蹴られることもあります。そんな時はどんどん持ちこんで行くんですよね。
お客さんが怖くなる。自分も怖くなる。芸がどんどん小さくなるんです。僕なんか本当に小心者だからグーっと落ちちゃう。そんな時に思い出す言葉がこの「明るく、元気に一生懸命」です。
高座においてこの言葉以外に必要なことってあるのかしらって思うような言葉ですけど、普段忘れがちな言葉です。
三平師匠が残した言葉はシンプルでとても迫るものがあります。僕が、一門の先輩師匠に伺った言葉は他にもあります。
笑わせる腕になるまで泣く修行
これは弟子の部屋に貼られた紙に書いてあったそうです。これもすごくシンプルですが、修行中には効く言葉ですね。
笑わせるためには泣いて泣いて修行しなきゃいけない。これは、前座でなくとも今の僕にもまだまだ言えることです。お客さんを笑わせるためにもっともっと頑張らなくちゃと思う言葉です。
五七五でリズムも良い言葉です。
そして、最後に紹介するのはこちら。
芸に死し、芸に生きよ、舞台は戦場である
これは、三平師匠が戦争から帰って来てからすぐに書いた言葉だそうです。
芸に死し、芸に生きるというような言葉自体は、昔からあります。名人を評する時にたまに出てくる言葉ですね。
「あの人は芸に死んで、芸に生きたよ。」
なんて。
言われてみたいもんですけど…
三平師匠は、そこに「舞台は戦場である」と足して自分に言い聞かせるように書斎で書いたと聞いています。
以前、NHKで三平師匠が戦争にどのように駆り出されたかを特集する番組がありました。終戦を間近に控えた1945年に三平師匠は九十九里の浜で穴を掘っていたそうです。
当時はその目的を知らされず、ただひたすら「人間が入る大きさの穴を掘れ。」と命令されていたそうです。
もし、アメリカ軍が本土に上陸した時は、爆弾を抱えて穴に入る予定だったそうです。つまり人間地雷ですよね。もし戦争が長引いていたら、そんな信じられないような作戦が決行されていたかもしれないと番組では言ってました。
そんな過酷な戦争を乗り越えた三平師匠が書いた「芸に死し、芸に生きよ、舞台戦場である」という言葉は、重みが違います。
生きるか死ぬかという戦場を乗り越えた先にある言葉です。
今当たり前に出来る落語にもっと感謝しなくちゃなんないですね。
今を大事に高座に向かいたいと思います。
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