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【Humanize Voice ~ よしつぐの独り言…】  <バックナンバー 2017年1月-3月>

2017年1月から3月のバックナンバーです!

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無意識で夢中になれる時間を! 
<ヒューマナイズ通信 2017.03.15掲載 一部修正>

 こだわりを表現する時に、ナンバーワンやオンリーワンという表現を使用することがあります。個人でも集団(組織)においても、確固たる存在意義を示すために、○○分野でナンバーワンになりたい、オンリーワンになりたいと考えることはよくあることです。

 目標を持って、ナンバーワン、オンリーワンを目指すことは、わかりやすいことです。しかし、ナンバーワン、オンリーワンに執着し過ぎたり、目標ではなく目的となると盲目的になることもあります。誰か・何かとの比較が行き過ぎると、うまくいかない時には「妬み、嫉み、僻み」といった感情に支配される行動が増えることもあります。他者との違いを見出すために、誰かや周りのできてないこと、欠点探しに多くの時間を使うようになるとまさに本末転倒です。

 永くナンバーワン、オンリーワンを続けているヒト(組織)は、むしろナンバーワンやオンリーワンのことをあまり意識していない印象を受けます。ナンバーワンになるために何かをする、オンリーワンであるために何かをする、という考え方ではなく、思い描いたことに夢中になって取り組んだ結果、ナンバーワン・オンリーワンになっていた…そんな感じです。

 勿論、短期的に確固たるポジションを築くためには、綿密に計画を立て、意識を持って取り組むことが効果的です。しかし永年にわたって、例えばメンバーが世代交代してもその地位を保っているような場合では、意識的というよりも普段のこととして、無意識で…取り組んでいることが多いのではないでしょうか。

 個人でも組織レベルでもこだわりや長所を見出す時には、比較から入ることが多いと思いますが、比較するという意識が抜け落ちて、思わず取り組んでいたことに注目できるようになると理想的なこだわりを表現できるのではないでしょうか。
 思わず夢中になる、夢中になれることも、素敵な才能です。そんな夢中になれる時間を一日・一か月・一年の中で、少しでも長く持てるといいですね。

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ここでできること、ここで得られること 
<ヒューマナイズ通信 2017.03.01掲載 一部修正>

 かなり昔の話になりますが、大学を卒業して7年間、日本マンパワーという会社に勤めていました。7年のうち、半年間は本社勤務、残りの6年半は福岡勤務、いわゆる支社(支店)勤務でした。個人的な事情も勘案していただき支社(支店)勤務となったわけですが、自分にとっては仕事・ビジネスを覚えるのにとても適した環境でした。
 そこでの経験が無ければ、独立していなかったと思います。

 支社(支店)は、本社と比べると分業体制が確立しているわけではありません。営業だけをやるわけにはいかず、事務的な業務もある程度は担当する必要がありました。当時の営業担当者の中では事務フローや業務システムについてかなり詳しかったと思います。一連の業務をこなすうちに、よりビジネス全体の流れが見えるようになりました。

 また、市場も本社(東京)に比べると小さいため、より幅広い顧客(見込み客も含め)を開拓しなければなりません。大手企業から中小企業まで、興味を持ってもらうためには、より多くの準備が必要でした。インターネットも無い時代だったので、調べることにも時間がかかっていましたが、その分しっかり知識としてインプットできたような気がします。

 勿論本社でそのまま勤務していると、違うメリットも沢山あったと思います。ただ地方で働く、小規模のチーム、市場(マーケット)で経験を積む機会があったからこそ、得られたものが自分の場合はたくさんありました。

 仕事柄?独立したいという相談を受けることがよくあります。チャレンジすることは素晴らしいことだと思いますが、一般的にマーケットが小さい市場で、また限られた専門分野だけで挑戦しようとすると、苦戦することもあります(苦戦が悪いわけでもありませんが)。どの分野でも感じることですが、
 地方であればあるほど、何から何までカバーすることが求められます。逆に言えば、色々異なることや複数のことを手掛けていても違和感がないフィールドでもあると言えます。

 自らの意思として、また意思と関係なく働くフィールドが変わったとしても、必ずそこにはメリットとデメリットが存在します。どこであっても、「ここでできること」「ここで得られること」を丁寧に大切にしたいですね。

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コミュニケーション~新しい理解が生まれる 
<ヒューマナイズ通信 2017.02.15掲載 一部修正>

 カウンセリングをしていると、メールやSNSに記載された内容で傷つく、人間関係がぎくしゃくするという話題を聞くことがよくあります。

 以前から言われていることですが、手軽に利用できる環境が増えれば増えるほど、やりとりの中で送り手と受け手の意味が異なる、ミスコミュニケーションが生まれやすくなります。いわゆる?炎上も意識的なものよりも結果的に炎上してしまったというものが多いと言えます。

 炎上レベルでなくても、例えば、意思決定がはっきりしている人、はっきりNoと言える人は、文面をみても、Noと言うこと(言われる)を全く厭わないような書き方をしています。
 一方、それを受け取った人が、断るのが苦手の人だと、どう返事をしていいか迷っている、悩んでいる…、そしてだんだんフェードアウトして、コミュニケーションそのものの機会が減っていくという悪循環を起こすことはよくあることです。

 よっぽどのことが無い限り、文面は送り手の価値観を中心に作成されることが多いと言えます。相手のことを意識して、受け手の価値観を意識して文面が作成されることもありますが、あくまでも受け手の価値観と合っていると思っている送り手の価値観よってつくられた文章なので、限りなく近づくことはできるけどもイコールではないという感覚も必要です(回りくどい表現ですみません)。

 極端かもしれませんが、言語化されたコミュニケーションはお互いに違っているところからスタートして、近づいたときに化学反応を起こして何かしら新しい価値が生まれるようなものだと言えます。
 双方が完全に一致するというよりも、近づくことで、お互いに新しい理解が生まれるような感覚が必要ではないでしょうか。

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事実を見て、何を発信するか 
<ヒューマナイズ通信 2017.02.01掲載 一部修正>

 先日、自転車で柵に激突し?顔に怪我を負ってしまいました。飛び出してきた人を避けるために壁・柵にぶつかったわけですが、その瞬間に真っ先に気になったのは、人と衝突しなくて良かったことと、その後のスケジュールのことでした。やっぱり、つまらない“仕事人間”のようです(笑)

 顔は腫れあがっていましたが、打ち所が良かった?ので、普段通りの生活はできていました。怪我した直後に、人前に立って話す仕事がいくつかあり、見苦しい状態で色々と心配をおかけしました。改めてお詫び申し上げます。

 怪我を見て、色々声をかけていただきました。
 「転んだんですか?」「酔っ払っていたんですか?」「○○に殴られたんですか?」…見方はそれぞれですね。早速違う出来事として噂は広まってました(笑)

 新入社員の頃に、何かを伝達する際には「事実と意見を混同するな」と教わりました。怪我をしている(事実)と何故そうなったかという想像・想定(意見)は異なります。事実と意見を混同して情報が流れ始めると、どんどん歪んでいきます。そういう意味では確かに事実と意見を切り離すことは大切なことだと言えます。

 しかし、個人的に面白かったのは、事実を見た上での様々な反応です。事実に想像が加わり、変化が起こります…あまり詳しく説明しない私が悪いのもありますが、様々な反応があり、面白かったです。

 カウンセリングの現場でも相手の話を傾聴することが大切だと言われますが、特に述語(主に動詞、形容詞、形容動詞)を丁寧に傾聴することは大切です。述語の中には、無意識なことも含め、その人(組織・環境)の思考・思想・感情などの枠組みが反映されやすくなります。
 組織やコミュニティの風土を観察する際も同様ですが、どんな述語がよく使われるかを見ていくと、その場の雰囲気や風土が理解しやすくなります。

 「事実を見て、何を発信するか」、そこには個性やアイデンティティが垣間見えますね。

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どこまでを考えるのか? 
<ヒューマナイズ通信 2017.01.18掲載 一部修正>

 先日、「ワークショップの前と後に必要なもの?」というイベントを企画・開催いたしました。
 ワークショップそのものをどうするのかももちろん大切ですが、ワークショップを開催する前と後も大切です。個人的にはワークショップの前と後も含めて、本来はワークショップとして捉える必要があるのではないかという思いから、今回企画しました。

 実際にやってみて改めて感じたのは、一人一人のワークショップ像があるということです。同じワークショップという言葉を使っていても、細部になればなるほど違いを感じる場面が多々ありました。違いを組み合わせることで生み出される新たな可能性を感じる一方で、それぞれの違いについては、お互いに尊重することも必要だと感じました。ワークショップに限ったことではありませんが、違和感を感じた時にすぐに表現できるかどうか、表現しやすい場を準備できているかも大切なことだと感じました。

 また、ワークショップの「前」と「後」に関して、何か明確なものが見えたわけではありませんが、それぞれ「長さ」があるように感じました。長さというのは、どこまで対象として考えるかということです。
 どこまでを「前」と考えるか、どこまでを「後」と考えるか、一人一人のワークショップとのかかわり方でもあると言えます
 特に後に関しては、実施後すぐに効果が見えることもあれば、結果的に数年後の何かの意思決定に及ぼすこともあります。どこまでの長さを想定するかによって、かかわり方やあり方につながる感じがしました。

 これもワークショップに限ったことではありませんが、どこまでを想定するかについては、覚悟が必要なのかもしれません。そして覚悟によって可能性が変わったり、決まったりするのではないでしょうか。

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気の利いた支援は難しいけれど… 
<ヒューマナイズ通信 2017.01.06掲載 一部修正>

 今年の弊社のテーマは「進歩」。
 シンプルなテーマですが、少しずつよい方、望ましい方へ進み変わって行くように愚直に歩を進めることに邁進していきたいと考えております。

 いきなり個人的な話題で恐縮ですが、我が家の子供たちも社会人・大学生になり、家族全員が揃う機会が少なくなりました。正月に久しぶりに全員が揃い、それぞれを見ていると、思ったよりも成長していると感じることもあれば、まだまだだなぁと感じることもあり、様々な発見がありました。顔を合わせる機会が少ない分、より変化に気づけるようになったのかもしれません。

 また年末年始は、色んな方が近況を報告に来てくれる時期でもあります。内容的には喜ばしいものもあればそうでないものあります。本当に様々ですが、相談を含め、足を運んでいただけることは嬉しいことです。その一方で、時間が限られていることもあり、対応できないものも増えています。この場を借りてお詫び申し上げます。

 自分の子どもを含め、若い人たちの悩みは、明確な形にまとまってなく、何が悩みなのかもはっきりしない漠然としているものもあります。漠然としている分、本人たちは少し苦しみを感じているようですが、すっきりしないことに向き合うことはとても大切なことです。

 本人たちが迷っていることに関して、基本的には見守るだけしかできないのかもしれません。周りは悩んでいる人に対して、良くなって欲しい、幸せになって欲しいと願うことはできますが、何が良くて、何が幸せなのか、結局のところ本人しかわかりません。悩んでいる人に手を差し伸べることは必要ではありますが、手を差し伸べる側の感覚・価値観に支配された支援は、本当の支援になっていないことが多いのではないでしょうか。

 気の利いた支援は、いつも暗中模索で答えがない感じですが、少なくとも可能性を潰したり、萌芽しようとする芽を摘むことは避けたいですね。誰かがすっきりしないことに向き合えるように、見守ることが少しでもできる存在でありたいと思った年末年始でした。


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