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自己紹介③チャネラーになった理由

こんにちは✨

今回は、「孤高なママをニコニコママに、変えるチャネラー」になりたい理由を書かせて頂きたいと思います。

私はママになる前の5年前くらいから「引き寄せマスター」なんじゃね?くらい、願えば叶うルート街道を走っていました。
理想な仕事、理想な結婚相手にも恵まれていました。
しかし最初の子育てで、自分が育児ノイローゼになるとは思っていませんでした。
エンパス気質もあり、赤ちゃんの泣き続ける声がとてもとても辛く、クールなタイプでしたので子守り歌を歌うことにも抵抗があり、全ての行動が中断させられる現象にストレスを感じ…よく泣いていました。
今まで積み上げた仕事のスキルもつわりが原因で退職してしまったので、空っぽになってしまったのを赤ちゃんのせいにもしていました。
子育て支援センターに行くと、他のママ達と会話しますよね…
私はあれが苦手でした。サービス業をやっていたのでコミュニケーション能力は苦手ではないのに、子どもが絡むと急に距離を感じてしまう現象がしばらくつづきました。
めんどくさかった…だけなんです。
私は子どもが家以外でも遊ばせてあげれる場所に行くだけのママだったので、○○ちゃんママ!とか、何ヵ月ですか?かわいいですね…の会話が無理な人でした。

子育てセンターには子どもが行きたがるので仕方なく通い、子育てを苦しく思っていました。
幼稚園、小学校と何年もママ付き合いが続くのか…最悪…。
子育ても初めて。
頼る人も主人だけ。
友人は、遠くなかなか会えません。
誰かと気軽に子育てについて話をしたい…でも群れの中には行きたくない。さらっとした関係がベストな希望なんだけど…
さらっとした人は、さらっとしてるだけに距離を縮めるのは難易度高っ!

そんな私は娘が2歳になる頃、体調が悪くなりました。受診をすると、重症なバセドウ病だと判明しました。遺伝もなかったので、ストレスから来たものだと思います。
眼球がどんどん突出し、鏡をみるのが怖くなり家の中でもグラサンをするようなりました。🕶️❗
自分の顔が別人になり、治らない可能性もあると言われたことが1番ショックでした。
ありがたい事に3年間、薬を飲み続け、現在は眼球突出も治っています。

バセドウ病のおかげで知れたことは
「自分が嫌なことを自分に課せない…私は私が心地良いことをする…」ということです。

私は、子育てセンターが苦手…でも行かなくても娘は可哀想ではない。そう思考を変えたら娘と公園に行くのが楽しくなり、娘も楽しそうな私を見て楽しくなり、その場に居合わせたママに子育てトークが少しできたりと、流れが変わっていきました。

自分でママ友達が煩わしい…と不安のネタを作りあげたのは、過去に蒔いた負の種が花を咲かせたからでした。

負の種が咲かせる花の栄養分は、不安や恐れエネルギーです。
無理やり抜いても、根が残りまた成長します。
まずは、負の種をいつ、どんな時に蒔いたのか?蒔かれたか?を思い出してみてください。
シチュエーションを思い出せたら
負の花に「よく咲いたね、きれいだね。頑張って咲いたんだね…でも、これからはあなたに喜びと感謝のエネルギーをあげるからね。もう大丈夫!」
と願ってみて欲しいんです。
そして、負の花は、次第に愛の花に変わってしまうんです。
わたしは、このワークを何度もやりました。
突出した、変わり果てた目は、いつの間にか治まっていきました。
原因がわからないケースもあります。自分で負の花を根元を残して刈り取ってしまうと、根の部分が更に強くなり更に自分に厳しくなるパターン。実はかなり多いんです。
私はスピリチュアルな視点からお客様が忘れていた記憶や、状況などハイヤーマインドの領域から様々なアドバイスを集めて、お伝えする…という役割をしていきたいのです。既に亡くなられた方からや、お客様を守護をされている存在などからチャネリングをします。
私のチャネリング先はどこの領域か、また次回、記載していきますね。

長い自己紹介を読んで下さりありがとうございました。


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