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【Humanize Voice ~ よしつぐの独り言…】  <バックナンバー 2019年1月-3月>


2019年1月から3月のバックナンバーです!

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コンサルティングとカウンセリング? 
<ヒューマナイズ通信 2019.03.20掲載 一部修正>

 最近、カウンセリング(カウンセラー)とコンサルティング(コンサルタント)の違いについて質問されることがありました。それぞれの言葉の定義もありますが、個人的には「解決する」ことに対しての位置づけが異なるイメージを持っています(私見です)。

 コンサルティングは、問題(課題)を整理し、整理した問題(課題)を解決することに焦点を当てるイメージです。解決することが主題となります。
 一方カウンセリングは、問題(課題)を解決するというよりも、問題(課題)をクリアにすることに焦点を当てるイメージです。解決する・しないは、最初からあまり意識せずに、まずはありのままの状態に目を向け、問題(課題)をクリアにする、向き合うことが主題となります。

 コンサルティングは問題(課題)を整理して解決するために何をすべきかを考えますが、カウンセリングは、ありのままの状態を捉え、解決する・しないに関しても相手やクライアントに任せているようなイメージがあります。どちらが良い・悪いということではなく、どこに焦点を当てているのかは少し違っているのではないでしょうか。

 実際の現場では、厳密に分かれているわけではありませんが、例えばキャリアを支援する領域においても、コンサルティング的なアプローチを好む方もいれば、カウンセリング的なアプローチを好む方もいます。たまに支援者とクライアント、または支援者同士でも噛み合っていない場面に遭遇することがありますが、何を志向するかによってミスマッチが起こる可能性もあります。

 個人的にはまた弊社(ヒューマナイズ)としては、カウンセリング的な視点を大切にしたいといつも考えています。コンサルティング的なサービスを提供する方がビジネス的にはわかりやすく、対価も稼ぎやすいのかもしれませんが、相手の持つ力(解決力)を信じて、まずは問題をクリアにするアプローチを大切にしていきたいですね。

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良くしたいと思っているけれど… 
<ヒューマナイズ通信 2019.03.06掲載 一部修正>

 組織開発のお手伝いをする時に現場で話を聞いていると、いろんな人が「良くしたい、良くなりたい」と思っていながら、その思いや行動が上手く反映されずに、なかなか良くならない場面に遭遇することがあります。

 「良くしたい・良くなりたいと思いながら、良くならない」…様々な状況が考えられますが、一つのパターンとして、良くしたいと思ってやっていることが、その場しのぎで、根本的な解決につながっていないケースがあります。よく言われることですが、緊急時に応急処置的に対応することも仕方がないことですが、それは一時的な火消しや痛み止めでしかなく、結局また問題が起こる、場合によってはさらに大きくなって問題が現れることもあります。

 大切なことですが、一時的に良くなることと、完全に抜け出すことは違うと言えます。

 「良くしたい」という気持ちや思いは悪いことではありませんが、悪いことではないために返ってその気持ちや思いは複雑だったりします。チームのため、組織のため、誰かのため、自分のため…何かのために行動していることですが、人によって考え方・受け取り方は異なっています。目の前で困ったことが起きている時ほど、応急処置的かどうかなど意識せずに、反射的に動いていることがほとんどではないでしょうか。

 しかし、実際には前述の通り、それぞれが「良くしたい」と思いながら、すれ違いが起こっていることが沢山あります。さらに、すれ違いを丁寧に拾えるかどうかで組織(チーム)の雰囲気、メンバーの居心地や意欲がかなり違ってきます。

 「良くしたい」と自分の感覚を大事にしながら、その一方で周りの「良くしたい」と自分の「良くしたい」がどれだけリンクしているのか、動きながら考えることも必要です。たくさんの「良くしたい」という思いや気持ちを消さないためにも、すれ違いを減らす努力を続けることが、チームや組織に活力をもたらすと考えられます。

 今、何をどんな風に「良くしたい」ですか?

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好きなことをする割合を増やす 
<ヒューマナイズ通信 2019.02.20掲載 一部修正>

 就職・転職・独立?を考えている人から、「好きなことを仕事にしたい…、好きなことをして生きていきたい…」と相談を受けることがあります。相談を受けるということは、周りからはそういう風に?見られているのかもしれません(笑)。以前から言ってることですが、個人的には「好きなこと」をしている意識はあまりなく、「好きなことをする」ことよりも「嫌なこと、嫌いなことをしない」ことにパワーを使っているつもりです…映り方は様々ですね。

 「好きなことを…」と相談に来る人の話を聞いていると、偏っている印象を受けることがあります。全てではありませんが、二者択一的な考え方をしていることが多い印象です。「好き、嫌い」「好きなこと=良いこと、嫌いなこと=悪いこと」と分断したり、はっきりしてなくても「好きなこととそれ以外のこと」「興味関心があることとそれ以外のこと」という感じです。極端な場合は「好きなことができなければ、嫌いなことをやらなければならない」という感覚の人もいます。

 日々の暮らしの中では、好きなこともあれば、嫌いなこともあり、また好きでも嫌いでもないことがあるのが通常です。好き・嫌いについても時間の経過と共に変化していくものです。多様化が進む中で、感情・感覚的な部分で、そこまで二極化することはないと思いますが、時々「A or B」的な感覚で相談されると危さを感じることがあります。

 「好きなことを…」という相談を否定するわけではありませんが、「好きなことする」というよりも「好きなことをする時間(割合)を増やす」という感覚が必要だと思います。全部ではなく部分的に増やすという感覚を持って欲しいですね。好きなことで埋め尽くすのではなく、好きなことに費やす時間の割合(嫌いなことから遠ざかる?割合)が少しでも増えると、それだけで変わることは沢山あるように感じます。

 好きなことのために何かを我慢するということではなく、好きなことをする割合(嫌いなことをしない割合)を増やすためにどうすればいいか、長い人生においては、今すぐ好きなことをする割合を増やすだけでなく、将来的なことを含めて考える方がアイデアは出てくるのではないでしょうか。

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生きづらくても、居やすい(居づらくない)場があれば… 
<ヒューマナイズ通信 2019.02.06掲載 一部修正>

 キャリアに関する相談やカウンセリングを実施している場面で(それ以外でも)、「生きづらい・生きづらさ」というフレーズを聞く機会が増えたような気がします。年代関係なく、未成年から高齢者まで、使う状況はそれぞれ異なりますが、「生きづらいんです…」「生きづらさを感じてます…」そんな言葉を聞くことが結構あります。

 生きづらさを緩和することは必要だと思いますが、個人的には、生きづらいと感じることは、ある意味仕方がないことだと考えています。生きる・生きのびるという行為は、何らかの抵抗にさらされるのは必然であり、抵抗の度合いは様々ですが、避けては通れないことだと感じています。生きづらさを肯定しているわけではありませんが、生きている以上、完全に取り除くことはできないと思います。

 完全に取り除けないという前提で考えると、付き合っていく?連れ添っていく?ことも必要であり、そのためには冷静に心を整える場(居場所)が求められます。
 つらさを解決するというよりも、受け止める、受け止めた上で和らげるための一歩を見つけられるような場が存在すると、少し生き生きとできるのではないでしょうか。そのためには「居場所」、「居やすい場、少なくとも居づらくない場」があって、あとは可能性に任せる、委ねるような感覚が必要だと考えています。

 「生きづらい=悪い、ダメだ」ではなく、「生きづらい-(ある意味)仕方がない-居場所が必要」という感覚があると少し前を向けるような感じです。つらさを受け止める・緩和することなく、つらさに鈍感になる、麻痺してしまうことの方が気がかりです。生きづらくても、居やすい(居づらくない)場があれば、希望があると言えます。

 自分なりの居場所がいくつか持てるといいですね。

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立ち位置で変わる創造と破壊? 
<ヒューマナイズ通信 2019.01.23掲載 一部修正>

 改元を控えていることもあり、時代が移り変わっていくような感覚になることが増えています。年末から年始にかけて、「天神ビッグバン」「博多コネクティッド」と呼ばれる福岡の再開発に関するニュースがたくさん流れていました。個人的には、馴染みのビルや施設が取り壊されることを聞くとやはり寂しい感じがします。

 好むと好まざるとにかかわらず、仕事や暮らしの中で絶えず様々な変化にさらされています。個人においても組織においても、受け容れやすい変化もあれば、受け容れにくい変化もあります。何が受け容れやすくて、何が受け容れにくいのかも個性・アイデンティティの一部だと言えます。

 これまであったものを壊して、新しいものを作ることには、一連のプロセス(流れ)があります。流れの中で自分の立ち位置をどこに置くかによって、壊す(破壊)と感じるか、作る(創造)と感じるかが変わるように思われます。過去に重点を置くほど破壊という印象が強くなり、逆に未来に重点を置くほど創造という印象が強くなるのではないでしょうか。

 再開発も新たなものが生み出される一連の流れだと思いますが、それでも個人的には、あまり心躍りません(笑)。変化に対する反応としてよく知られている行動経済学の「プロスペクト理論」では、何かを得ることよりも、何かを失うことに大きく反応すると言われています。
 自分も年齢を重ねて、見聞するものが増えていく中で、ますます得ることよりも失うことに怖れを感じているのかもしれません。

 破壊する・創造するものはハード(モノ、形あるもの)だけでなく、ソフト(コト、マインド、心理的なもの)もあります。未来の姿(目的・ビジョン)が見えていなければ、破壊している(されている)、失っている感情が高まるのも当然のような気がします。

 自分の感情も大切にしつつ、他の立ち位置からはどう見ているのかも関心を示さないと思いつつ…でもやっぱり心躍らないですね(笑)。

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探求そして探究  
<ヒューマナイズ通信 2019.01.09掲載 一部修正>

 今年の弊社のテーマは「探求・探究」。新たなモノ・価値を探し求める探求と、本質を探って見極める探究、それぞれに積極的に取り組んで行きたいと考えております。
(同じ「たんきゅう」でも意味が違う、日本語って難しい、面白いですね。)

 と言いながら個人的な感覚ですが、どちらかと言えば赴くままに新たなものを探し求める探求は好きな領域ですが、本質を深く探っていく探究は苦手な領域かもしれません(笑)。しかし周囲からも探求ばかりでなく、探究を求められる場面もあるので、本音ベースでは「(今まで以上に)探求・(そして少しは)探究」そんな感じで過ごしていきたいです。

 本質を突き詰める探究を進めていく際に、キーワードとして「なぜ」という言葉があります。原因を究明していくために「なぜ」と考えることは大切なことです。しかし場面にもよりますが、「なぜ」と聞かれると、個人的には責められている感覚に陥ることがあります。「なぜ」と聞かれると「何となく」と答える自分がいます(答えになっていませんがw)。その一方で「なぜ」が埋まらないと、動き出せない人や場面もたくさん見てきました。
 「なぜ」は大事ですが、質問する側と質問される側で温度差があると意外と難しい言葉なのかもしれません。

 単純に知りたいことには「なぜ」でいいのかもしれませんが、複雑でわかり合いたいことには「なぜ」よりも「なに」がいいのかもしれません。複雑な関係性や課題が増え続ける中で、「なぜ」以外の言葉で話した方が、本来向き合いたかったこと(もの)に近づけることが増えているのではないでしょうか。

 いずれにしても投げかけた言葉が、投げかけた意味で届いているか、確認することも必要ですね。今まで以上に、一つひとつの言葉や意味を大切にしながら、事業に取り組みたいと考えております。今年もよろしくお願いいたします。

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