経験より体験
コロナになって2回目の秋が来ました。感染者も落ち着いている10月5日現在、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?コロナになって、高座は減りましたが、暇かってえとそうでも無くて日々色々なことに追われています。
というより、自分から色々なことに手を出して勝手に忙しくなっている状況ですね。来年の真打の準備も併せて進めている為、毎日毎日今何をやっているのかわからない時もあります。まだ37歳なんでキャパもまだまだありますから、10円ハゲが出来るまでは頑張ろうと思っています。
ただ、忙しいのにほとんど儲かっていません。すぐにはお金にならないかもしれませんが、いずれ何かの形になればと思っています。
先輩の落語家でとても魅力があって、いわゆる売れている方がどういう風にしてそうなったかを常々考えていて、最近少し分かって来たのが、そういう方は「経験より体験」を重視しているということ。経験ってのは、自分の年齢とか身分のことで、体験ってのは自分がやって来たこと(出来るだけ具体的な方が良い)です。
経験を振りかざす人にはろくな人がいません。俺は何歳だからとか、こういう身分だから、ともすれば「先輩だから」って中二か、って思うような発言をする人にすごい人はいないってことですね。もちろん人より長くやっている、長生きしていることはそれだけで素晴らしいことです。だけど、一流の人はそういうのを口にしません。体験だけ語ります。こういうことがあった、ああいうことがあったと引き出しが多いんです。
それを直接枕にしている人もいますし、何より色々な体験をしている人から語られる話は面白いです。体験ってなんでも良いと思うんです。落語に直接関わってなくても、遊ぶことも立派な体験ですし、僕で言えば子育てや料理や散歩や、普段楽しんでいることはみんな体験です。
とは言いつつも、どこか「落語」に繋がるようにと思って、それを探すこともしています。「落語家あるある」もその形ですね。今は全部種まき状態で、どうにかなっているものはこのあるあるくらいしかありませんが、不思議なもので、アウトプットを増やして時間に追われると、稽古も工夫してやるようになるんです。多分何もしないで家にいたら稽古すらしなくなるんではないでしょうか?
時間に追われているからこそ稽古もその合間を見つけてやる。そういう効果もあって、今はアウトプット野郎になっています。自分の落語自体も最近少し変わって来た感じがします。それはこのアウトプットあってのことだと信じています。
最近みんなに言われます。
「なんか忙しそうにやってるね。」
って。だけど、昔からよく言ったもんです。
「貧乏暇なし。」
お金にはなってませんよ(笑)
これからなれば良いな。
落語について、また過去の思い出等を書かせて頂いて、落語の世界に少しでも興味を持ってもらえるような記事を目指しております。もしよろしければサポートお願いいたします。