【Humanize Voice ~ よしつぐの独り言…】 <バックナンバー 2017年10月-12月>
2017年10月から12月のバックナンバーです!
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「繊細さ」と「潔さ」と
<ヒューマナイズ通信 2017.12.20掲載 一部修正>
今年は「進歩」をテーマに一年を歩んできました。愚直に歩を進めることを意識しながら、新たな取り組みも含め、本当に数多くの機会をいただきました。
たくさんの機会をいただく中で、相変わらず「何の仕事をしてるの?」と質問されることがありますが、自分自身でもわかりません(笑)。大括りでは、サービス業だと言えますし、ヒトや組織の困りごとの解決に取り組んでいるという感じでしょうか。
いずれにしても形が無いものを手がける中で、改めて「繊細さ」と「潔さ」が必要だと感じています。満足が得られるようなサービスを生み出していくためには、お客様や依頼主の期待、不安・不満を汲み取りながら、場合によっては、お客様や依頼主も明確にイメージできていないものを削り落としながら、繊細に形を作り出しいく…そんな感覚も必要です。
相手のニーズを汲み取ろうとする一方で、お客様や依頼主が複数いれば、人数分の考え方や価値観が存在するわけで、すべてに対応できるわけでもありません。どこかで完璧には対応できないと言う前向きな諦め、区切りと言う感じの潔さも必要になります。
よく「お客様の立場に立って、相手の立場に立って」と言われます。相手の立場に立って、できるだけ繊細に考えることは勿論必要ですが、どこかで完璧に相手のことが全てわかるわけではない、わかるところもあればわからないところもある、と言った潔さも必要です。
サービスを生み出して行くということは、繊細に考え、潔く決断して、また相手の反応を見ながら繊細に、潔く…というサイクルを深く、早く回すことが必要ではないでしょうか。
「理解してもらえない」「わかってもらえない」と思うこともありますが、よく見ると、理解して(わかって)もらっている部分とそうでない部分があるということだと思います。
それぞれの“部分”を大切にしたいですね。
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誰のための教育なのか?
<ヒューマナイズ通信 2017.12.06掲載 一部修正>
来年4月、福岡市認定保育園として開園する「りんごの花保育園」の工事も急ピッチで進んでいます。理事としてかかわることになってから、沢山の方々からアドバイスをいただきました。「○○教育はいいよ」「○○保育園のやり方はいいよ」、本当に様々な方面からアドバイスをいただいております。
立場的に保育の現場に立つわけではなく、経営を多少?サポートする役割なので、熱心に語られる教育論・教育法など保育のコンテンツの話についていけないこともありますが、改めて周囲には、幼児教育に興味・関心・熱意がある方がたくさんいることを実感しました。
その一方で(素直ではない私は)、「○○教育は子供(幼児)に良い」と言われると少し違和感を覚えることがあります。アドバイスいただいた方が全てそうだという訳ではありませんが、子供に良いと言いながら、ただ単に大人が良いと思って(思い込んで)薦めている印象を受けることもあります。子供に良いかどうかと言うよりも大人が受けさせたい教育(方法)、そんな印象を受けることがあります。それが悪いと言うことではありませんが、本当に子どもにとって良いかどうかは大人が決めるものではないような気がします。
もっと言えば、子供に良いといいながら、「子供」は集合体ではないので、一人ひとりの顔を見なければ、教育法・教育論?のコンテンツが良いかどうかもわからないのではないでしょうか。一人ひとり違いがあるので、「○○ちゃん」に良いかどうか、さらには「今の○○ちゃん」に良いかどうか、そういう感覚が必要だと感じています。
改めて自分自身の関心が高い領域は、教育法や教育論といったコンテンツではなく、教育や学習を提供する「環境」が大きいんだなと自覚する機会でもありました(笑)
リアルな保育の現場では様々な課題が存在します。現場に立つ方々が安心して働ける環境づくりをお手伝いすることが自分自身の役割だと考えています。子供と真正面に対峙する現場の方々が、子供たち一人ひとりの顔をしっかりと見ることができるようにサポートしていきたいですね。
引き続き温かいご支援をよろしくお願いします。
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ふと生まれてきた思いを大切に
<ヒューマナイズ通信 2017.11.15掲載 一部修正>
今年も九州各地で仕事をさせていただく機会がありました。全てではありませんが、人口や人の流れを見ていると、九州エリアでは福岡への一極集中は進んでいる感じです。
そんな中で、福岡以外の地域で新しいプロジェクトの提案をする際に、たまにネガティブな?反応をいただくことがあります。代表的なものは「福岡(福岡という場所、マーケット)ではできるかもしれませんが、ここでは難しいですね…」という反応です。地域性の違いを心配され、実現可能性が低いと感じた場合のごく普通の反応です。
また福岡で実施した事例を紹介した後に、よく聞かれる質問が「ここ(福岡以外のこの地域)で、できますかね?」という質問です。
基本的に私の返答はだいたい決まってます。「できるかもしれませんし、できないかもしれません。やってみないとわからないですね…」(適当ですみません)。また続けて「どこかで始めてみないと、将来的にできるかどうかの判断もつきませんし、いつまで経ってもできるようにならないですね…」と答えることがほとんどです。
初めての取り組むことには様々なストレスもあります。実際やっても、やらなくてもリスクはあります。やってみたけど上手くいかないと言うリスクもあれば、やってみないといつまで経ってもできない(できるかどうかの判断もつかない)と言うリスクもあります。
二つのリスクのどちらを取るかということだと思います。
決して何でもかんでもやることを勧めているわけではありません。むしろ個人的には、将来的なことも含め、できなくてもリスクが少ないことは、無理にやる必要もないと考えています。
そう言いながら現場では明らかに無理だろう?と思われる課題を振られることもあります(笑)。実際巻き込まれるかどうかは別として、ふと思いつく「こうしたら“少し”できるかも…」「もしかしたら“この位は”できるかも」そんなアイデアは大切にしています。
すぐに実行に移さなくとも少し先を見据えながら、ふと生まれてきた思いつきやアイデアは、大事にしたいですね。
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無数の線に囲まれて…
<ヒューマナイズ通信 2017.11.01掲載 一部修正>
ヒトや組織の周りには、無数の“線(仕切り)”が存在します。
組織がスタートした時には、役割や担当があまり明確でないままに進められることがありますが、やがて組織が少し大きくなると、役割・担当・部署名などが付けられることがほとんどです。
悪い意味ではなく、営業部が誕生した瞬間に、営業部と営業部以外の線(仕切り)が生まれます。また、幹部・経営陣と言った瞬間に、幹部・経営陣とそれ以外のメンバーという線が生まれます。○○と言った瞬間に、○○と○○以外という線が発生します。
線(仕切り)が個人や組織の行動に影響を与えるか(与えやすいか)は様々ですが、我々の周りには絶えず無数の線が引かれています。
線があることで、居場所が確保され居心地が良いと思うこともあれば、逆に線があることで隔離・疎外され居心地が悪いと感じることもあります。線(仕切り)の引き方によって、居心地が大きく変わり、当然モチベーションやパフォーマンスも変わってきます。
線を引くことは悪いことではなく、日常的なことです。誰もが日々、意識的にまた無意識に線を引きながら過ごしていますし、線を引くことで、守っているものもたくさんあるのではないでしょうか。
組織を活性化させる方法の一つとして線を存在を確認しながら、線を加えたり、外したり、引き直すという方法があります。手を加えなくとも、無数に存在する線の存在を確かめながら、組織体の目的に貢献する線なのかどうかを絶えず検討するだけでも組織の雰囲気や活力は変わります。組織開発の仕事の一つは線を見直すことだと考えています。
仕事に限らず日々の暮らしの中でも無数の線が存在します。
当たり前に存在する線を当たり前と思わずに意識できるか…組織運営の大切なテーマですね。
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いつも新鮮に興味・関心を持ちたい
<ヒューマナイズ通信 2017.10.18掲載 一部修正>
仕事柄?企画書や提案書を作成する機会が多いわけですが、キーワードとして使用したいワードやフレーズがあると、急に日々の生活の中でもそのワードやフレーズが気になったり、目に付くようになることがあります。ネットや雑誌や新聞を見ていても、また誰かが話している時も、急にそのワードやフレーズが飛び込んでくることがあります。
仕事だけではなく生活の中でも、急に何かが気になり始めることがあります。例えば、子供が産まれる前後では、妊婦の方や赤ちゃんや子連れで歩いている人が急に気になり始めます。子供が大きくなると、その都度同年代(小学生、中学生、高校生、大学生、社会人…)のことが気になり始めます。また家族・親戚の看護や介護をしていると、同じようなことが起こります。
改めて日頃、自分が見たり、聞いたり、認識しているものは、全体の一部、切り取った部分だけだと感じます。いつの時代も赤ちゃんや子供はいるわけですが、興味や関心の有無によって捉え方が異なります。自分事=子供を持つ立場になると、急に全体の中からクローズアップされて見えてくると言う感覚ではないでしょうか?
興味や関心がある情報は自然と飛び込んできますが、そうでない情報は、ほとんどスルーしているのではないでしょうか。一部しか認識できていないことは、悪いことではなく、ごくごく普通のことです。ポジティブに捉えれば、まだまだ「そこにあるのに、気づいていないもの(気づかなくなったもの)」が沢山あると言えます。
何か新しいことを始めるために環境(周囲)を変えることも必要かもしれませんが、これまでと違うこと・異なることに興味・関心を持つことで、新たに感じ取れる情報やチャンスもたくさんあるはずです。チャンスが無いのではなく、チャンスが見えてないだけかもしれません。
色んなことに新鮮に興味・関心を持ちたいですね。
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行ったり来たり、行き来すること
<ヒューマナイズ通信 2017.10.04掲載 一部修正>
組織開発のお手伝いをしていると、同じことを考えながら対立が生じる場面に遭遇することがあります。例えば、「組織を守りたい」という思いで、「新しいものを導入したい→できるだけ古いものを排除したい」と考える立場の人がいる一方で、同じように「組織を守りたい」という思いで、「伝統を守りたい→できるだけ新しいものを排除したい」と考える立場の人がいることがあります。
「組織を守る」という思いは同じでありながら、方向性に違いによって対立が生じることは、多かれ少なかれよくあることです。その対立が徐々に大きくなり、二者択一的になり、さらに一方が他方を排除するような動きが強くなると組織そのものが息苦しくなります。
息苦しさを打破するためには、両者の間を“行き来”することが重要です。多角的な視点でとよく言いますが、異なる視点で物事を捉えることはとても大切なことです。マクロとミクロ、森(全体)と木(細部)、社内と社外、作り手と受け手、一つ上のポジションや一つ下のポジションなど、様々な視点から捉えることが、息苦しさから解放される第一歩だと思われます。
行き来することの質を高めるためには、スピードを上げることとストロークを拡げることが求められます。スピードを上げるとは、行ったり来たりと言う通り、頻繁に、細目に異なる立場で考えることです。一方、ストロークを拡げるとは、行き来の振り幅を大きくすることで、より深く異なる立場で考えることです。スピードとストロークを意識すると行き来の質が高まります。
一方が他方を排除すると瞬間的に問題や痛みが消えるのかもしれませんが、本質的な部分では何も変わらないような気もします。異なる価値観を持つ人が集まって組織を形成することを考えると、組織内・外いずれにおいても行き来すること、行き来する人材が大切です。
皆さんはどこを行き来してますか?
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