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スーパーおせっかい集団リクルート

年1回のペースでコンディショニングをしてもらっている四柱推命の先生に、「浅倉さんの人生は強い女性がたくさん登場して助けてくれることになっている」と断言いただきました。産んでくれた母に始まり、思い当たる節ありまくりだなと考えていたら思考がリクルートにたどり着いたので、今日は私が実際に働いたり辞めた後も含めて見聞きした株式会社リクルートにまつわるモノゴトを書いてみたいと思います。

女性を遠慮なく使いこなす

リクルートも他の日本企業と同様、役職者は圧倒的に男性が多かった(今は知らないけど)。そうではあるけれど、女性が男勝りに(この言葉にはすでに男尊女卑が内包されているので嫌いなのですが、ここではあえて使います。)活躍している会社であることは間違いありません。

2003年の入社当時、私の教育係だった女性がそっと教えてくれたこと。彼女は私に言いました。「ひと昔前の田舎には、すごく勉強ができるのに『女の子だから』という理由で大学に行かせてもらえない高校生がたくさんいたんだよ。リクルートはそういう子たちを狙って採用して、思いっきり仕事をさせてきたんだよ。」

そう言われてなるほど。ふと見渡せば、部署にも高卒女性で正社員の方が何人もいて、大いに活躍していました。20年近く経つ今でも覚えている。リクルートの知られざる原動力と、自由闊達さを象徴するエピソードです。なお、リクルートの創業者は東京大学卒ですし、東京大学をはじめとする超一流大学・一流大学卒の人も普通にたくさんいました。そういう人と地方の高卒の人が当たり前に混じり合って仕事をしていました。

学歴ほど職業人の能力や地位を定義する価値軸のひとつとして歴然と存在するのに公に語ることが憚られるモノサシも珍しいのではないかと思います。でも、先輩はこのエピソードを後輩である私にぽろりと世間話として話した。このことの背景には、こういう身も蓋もない事実をあっけらかんと口にするリクルートならではの文化があったように思います。

身も蓋もないことをズケズケ言う

リクルートはマーケティングの会社です。私は社内編集者として、いかに多くの、1人でも多くの、「家を建てたいと思って書店に来るひと」を、表紙のタイトルで捕まえて、立ち読みで記事の中身の充実度に満足させて、雑誌をレジに持って行ってもらって、お金を払って買ってもらうかを至上命題に仕事をしていました。

“刺さる”企画に大切なのは、イチにもニにも「顧客目線」です。ではその顧客とは誰か。「ペルソナ」と言い習わされる「うちの雑誌を買ってくれる人」について、本当に身も蓋もない議論が日常的にされていました。毎月の読者アンケートや定期的に行っていたグループインタビュー、取材先で出会う「うちの雑誌を読んで家を建てた方々」。そういう接点から読み取れる「うちの読者ってこんなひと」をどこまでも言語化し共有することに物凄い時間とエネルギーを割いていました。

マンションではなく注文住宅を選ぶひと。建売じゃなくて注文住宅を選ぶひと。エルデコじゃなくてうちの雑誌を買うひと。そういう人は、トーヨーキッチンの高くておしゃれなシステムキッチンは選ばない。つまり、そこまでデザインにこだわりがあるわけではない。見栄っ張りではなく質実剛健で素直。都心のリッチ層ではない、古き良き庭付き一戸建ての夢を抱いている、ある意味で凡庸なひと。女性誌で言えばwithかmore。以下、自粛。

そういう人たちに、本当に納得がいく「その人にとっていい家づくり」をしてほしい。宗教と言われたりする所以ですが、全員が本気でした。

人間が人間を語るとき、愛があるほどに赤裸々になるという側面が、確かにあると思います。(学歴も赤裸々案件のひとつ。)リクルートでは、読者に対してもクライアントに対しても、チームメンバー全員が愛を持っていて、だからこそズケズケと赤裸々に身も蓋もなく「人物像」を語っていました。その対人姿勢や鋭い感覚はチームメイトにもおよび、「あいつは○○」と語られる人物像は誰しもどこか凸凹な”人間”だったように思います。 

そして、高卒でも凸凹でもズケズケでも愛情深くても、とにかく「成果が絶対指標」でした。成果に対する意識が甘すぎてクビになった人も普通にいます。そこだけは急に冷徹かつフラット。ここ大事。

「その営業所で一番できる営業マン誰?」「俺やけど」

身も蓋もないズケズケは、自分自身にも向かっていました。つまり、自己表現の純度が高い。できることはできると臆せず言う。

大好きなエピソードがあります。とある先輩がカーセンサーの大阪営業所長(うろ覚え)だったときに、別のエリアの別の部署の知らない社員から電話が入ったそうです。

たまたま事務所にいた先輩が電話をとると、かけてきた人がいきなり「その営業所で一番できる営業マン誰?」と聞いてきた。すかさず先輩は「俺やけど」と答えたそうです。

同じ会社とはいえ、見ず知らずの間柄で聞く方も聞く方、答える方も答える方。こんなに明け透けで風通しのいいやりとりがあるでしょうか。ものすごくリクルートらしく感じる、大好きなエピソードです。

「安く使われてるって自覚しろ」「浅倉、金はあったほうがいいぞ、あると銀座のクラブに行けるんだ」

もうひとつ、これは大嫌いなエピソードなのですが、在籍中に直属の上司に面と向かって言われた言葉を2つ紹介したいと思います。

いやまあ、見出しのまんまで酷いもんなのですが、どちらも真実なのです。銀座のクラブはいまだに一生行けなくていいと思っていますけれども。

ひとつめは編集長兼マネジャーが、ある日飲みに行った席で、確か銀座の明石焼き屋さんだったとおもいますが、大変美味な明石焼を食べている私に面と向かって曰うた言葉。明石焼がもったいない。ふたつめは同じマネジャーとその上司の部長が、「自然の近くに行って地球のために働きたい」と辞意を表明した私を遺留する三者面談の時の決め台詞。

ひとつめははっきり言ってただただ失礼だし、ふたつ目は若い私の純朴さや切実さやロマンを理解できてなくてセンスないし、すごくむかついた。でも、いま振り返ればどちらも真実です。

「何も成し遂げない」「世界人口増えてるんだよ!?日本を再エネだけで賄おうとしたら8000万人消えないと無理」「女性は話を聞いてはもらえるけど、女性に大きなお金は任せない」

むかついたけど、振り返れば真実だと思う言葉たち。リクルート以外でも、力のある男性たちから言われて覚えています。なんなの?ひどくない?
ズケズケと身も蓋もない真実を言うエリートの傾向はリクルートに限らなくて、おしなべて「愛だ」ということにしておこう。

話がズレました。

情に厚くておせっかい

話をリクルートに戻します。

そんな感じで明け透けに身も蓋もないことを言い放つリクルートピーポーですが、一般常識からの外れ度でいえば同じくらい、情に厚くておせっかいです。

つい先日、とある先輩が「こんな人物がいて元リクルートだから」とある方を紹介してくださいました。その方から「沖縄でこんなひとを探しているのですが知りませんか?」と依頼が入ったので、私はごく普通に思い当たった人に電話をしました。たった一本、電話をするだけですから。すると、私が状況を説明し終える前に「あ、その件でしたら既にほうぼうから連絡が入ってます。」と異常なスピードで要領を得てしまいました。

電話先の方は、「リクルートってなんなんですか。みんなして、すごいですね」と驚いて(呆れて?)おられました。そのかたからすれば、同じ件でいろんな知り合いから連絡が入る。その知り合いたちは一様に元リクルートである。ちょっと気持ち悪かったかもしれません。

情に厚くておせっかいなのは、元リクルート同士だけではありません。

今も現役の元同僚がプライベートでしんどいことが重なってメンタルが危うくなり、激務のリクルートを辞めようかと思っていたとき、斜め上の上みたいな直属ではない関係性の社内の人物がある日彼女の職場に乗り込んできたそうです。そして、「おい、○○(元同僚の下の名前)、お前、絶対今の状態で辞めさせないからな」と始まった。職場に乗り込んできて何が言いたかったかといえば、「人間は家族と仕事と自分自身が満たされて初めて幸せでいられる。お前はいま自分自身も家族も危うくて、これで仕事まで辞めたら本当にやばいから絶対やめるな」ということだったそうです。それをわざわざ言いにきたそう。

元同僚の彼女が言い放った「ほんとリクルートってスーパーおせっかい人間の集まりだよね」という言葉がものすごく的を得ている。

繰り返しますが、それでいて成果、、、っていうかお金に対しては冷徹です。

すべての仕事はおせっかいである

自分の出番はここまでだろうと思うラインを当たり前にはみ出す姿勢・思考・行動の総体を「おせっかい」と呼ぶのなら、チームでの業務遂行において「おせっかい」を発揮することでぶつかることはあっても、スカスカになることはないと思います。あと少し手を伸ばせば、もう一言あれば、実ったかもしれない何かって、絶対にある。それを常習的につなげにいくスーパーおせっかい職業人集団。結果として、人情に厚く、身も蓋もないことをズケズケ言うことになる。

そういうカルチャーが、時価総額8兆円企業を育てたことは間違いないと思います。

ないと生きていけない生活必需品は既に出回り、人生の満足度を高める消費が支える成熟した経済において、おせっかいは最強の武器なのかも知れません。我ながらなんて乱暴なまとめ方でしょうか。夜も更けてきたので今日のところはこれで締めます。


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