見出し画像

大学生の頃のアルバイト

日雇い

大学生の頃は、バイトと落研ばかりでした。場所は忘れちゃいましたが。確か高田馬場に、日雇い斡旋所があったんです。この日雇いは学生専門で、そこに行くと、コの字形の壁一面に、紙が貼ってあって、自分の手帳と照らし合わせて、一日だけのバイトを探すわけです。

夏休み前とかまとまってお金が欲しい時に行ってました。スタジアムの警備とかヤマザキパン工場とか。いくつか行きました。そのあと、大学に出入りしていた日枝神社の宮司さん(なぜこの人が出入りしていたのかわかりませんw)の紹介で、明治記念館で働きました。一ヶ月研修があって、そのあと一ヶ月で辞めました。向いてなかったんですね。

初めて現場に出た披露宴でお客さんの椅子にスープをこぼして、始末書を何枚も書かされ、自分は本当にこういうウエイターとかは無理だなあと思いました。一回目がそういう体験だったので、すぐに行かなくなって結局一ヶ月でやめました。

料理が好きになるきっかけ

一年生の夏休みが明けて、そろそろアルバイトをしなくちゃなあと思っていた頃に、同じ落研の先輩が勤めていた目白のやるき茶屋に紹介してもらいました。僕は接客が苦手だったので、調理場志望でした。ちょうど人員が不足していたみたいで、すぐに入れてくれました。

この調理場では料理長が若かったのもあって、やりたいことをやらせてくれました。初めは揚げ物、それが出来ると炒め物、そして焼き物、サラダ、最後に刺し場。三年半で全部やらせてもらいました。

料理はここでほとんど覚えましたね。なので、基本的なものは大体作れます。ありがたいですね。とりわけ好きだったのは宴会料理。宴会は自由に作らせてもらいました。なのでチャーハンを作るにしてもグランドメニューにないような普段あんまりやらないようなものを作りました。スープチャーハンを作ったときはみんな洗い物が多くなって嫌がってましたけどね。

この店は大学生がよく利用していて、お客さんが満員になって、宴会もあったりするとめちゃくちゃ忙しくなるんです。それこそ料理の伝票が、ずーっと出てきて地面についた時はもうお手上げ状態です。一品一品こなして行く感じで、作ってもホールが回ってないし。とにかく忙しい時は、あがいてもどうにもならないことを覚えました。

ああいう経験はとても役に立ちました。お正月楽屋がどんなに忙しくなっても、あのやるき茶屋の調理場の光景を思いだすとなんとかなりました。

接客は苦手だったんですけど、さすがにずっと調理場も飽きるので、たまにはホールでも働きましたね。このやるき茶屋は「よろこんで!」と掛け声を掛けるのがルールで、この掛け声も随分と慣れた頃、卒業となりました。

今でもこのやるき茶屋のことは思い出します。

数年前に行ったら全く変わってなかったですね。店長が当時社員だった人で、まだ働いててびっくりしました。

青春のバイトです。

店の人も、バイトの子とも、とにかく楽しく毎日やってました。たまにそのまま飲み会やって、朝まで店で過ごすとか、飲みまくっている時期もありました。

良い思い出です。

そのバイトに加えて落研も本気でやってましたので、体力が良く持ったなと思います。

二足の草鞋とも本気で踏み締めたあの大学生の頃、15年後に世界がこうなるとは思ってもいなかったですね。



落語について、また過去の思い出等を書かせて頂いて、落語の世界に少しでも興味を持ってもらえるような記事を目指しております。もしよろしければサポートお願いいたします。