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【Humanize Voice ~ よしつぐの独り言…】  <バックナンバー 2018年10月-12月>


2018年10月から12月のバックナンバーです!

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学びほぐし・アンラーニングを進めるために 
<ヒューマナイズ通信 2018.12.19掲載 一部修正>

 2018年、弊社のテーマは「学びほぐし・アンラーニング」でした。既得の思考・習慣に囚われず、新たな価値を追求したいという思いを込めたテーマでした。
 新たに経営に参加する機会があったり、その一方で長年続けたものを中止することを決断したり、それなりにアクセントのある一年だったような気がします。

 哲学者の鶴見俊輔氏は、学びほぐし・アンラーニングについて、「型どおりにセーターを編み、ほどいて元の毛糸にもどして自分の体に合わせて編みなおす」ことだと言っています。自分自身もそうですが、新たな価値を生み出すためには、これまで得たものを手放し(ほどき)ながら、編み直すことが必要だと年々実感しています。

 「学びほぐしやアンラーニング」も面白いもので、色んな人と話していると、こだわり(偏り?)を感じることがあります。「手放す」ことに重きを置いている人もいれば、「編み直す」ことに重きを置いている人もいます。手放す(崩す)ことが苦手な人もいれば、編み直すことが苦手な人もいるようです。「手放す(崩す)」ことに期待や不安を持つ人もいれば、「編み直す」ことに期待や不安を持つ人もいるような感じです。

 組織(チーム)が継続的に成長していくためには、ラーニングとアンラーニングのサイクルを回していくことが必要だと言われていますが、こだわりの違いもアンラーニングを難しくしている一因になのかもしれません。また個人レベルにおいても、特に自分の中の何かを崩すことは、経験があればあるほど難しく、勇気・覚悟が必要です。

 手放すこと、編み直すことを勇気や覚悟を持って進めていくためには、自分や他人(周囲)を信じる・信じてみることがベースであり、不安を上回る期待がなければ、なかなか行動できないような気がします。
 自分や他人(周囲)を信じることができる、期待することができる、そういう場をつくることにもっともっと貢献していきたいですね。

 来年も引き続きよろしくお願い申し上げます。良いお年を!

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改めて「なおそうとするな、わかろうとせよ」 
<ヒューマナイズ通信 2018.12.05掲載 一部修正>

 「なおそうとするな、わかろうとせよ」という言葉があります。カウンセリング・マインドを表す代表的な言葉です。目の前にいる人の話を「ありのままを聴く」ということはシンプルですが深いテーマです。

 先日、キャリアコンサルタント養成講座をお手伝いする機会がありました。お手伝いするにあたり、改めて国家資格となってからのキャリアコンサルタントの動向や受験講座、更新講習などで使用される資料を含め、色々調べてみました。たくさんの教材や資料を見ていく中で、何とも言えない違和感、昔と比べると?少し進行が速いのではと感じることがありました。

 進行が速いというのは、相手(クライアント)の持つ問題を「当てにいっている」印象を受けました(あくまでも個人的な感覚です)。カウンセリングを進める中で、予測することは当然必要ですが、相手(クライアント)の話は一通り聴いた上で、原因を探ろう、特定しよう、そして解決しようという流れが強い印象を受けました。予測やヒアリングの方法もノウハウが蓄積されている分、進め方は安定しているようですが、もう少し待ってもいいのではと感じる場面がかなりありました。

 「(できるだけ早く)わかろうとして、そしてなおそうとしている」感じでしょうか。このあたりは、携わる方々の価値観によって異なると思います…しかし、微妙な感じです(笑)。

 カウンセリングに限らず、「わかろう」とする気持ちも、もしかしたら何かを速めているのかもしれません。相手を理解する、わかろうとする、関心を持つことは勿論必要ですが、「ありのまま」とは少し異なるのかもしれません。
 意識せずに「ありのまま聴く」、聴くだけでなく観ることも含め、「ありのまま捉える」ことからクリアになる問題もたくさんあります。
 「ありのまま」…深いですね。

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教える?育てる? 
<ヒューマナイズ通信 2018.11.21掲載 一部修正>

 最近、指導員やメンターの方々の研修を行う機会がありました。新卒の採用が厳しくなる中で、貴重な若手を大切に育てることへの関心が高まり、以前と比べると指導員制度やメンター制度も含め、若手を丁寧に育てようとする動きが増えているように感じます。

 しかし現場では、指導員やメンターと呼ばれる方々が、熱心に取り組んでいながら、逆に新人や若手の方々が窮屈そうにしている場面を見ることがあります。良かれと思って面倒を見ていることが、行き過ぎて?過剰になっていたり過保護・過干渉になっていることもあるようです。目が行き届きすぎて、失敗しない、失敗から学ぶ経験が積みにくい、新人・若手のメンバーからすれば、自由度が少なくなっていることもあるようです。

 指導員やメンターの研修で、いつも最初に確認するのは「教育」をどう捉えるかという点です。教育には「教える」と「育てる」という二つの側面があります。
 新人や若手に丁寧に対応しようと考え過ぎて、「教える」ことが手段ではなく目的化していることがあります。丁寧にしようと思えば思うほど、気になって何かしてしまう…「教える」ことが得意、自信がある人ほど、益々偏っていくケースもあります。

 「教える」ことは悪いことではありませんが、「何のために…」を再確認する必要があります。困っている新人・若手を見て、「教える」という技を振りかざすのではなく、育っているかを確認することは大切な視点です。

 個人的には、「教育」という言葉そのものがあまり好きではありません(笑)。「教える」「育てる」どちらも教える側・育てる側のコントロールを感じることがあります。教えるでも育てるでもなく、「育つ」という感覚が好きです。
 本来は、何もしなくても?ある程度は育つはずなので、「育つためにはどうすればいいか」を考えたいですね。

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働くことよりも生きることを 
<ヒューマナイズ通信 2018.11.07掲載 一部修正>

 来年は元号が変わることもあり、最近は「平成最後の…」という言葉を聞く機会が増えています。
 平成元年に大学を卒業し、社会人デビューを果たしたので、丁度30年働いている?ことになります。日頃あまり意識していませんが、平成の30年間ずっとヒトや組織に関する仕事に携わっていることを考えると歴史を感じます(笑)

 しかし、これまで何度か仕事を続けることを諦めるような危機に遭遇しました。一番最初の危機は、入社間もない今頃の時期でした。30年前、平成元年10月に父親が急死しました。父は40代半ばで、年商数億規模の塗装店を経営していました。母も40代半ば、弟は中学校に入学したばかりで、突然の出来事に家族も不安定な状況に陥りました。
 当時私は、大学を卒業してそのまま東京で就職し、企業内教育をお手伝いする仕事を始めていました。入社後半年が経過し、ようやく受注もできるようになり、仕事のイメージがわかり始めた時期でしたが、取り巻く状況が急変し、様々な決断を迫られることになりました。

 とにかくまずは家族を落ち着かせたい、そのためには会社を辞めることになるかもしれないが福岡に帰ろう、しかし塗装店を続ける意志はなかったので従業員の方々や事業を引き継いでもらえるところを探そう…そんな感じでした。
 わからないことばかりでしたが、とりあえず可能性があることに着手して、何とか落ち着いた暮らし?を取り戻す、それだけを考えていました。シンプルに「生活すること・生きること」に集中していたような気がします。

 結果的には、入社した会社で異例の転勤となり、そのまま同じ会社で勤務することができました。また父が経営していた塗装店も従業員の方々も含め全て引き受けていただける会社が見つかり、会社を清算することができました。バタバタしている姿を見て、たくさんの方々に手を差し伸べていただきました。有り難いですね。

 世の中は絶えず変化し、自分の思いとは関係なく、良いことも悪いことも含め様々な出来事が起こります。「どんな仕事をするか」「どんな組織(企業)で働くか」は、大切なテーマではありますが、その時々の手段の一つのような気がします。「働くこと、就職すること」よりもまずは「生きること」に真剣でありたい(あって欲しい)ですね。
 「どんな仕事、働き方をするか」も大切ですが、「どんな生き方をするか」をもっと大切にしたいですね。

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アイデア創出と安全・安心な場? 
<ヒューマナイズ通信 2018.10.17掲載 一部修正>

 この「独り言」の内容を考える時もそうですが、どうしてもアイデアが思い浮かばないことがあります。考えれば考えるほどイライラして?、さらにアイデア不足に陥ることもあります(あくまでも個人的な話です)。

 仕事の場面に限らずアイデア不足に陥る場面で共通しているのは、シンプルに活動量が少ない状態の時が多いと感じています。あまり動いていなかったり、話していなかったり、動いてはいるもののこれまでと同じことばかりを繰り返していたり…やはり刺激が少ないとアイデアは生まれにくいのかもしれません。
 アイデアはじっくり考えて生まれるものと言うよりも、何らかの刺激を受けてその反応で出てくるもの、静的な状態よりも動的な状態の時に生まれやすく、しかし動的すぎると集中できない…(単にわがままなのかもしれません)個人的にはそんな感じです。実際は、刺激を受けながら、整理する時間も必要なので動的・静的、どちらも必要であり、一人ひとりに合ったバランスがあるように思われます。

 少し話は変わりますが、様々な場づくりをお手伝いする中で「安全・安心な場」が大切だと言われます。安全・安心な状態でなければ、発言や提案、思っていること等を表現しにくいと言われます。確かに安全・安心であることは必要だと思いますが、そこに居続けると、「安全・安心である」ことの感覚も薄らいだり、麻痺したりするのではないでしょうか。「安全・安心である」と思い込み過ぎると、既に安全・安心ではないのかもしれません。

 安全・安心な状態を健全に維持していくためには、あえて安全・安心を少し崩したり、少しその場から離れたりすることも必要です。ただ単に守るのではなく、そこを超えていく、もっと異なる次元のものを目指していくような感覚も必要です。「安全・安心でなければ本当に意見が出ないのか」、「そもそも安全・安心とはどんな状態か」そんな問いかけも必要かもしれません。

 どのような環境に身を置くか、アイデアの創出に限らず、大事なテーマですね。

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やりたいこと・求められること 
<ヒューマナイズ通信 2018.10.03掲載 一部修正>

 個人的な感覚ですが、仕事が停滞する、流れが悪くなる一因として、「求められること」と「やりたいこと」のずれが大きくなることが挙げられます。

 誰かから「求められること」、期待されること、依頼されることは、とても有難いことですが、「やりたいこと」と必ずしも一致しているわけではありません。むしろ、やればやるほど、自らの思考・能力・キャパシティ等も含め乖離していく、そんな場面もあります。

 自分自身「やりたいこと」を明確に持っているタイプではありません。むしろ仕事柄、誰かに役に立ちたいと(多少)考えていますので、「求められること」に応えていくことも、「やりたいこと」の一つでもあります。「やりたいこと」と「求められること」はそれぞれ別々ではなく、重なりが大きかったり小さかったり、強かったり弱かったりするものだと考えられます。

 しかし、仕事だけでなくワークライフ全体で「求められること」が積み重なると、できない言い訳も含め、「やりたいこと(やりたくないこと)」を急に考え始めたりします(笑)。求められることが増え続ける中で、改めてやりたいこと(やりたくないこと)の輪郭がはっきりしていく、そんな感じでしょうか。
 そういう意味ではある程度「ずれ」は必要で、乖離しては統合し、また乖離しては統合するような波があります。波があることで改めて発見することがあります。

 「やりたことが見つからない、やりたいことが無いので困っている…」と言われることもありますが、全く無いのではなくて、はっきりしていないことがほとんどです。はっきりするまで待つというのも有りだと思いますし、そもそも「やりたいこと」が無くても問題ないような気がします(笑)。やりたいことをやって充実感を感じることもあれば、求められることに応えて充実感を感じることもあります。どこで充実感を感じるかも個性であり、またその時々の状況によって異なるような気がします。
 大事なことは「やりたいこと」「求められること」そのものではく、「やりたいこと」「求められること」と自分がどんな関係性(つながり)を持っていたいかではないでしょうか。

 と言いながら、恐らく本当に充実している時は、「やりたいこと」や「求められること」を考えずに無意識に集中している時だと思います。ふと気が付くと結構やりたいことできてた…そんな時間を過ごしたいですね。

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