オタクは心にDV彼氏を飼ってるかもしれない話

 好きなコンテンツが、気が付けば心から応援出来なくなる時がある。一般的には老害と言われるかもしれないそれだが、そもそもなんでそうなってしまうんだろうかと考えてみる。

 好きだったコンテンツが、長年応援を続けていくうちになんか違う、そうじゃないんだよなと思った人もいるんじゃないだろうか。連載初期のころの作風のが好きだったとか、変な売り方するようになったなあ、とかなんかしら違和感が出てくるくらいは実際特に珍しいことでもない。
 普通はそれくらいで楽しみにしてた連載漫画を読むのをやめたりしないし、シリーズモノを追うのをやめたりはしない。なぜならば好きだからだ。しかし、好きだからこそ「このキャラクターなんか発言変わった」とか「このゲームシステム使いにくくなった」とかそういった変化には敏感。旧来の要素が好きだったからこそ「変化」があると「ちょっと待って」となるものだ。なんなら改悪されて二度と読まねえぞ!と思うこともあるだろう。だがそれでも、ボロクソ文句を言いながらもコンテンツからは離れずについていく、だけど文句ばっかり言う……気づけばいわゆる老害となり果てていたりする。嫌いなら離れればいいはずである。でもなぜ離れないのだろうか。

 私はそこに、オタクはDV彼氏を飼っているんじゃないか?と思った。というのも、「一度惚れたコンテンツ」なのでだらだらと付き合っているけれど、そのコンテンツいわば彼氏は乱暴ばっかりするようになる。だけど惚れた弱みというか、一度優しくしてくれた綺麗な思い出があるからいつまでもそれを期待して、しがみついて別れられないんじゃないだろうか……という結論に至ったのだ。
 ごちゃごちゃ言いながらもコンテンツを離れないのは「でもなあ、惚れちまったらついてくしかないもんな」という最初の熱量が残り火としていつまでもくすぶっている。なまじ二回三回と新しい熱量を受け取れてしまうと完全にそれを期待して、例えそのあと何度ぼこぼこにされても「また面白い展開あるかも」という期待からいつまでもいつまでも離れられない。

 もしかしたらそもそも恋に落ちた時の最初の印象が間違ってたかもしれないし、本当にその瞬間から落ちぶれていっただけかもしれない。だけど全然優しくしてこないDV彼氏なんか律儀に構ってやる必要はあるだろうか?いつかっていつだろうか。時にはこちらからガツンと言ってもいいのではないだろうか。

「お前なんてクソ野郎、願い下げだよ!」
自分の中のDV彼氏と決別するのも大事だろう。
放っておいても老害どころか怨霊とか成仏出来ない何かに成り下がってしまうので自分を大事にしよう(雑なまとめ)。

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