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「数字」による満足感

判断基準は、数値で示せるぐらいシンプルな方が分かりやすい。キン肉マンの超人強度、ドラゴンボールの戦闘力のようなものだ。

フォロワー、いいね、業績、従業員数、株価、収入、年間休日など、世の中には、簡単に比較できるものが多くある。切り口によって、いくらでもマウントが取れる。

現代に限ったことではないだろう。狩りでどれだけ獲れたか、戦での働きによってどれだけ石高が増えたか、いつの時代も「数字」によって、人は満足感を得ているのではないだろうか。

「良い結果=実力」とは限らない

期末試験のように、個人成績がランキング形式で発表される機会があった。たんなる結果発表なのだが、「『良い結果=実力』と判断するのは軽々だな」と思いながら見るようにしている。

実力があるからこそ、悪条件で戦わされていることも少なくないからだ。持たされている荷物が多いなかで、他人の面倒を見ながら、メンタルを壊さずに戦い続けられる。これこそが「真の実力」だと思う。

自分の荷物しか持たず、負担が軽いなかで、結果を出すのはそこまで難しくない。私自身、成績は良かったものの、まわりの負担も知っているだけに、手放しでは喜べない。

結果がすべて…

実力のある人は、総じて言い訳をしない。「分かっている人がいるから、それでいい」といった感じだ。相手の年齢に関係なく、見習いたいところである。

「数字」の威力は凄まじく、まわりは比べて騒いでしまう。同じ土俵に立つなら仕方のないことだ。結果がすべてなのだから…。

数字による争いは、何かの組織に属しているからには、常についてまわるもの。判断のすみわけが「勝ち・負け」「上・下」と二極化すること自体、メンタルに良くない。

そうなると、満足感の軸を自分に置くしかないのだが、それが中々難しい。小さな変化を見つけ、自己肯定感につなげられないのだ。どうしても変化の原因を外に求めてしまう。

「数字」という威力の大きさを日々感じるところである。

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