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【Humanize Voice ~ よしつぐの独り言…】  <バックナンバー 2016年1月-3月>


2016年1月から3月のバックナンバーです!

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教えることと育てること 
<ヒューマナイズ通信 2016.03.16掲載 一部修正>

 「教える」と「育てる」、人材開発の現場ではよく話題になる言葉(テーマ)です。
 似たような言葉ですが、意味合いはかなり異なります。例えば、あの人(組織)は、教えるレベルは高いけど、育てるのは…、という使い方をすることがあります。

 ここで言う「教える」は、知識やスキルを与えることです。
 職場においても、部下や後輩が困っている場面があれば、やり方や進め方や答えを「教える」ことは、よく見る光景です。

 一方「育てる」は、部下や後輩の成長を考えると、敢えて教えないと言う選択肢もあります。最終的には部下や後輩が自立できる、一人でできるようになるために、教えるだけでなく、見守る、待つなど、相手の状況に応じた手段の選択が必要になります。

 教えるは、教える側が主体で、教える側が「何をしたか」が問われます。
 一方、育てるは、教える側よりも部下や後輩、相手が主体で、相手(部下や後輩)が「どうなった」が問われます。

 多くの現場では、教える人や仕組みは、ある程度整備できるが、育てる人や仕組みが圧倒的に不足している、そんな話題も良く聞きます。マニュアル化やシステム化を図ることで、「教える」ことについては、ある程度整備することも可能ですが、育てることについては、時間や何よりも「覚悟と意志」が必要になります。

 できれば「教えること」と「育てること」については、分けて、それぞれに目標や手段を設定した方が、課題が整理しやすくなります。

 「教える」ことは大切なことです。その上で、皆さんの周りでは、教えることが育てることにどのようにつながってますか?

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変化を常に意識する 
<ヒューマナイズ通信 2016.03.02掲載 一部修正>

 管理職に昇進し部下指導・後輩育成を初めて担当することになった方から、まず最初に何をしたらいいですか?と聞かれることがあります。
 何から手を付け始めるかは、色々な考えがあると思いますが、私の場合は、「変化を記録する」ところからスタートすることをお薦めしています。「変化を記録する」というのは、文字通り変わったところが、「あるか、ないか」を記録することです。

 昨日と比べて、先週と比べて、先月と比べて、メンバー、顧客、市場、職場環境など、数量化できるデータもあれば、そうでないものもあると思いますが、変化を記録する、変化があるならばどのような変化があるのか、変化が無ければ変化なしと、観察して記録することをお薦めします。記録、書き留めるまでしなくても、ふりかえり、内省し、変化を意識するだけでも十分です。

 一般的にマネジメントサイクルは、PDCA(Plan-Do-Check-Action)と言われますが、P-計画を立てるためには、まずは現場の状況を把握していることが必要になります。
 現場の状況を把握しているとは、変化の状況を把握していることでもあります。今、現場でどのような変化が起こっているのか?変化がわかるとこの先の状況も予測しやすくなります。変化が予測できるようになると、将来を見越した計画立案が進めやすくなります。

 勿論、今発生している問題に迅速に対応することも重要ですが、目先の対応に終始していると後手後手に回り、場合によっては疲弊することもあります。どれだけ将来に向けての時間を作ることができるか、そのためには変化を把握することが必要です。

 管理職に限らず、受け身ではなく主体的に取り組む、例えば、言われる前に行動するためには、変化を掴んで予測することが必要です。
 変化を掴むことは、職業人として早い時期から意識的に取り組んで欲しいですね。

 皆さんの周りには、どんな変化がありますか?

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自己分析依存症? 
<ヒューマナイズ通信 2016.02.17掲載 一部修正>

 先日ある企業の人事担当者の方と話している時に、若手社員を育成するために「自己分析依存症?」から解き放たなければ…という話題になりました。
 自己分析が悪いわけではありませんが、自己分析に囚われ過ぎて、自己分析された自分に縛られている?…そんな若手が増えているようです。

 最近は、当然のように就職活動中に、自己分析する機会が多く、良く言えば、自分のことを多少?理解しているようですが、悪く言えば、分析結果に縛られ、何もしないうちから「向いてない、苦手だ」という意識が先に立っていることもあるようです。
 自分の長所・短所、得意・不得意、向き・不向き等をカテゴライズし過ぎて、長所・得意・向いている(と思っている)ものには積極的、逆に短所・不得意・不向き(と思っている)ものは消極的と、極端な反応を示す人もいます。

 若手とはいえ、その本人しかわからない経緯もあるので、一概に不得意な事や苦手な事に取り組めと言うつもりはありませんが、ただできれば一度は、トライして欲しいですね。食わず嫌いではありませんが、苦手だと思っているものを経験した上で、本当かどうかを探り、検証することも必要です。

 正直、学生や若手の方の自己分析結果を聞いていると、アバウトだったり、極端な解釈が入り過ぎているケースもあります(むしろそういうケースの方が多い印象も受けます)。
 あれこれ考え過ぎずに可能性を拡げて欲しい時期に、偏った自己分析の思い込みで機会を見過ごすことは非常にもったいないことです。
 ヒトは生き物なので、時間と共に変わることも沢山あります(勿論、変わらない部分もありますが…)。分析した当時はそうでも、経験を積む中で変わり続け、絶えずバージョンアップしています。特に若手は、その変化の度合いが大きいと言えます。

 やる前から「苦手なので、向いてないので…」と必要以上に自己暗示をかけず、自分に期待して欲しいですね。誰かが下した自己分析結果だけでなく、自分の感覚を!もっと大事にして欲しいですね。

 皆さんは、苦手だと“思い込み”過ぎていた経験はありませんか?

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「違い」の存在 
<ヒューマナイズ通信 2016.02.03掲載 一部修正>

 先日、東京から福岡へお越しになった方が、福岡の印象について面白い話をされていました。彼は、中央省庁で働いている人で、「福岡は元気があって、住みやすくて、恵まれた街ではあるけど、反面、わがままと言うか、利己的な感じがする」と話し始めました。

 最初は、よくわからない感じでしたが、彼の言葉を拾い上げると「福岡の人は、福岡のことしか考えていない、福岡さえ良ければ…そんな感じがする」「地元・地域の利益だけで、日本・世界、もっと言えば世の中の流れについてもあまり考えていない感じがする」「隣県、九州の他県のことなども考えていない」など、初対面の方だったのですが、少し話を聞いてると、急に堰を切ったように話してこられました。

 彼がどんな心理状態だったかはわかりませんが、急に感情的に話し始めたので、面食らってました(笑)
 彼の話の内容は、極端な感じで、納得できない部分もありましたが、ただ外から見える福岡の姿は、彼が言っているような面も一部あるかもしれません。

 福岡は比較的明るい話題も多く、周りから見ると恵まれているイメージがあるのかもしれません。そこに居る人はあまり感じてなくても、周囲からは妬みも含め、マイナスの感情で評価されているかもしれません。

 個人間や組織間でもそうですが、改めていろいろな見方、捉え方があると感じました。見方、捉え方に、正解や間違いがあるのではなく、「違い」があるだけです。しかし「違い」に対するケアを怠ると、最初は小さなマイナスの感情もやがて大きな感情となって押し寄せてくることもあります。

 違う意見に同調する必要はありませんが、違う意見の存在を認識することが、様々な場面で必要になるのではないでしょうか。
 皆さんの周りにはどんな小さな違いが存在していますか?

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「盲点の窓」に寛容に? 
<ヒューマナイズ通信 2016.01.20掲載 一部修正>

 先日、新卒で入社した会社の同期だった方と久しぶりに再会した時に「そういえば、遺体運搬係って言われてたよね…」という会話になりました。
 何のことかと思われますが、同期で飲んでいる時に酔いつぶれたメンバーを寮まで送る(運ぶ)のが私の役割だったので、送り届ける係?としてそう呼ばれることがありました。

 またその前は「ケツモチ」と言われることもありました。
 暴走族の用語?の一つで、一番最後に走って仲間を逃がす役割のことです。先頭を走るわけでもなく、後押しするわけでもなく、食い止める、時間を稼ぐ役割ですかね(ちなみに暴走族経験者ではありませんので、念のため)。

 自分自身ではあまりそう思わなくとも、周りから様々な見方をされることがあります。実際の自分自身はどうかはわかりませんが、しかし周りから見られている自分も自分(自分の一部)です。

 心理学でよく使用される「ジョハリの窓」では、四つの領域に分類してコミュケーションの状態を探ります。
 「開放の窓」 自分も他人も知っている自己
 「盲点の窓」 自分は気がついていないが、他人は知っている自己
 「秘密の窓」 自分は知っているが、他人は気づいていない自己
 「未知の窓」 誰からもまだ知られていない自己

 自己と他者のイメージが一致している「開放の窓」が拡がれば、より円滑なコミュニケーションが図れるという考え方ですが、コミュニケーションに長けている人や組織では、「開放の窓」を拡げると言うよりも、他の窓を狭めることによって、結果「開放の窓」が拡がっているような感じです。

 誰かに理解してもらいたいと思うと自己開示に力が入ることがありますが、時と場合によっては、非常にストレスがかかり、返ってコミュニケーションが停滞することがあります。むしろ他者の抱くイメージを「そういう見方もあるよね」と受け入れていくことからスタートした方が円滑にいくことが多いのではないでしょうか。
 コミュケーションに長けている人や組織は、「盲点の窓」に寛容な印象を受けます(私自身は、あまり寛容ではありませんが(笑))。

 皆さんは日頃どんなイメージを持たれていますか?

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成功や失敗に囚われすぎずに… 
<ヒューマナイズ通信 2016.01.06掲載 一部修正>

 今年の弊社のテーマは「一心・丁寧」。

 1996年3月に設立した弊社は、この春20周年を迎えることになります。その他にも、色々節目を迎える一年になります。これまでのご縁に感謝しつつ、今できることに一心・丁寧に取り組んでいきたいと考えています。本年もよろしくお願い申し上げます。

 個人的な話で恐縮ですが、今年わが家は、お正月の状況が一変しました。二人の子供が社会人になり、さらにもう一人は受験生だったこともあり、元旦から勤務だったり、模試だったりと慌ただしい感じでした。またこの年末年始は、仕事とは直接関係ない?相談を受ける機会がたくさんありました。
 子供が成長するに連れてかどうかはわかりませんが、学校、大学、会社に行けなくなった本人やその親御さんからの相談が不思議と重なっていました(そういうわが家もその昔?学校に行けない子がいましたが(笑))。

 そのほとんどは、メンタルな理由が多いわけですが、改めて行きたい(参加したい)という意思はあるものの上手く適応できず、行けない(参加できない)人が、思っている以上に身近に沢山存在することを実感しました。そしてその多くは、何か大きなトラブルがあったというよりも、少しずつ塵が溜って気が付くと重くて動けない…そんな感じでした(新年早々暗い感じですみません)。

 相談と言っても、何かアドバイスするわけでもなく(できるわけでもなく)、話を聞いていることがほとんどですが、頻繁に出てくるキーワードがあります。それは「成功」と「失敗」という言葉です。上手く行っていない時ほど、成功や失敗という言葉やイメージに囚われ過ぎて、動けなくなっているようです。

 成功の反対は失敗ですが、「成功しないこと=失敗」「失敗しないこと=成功」ではありません。むしろ、その間で彷徨っているのがほとんどではないでしょうか。個人的な考えですが、成功も失敗も瞬間的な評価はあると思いますが、その評価も瞬時に変化します。成功か失敗かは、いつまで経ってもわからないような気がします。いつも成功も失敗もするし、いつも成功も失敗もしていないというのが自然な状態ではないでしょうか。

 「成功しなくては…、成功するための…、失敗しない…」、成功や失敗という言葉に踊らされるのではなく、成功や失敗をあまり気にせずに、伸び伸びと自然に動けるような場を作っていきたいですね。

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